第3話


(これは、ゲームなんだぞ。腰が引けて戦えないなんてかっこ悪りぃ。アリシアだって戦ってんだ。俺だってーー)


 震える手を押さえ込み。眼前に写る恐怖の対象に敵意を向ける。鞘に収められた、腰の剣を抜き出し、構える。


「きゃぁ」


「アリシア!」


 複数で跳びこんできたゴブリンを捌ききれずに、アリシアにゴブリンの鋭利な爪が突き刺さる。ゴブリンの血とは対象的な、生鮮とした、真っ赤な体液が流れ出る。


(もう迷ってる暇なんてない)


 ここがゲームだという認識はいつの間にか忘れ、この場にいる憎き緑の悪魔に対する殺意で全てが覆われる。血が沸騰するかのような怒り。気づいた時にはもう体が動いていた。


「はぁぁぁああ」


 アリシアを傷つけたゴブリンに剣が刺さる。続けて、二連三連。勢いは泊まることを忘れ、ただただ、目の前の汚物を消すことだけに意識が持っていかれる。


「ヒビヤ。あなた剣が使えるの?」


「はぁはぁ。今のは……」


 怒りに任せた連撃だったが、いま、確かに見えた。

 ここに刺せばいいと。ここになぞればいいと、直感的に分かる。

 ーー線。糸が見える。そこをなぞるように。


「はあぁぁぁぁ」


「ヴヴヴうぁぁあ」


 声にならない叫び声が響き渡る。立ち向かってくるゴブリンを、身を翻しながら躱し、カウンター。次々とゴブリンを倒していく。


(これなら……)


 そう安堵した刹那。


「ヒビヤ!」


 その叫び声でようやく気づく。後ろからの攻撃。木の棍棒のようなものを振り回す一回り大きなゴブリン。


「ーーっ」


 ーー直撃。天地がひっくり返るように、体を回転させながら、数メートル吹き飛ばされる。


「ヒビヤ!」


 痛み。激痛。目が開けない。頭を打たれたのか、幾重にも重なった世界に、血が溢れだしてくる。決して止まることの無い放出。


「これ、ぜん……ぶおれ……の血……っ」


 写し出される光景は絶望。血が足りなくて、何も考えられない。頭から出血した血が口の中に入って気持ち悪い。


「ヒビヤ立って!」


 恐怖に支配された俺は立ち上がる力が込められない。そこに飛び掛るゴブリンをアリシアが魔法でなんとか取り除く。




 ーー怖い。怖い怖いコワイこわい。痛みが怖い。血が怖い。ゴブリンが怖い。緑が怖い。剣が怖い。棍棒が怖い。暗闇が怖い。恐怖が、畏怖が、恐ろしさが、怖い。




「まずい。ヒビヤ!」




 最後の記憶ーー数体のゴブリンが周囲を取り囲んでいる。その足は既に大地を離れており、緑のその全てが狂気に満ちている。走馬灯という奴なのだろうか。周りの時間がどんどんと遅くなっているように感じる。目に映る緑の光景。その隙間から見える。この場には見合わない、可憐な少女。



 少女が叫ぶ。絶叫。悲鳴。


 ーー心配そうな顔をしないでくれ。大丈夫だから。もうほら、こんなに血が流れているのに痛みを感じない。冷静で落ち着いてる。こんなに絶望にも、しっかりと希望を捉えてる。だから、



 だから……泣かないでアリシア。


 そう切に願いながら、ゴブリンの爪が肌に刺さり込んでくる。血が噴水をあげる。視界が斜めに切りきざかれ、頭が血を吹き出しながら弾け飛ぶ。

 

 

 

 ーー世界が遠のき、全てが暗転する。最後に聞こえた絶叫は誰のものかは分からなかった。

 

 

 

 

 ※※※※※※※※※※※※

 

 

 

