第六話 僕の夏休みは詩に染まっていく、たぶん明日も

 夏休み。僕らを理解せず、理解しようともしない大人たちが、青い春だのなんだのと騒ぎながら、青少年の真に美しき生き方は勉学である、とでもいいたげに声をかけてくる、中学生の今。受験を乗り越えれば、高校生になれば、所謂成長すれば?どうなれば、どうすれば?この状況は変わるのだろうか。

「のうのうのうのう少年、なにをかんがえているのかな?」

「………なにも」

 自分の感情や考えを理解する人なんて、十三歳(どうでもいいが、僕の誕生日は十二月十四日である)の僕には誰もいない。だから、いつのまにか、自分の考えを押し殺し、自分の感情に目を向けることなく生きることが当たり前になっていた。

 けれど、彼女なら、どうだろう?初対面の相手に、生きている価値がある、なんていう彼女なら(昨日のこと引きずりすぎだろ、どれだけ心に響いたんだよ)。

「ノアの方舟にのれるのはせいぜい数人。それと同じで、選ばれる人間は、ほんのすこししかいなくて、大抵の人間はそうじゃない。だけれど、そこに入っていない、なんて誰が決めたんだろう?誰もがそこに入る資格をもっているはずだ」

「……………はこぶねにのれるのはせいぜいすうにん。ほかはみんなどろぶねだ。だって、にんげんはいつかしぬんだから。いつかしぬじんせいのなかで、しあわせなんて、ほとんどないんだから。……けれど」

 少女は、表情を消して話していたが、そこで言葉を切り、瞳にもみじの赤色を浮かばせた。

「『私らに 一日が

 はてしなく 長かつたやうに


 雲に 鳥に

 そして あの夕ぐれの花たちに


 私らの 短いいのちが

 どれだけ ねたましく おもへるだらうか』


 そのみじかいいのちのなかで私たちはじゆうなのだろう。はこぶねにのったつもりで、のれるつもりで、いきていくことはけっしてまちがいではないと、私はおもうよ。

 …………あ、いまの詩も立原道造のものだよ」

「……………あー、うん」

「さぁ、きょうも詩をおしえてあげよう!…どの詩がいいかな……あ、きのうは萩原朔太郎の詩についてのことばをおしえたから、今日は立原道造の『詩は』をすこしおしえてあげよう」

「うん、通常運転で安心するよ」

「『あゝ、傷のやうな僕、目をつむれ。風が林をとほりすぎる。お前はまたうそをついて、お前のものではない物語を盗む、それが詩だといひながら。

 *

 言葉のなかで 僕の手足の小さいみにくさ

 *

 或るときは柘榴のやうに苦しめ 死ぬな。』」

「………それも立原、道、造…?なんだよな…?なんというか、前に聞いたやつより、リアルっていうか、表現が切実っていうか…」

「ふむ。……それではこんなのはどうかな?

『酒精中毒者の死』、萩原朔太郎の詩だ。

『あふむきに死んでゐる酒精中毒者の

 まつしろい腹のへんから、

 えたいのわからぬものが流れてゐる、

 透明な青い血漿と、

 ゆがんだ多角形の心臓と、

 腐つたはらわたと、

 の爛れた手くびと、

 ぐにゃぐにゃした臓物と、

 そこらいちめん、

 地べたはぴかぴか光ってゐる、

 草はするどくとがつてゐる、

 すべてがのやうに光ってゐる。

 こんなさびしい風景の中にうきあがつて、

 白っぽけた殺人者の顔が、草のやうにびらびら笑ってゐる。』」

 これは、さっきのが比にならないくらいリアルだ。けれど、なんだろう、グロテスクであるのに、胸に残るのは気持ち悪さじゃなくて、むしろ悲しさやさびしさだと思う。息を吸った時、喉の奥の虚無を感じるような、自分の心臓が実はもうひび割れで、いつ崩れてもおかしくない気がするような、そんなふっとよぎる解決しようのない気持ち。それが、酒精中毒者の死として表現されているような。そんな気がした。

「ふっふっふ、なにかかんじたようだね。………ということで、もうひとつ、萩原朔太郎の詩から。

『みよすべての罪はしるされたり、

 されどすべては我にあらざりき、

 まことにわれに現はれしは、

 かげなき青き炎の幻影のみ、

 雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、

 ああかかる日のせつなる懺悔をも

 何かせむ、

 すべては青きほのほの幻影のみ』」

 ということで、についてつっこむ間もなく、少女は緑色の青々とした竹のような、真っ直ぐな目で話し出してしまった。

 この詩は、気持ちいい。そう、思った。こわくて、見えなくて、なのに、これでいいと思える。真っ暗で、何も分からないなかで、青い炎におびえ、あの日の懺悔をし、けれど見上げた空に思うのは……みたいな。なんだろう、とても好きなのに、どうして好きなのか、と言われると、何も言えなくなってしまうような、僕は今、そんな気持ちで、この詩は好きなんだけれど、難しい。

「この詩は『竹』という詩のあとにくる詩なんだけれどね…………あれ、知ってる?萩原朔太郎の『竹』」

「あー、なんかこの前、国語の教科書で見たような…あの、あれだよな、竹がどんどん成長していく感じの……」

「……まぁ、間違ってはいない。それで、そのつづきにくるのがこの詩なんだ。しらないひとがおおいけれどね」

「ふぅん、なんか、もったいないな。僕、結構その詩好きなんだけれど」

「ほう、ほうほうほう!それはほんとかい!?君が詩をすきになってくれるのはとてもうれしいよ!それじゃあ………といいたいところだが、きょうはそろそろおわかれだ」

「え…………ああ、もう夕暮れか」

「それじゃあまたあしただな、少年」

「ああ、じゃあな」

 案外悪くないかもしれない、詩っていうのも。少女のおかげかは知らないが、そう思えた。

 だんだん、あのバスに乗れなくてもいいとか思えてきてしまっている僕には驚いたけれど。夏休み二日目、すなわち、彼女と出逢って二日目でありながら。君となら、夏休みを棒に振ってもいいと思えた。どうせ終わりある命だ。どうせ、特に明るい先のない命だ。だったら、君のために夏休みを使うくらい、どうってことない。夕暮れにどうでもいいことを考えながら、帰り道を歩いた。







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