 意識が覚醒する。見慣れた天井。見慣れた部屋。いつもの俺の部屋だ。刹那襲い掛かる物凄い倦怠感。


「俺は今まで何を……っ。なんだこれっ……」


 頭の奥がズキズキと痛み。記憶が読み起こせない。時刻は既に深夜0時を回っている。


 何か大切なことが抜け落ちている感覚。感情が渦巻く。何かをしなければ行けない義務感。平々凡々の生活に何かが起こった確かな感覚。


「たしか……」


 目線の先には、意気揚々として買いに走ったVRゲーム。


(俺はゲームをプレイをしようとして……それで、それで……くそ。なんも思い出せねぇ)


 俺はむしゃくしゃな思いを投げ捨てるよう目を閉じ、睡眠に美を委ねる。



 ーー震える手を隠すように。

 

 

 

 ※※※※※※※※※※※※※

 

 

 

「おーい、聞いてんのかって響灯」


 俺の視界に綺麗に手入れされた手が写り込む。


「だから、VR。やったんだろ?」


「浩介。いや、それが……なんかよく分かんなくって」


「んだよ、それ。説明書ちゃんと読んだら、わかんないことなんてないだろ」


「いや、それが……」


 分からない……のか?


 確かに何かがあったはずだ。いまやらなければ。いますぐ助けに行かなければ。


 ーー助ける?だれを?


「ヒビ。あんた大丈夫?顔色悪いけど」


 たった今教室についたであろう、サクが心配そうに覗き込んでくる。そんなに考え込んでいるように見えたのだろうか。


「あ、ああちょっとな」


「おーう、もねっち。うぃーっす」


「うぃーっす。浩介くん」


「あ、そう言えば、知ってる?今度赴任してくる先生がさ……」


 いつもどうりの会話。入ってきた言葉が、そのまま音として耳を突き抜けていく。変わらない学校。予冷。ホームルーム。通常運転の授業に、寒い先生のオヤジギャグ。変わりのない生活。

 

 ーーーー

 

 

「位置について。よーい。ドン!」


 体が軽い。足が前へ前へと突き出すように運ばれる。颯爽と駆け抜ける。


「おお」


 どよめきが起きる。なんだ?


「神谷響灯、六秒一」


 おかしい。俺は今までの人生、足が早かったなんて記憶なんてない。なんの冗談だ。何が起こっている。モニタリング番組でも、やっているのか?


「おいおいどうしたよ響灯。こんなのお前じゃねぇって。お前万年平凡だったじゃんかよ」


「いや、俺にも分からないっつーか。なんていうか」


「おいおいどこの鈍感主人公様だよ。何?陸上の練習でもしてたのか?」


 違う。全く違う。何かが狂ってる。今の走りでさえ、本気なんかじゃない。いつもどうり、流すように、でもそこそこ頑張るように見せただけなのに。


「なぁ、響灯。なんかあるならちゃんと頼れよ、俺のこと」


 浩介が、腑に落ちない顔をする俺を心配するような眼差しで見てくる。昔から、こういう時だけは、勘が鋭いやつだった。本当に頼りになるやつだ。今はそれだけで安心できる。


「ああ、やばくなったら頼るよ……悪ぃな」  


「いいってことよ」


 中身までかっこよくしてんじゃねぇよ。本当にイケメンじゃねぇか。

 少し気持ちが軽くなって、軽口を幾つか交わす。今はこれで前を向ける。


 浩介のおかげもあってか、平常心を取り戻し、いつも通りの学校生活をおくる。いつもの青春。いつもの放課後。

 サクは用事があるらしく、足早に学校から帰った。なんだか様子がおかしく見えたのは、今日の俺が普通じゃないからだろうか?


 (話すにしても、その[何か]が分からない以上、どうすることも出来ない。でも多分原因はーー)

 

「君が、神谷響灯か?」


 夕方の陽の光が、オレンジ色に染め上げた教室で呼びかけられた。


「あなたは?」


 どこか他を寄せ付けさせない。刺々しい鋭い目。自分の幼さを感じざるを得ない大人の雰囲気。色気。


「……役目を果たせ」


 射抜くような眼力で見つめてくる。黒髪のロングヘアの合間からロックオンされている。身動きが取れない。圧力。オーラ。


(この人は一体……)


少し怯えた俺に彼女はこう告げた。













「ユウシャ」

 


 

 

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