3人目 下

「ずっと気になっていたんだ、どんな味だろうって」

 手が付けられていないサンドイッチを見て、食べないのかい? と男は首を傾げた。

「ほら、僕って耳も目も自前だけど、口と体だけは追加されたものじゃないか」

 ミスタークロックマダム。この風変わりな頭を持つ男は、我々の罪の象徴とも言えるだろう。彼は度々その事を持ち出して、面倒な取引を持ちかけてくる。今回は十五分の質疑応答と引き換えにサンドイッチ(特製ソース入り)の試食だ。

「どうせなら味も分かるようにしてくれればよかったのに。今からでも無理なら、せめて料理の味を僕に教えてくれよ」

 どろり、とこれ見よがしに黄身を垂らす泣き真似にもすっかり慣れた。彼は通じないと分かったのかすぐに黄身を目玉の中に引っ込めた。十年以上も彼をこの施設に保管しているというのに、我々はその仕組みですら解明できていない。

「状況整理のため、研究のためとこじつけて僕を遺品に数え、この姿にしたんだ。これぐらいの要望は聞いてくれてもいいんじゃないかい?」

「我々に非協力的な貴方が有益な情報を話してくれるとは限らないですから。このようなリスクは背負えません」

「命令時の協力? というのも僕は誓っていないしねえ」

 これが彼の態度が容認されてしまう理由だ。彼はテル氏の遺品とされているが、正確に遺品と言えるのはその頭部だけである。ミスタークロックマダムとされる遺品はこの施設で造られたと言ってもいい。保管所の規約をもって彼を縛ることはできないのだ。

「貴方はテル氏が死ぬところを見ていたはずだ。それさえ話してくれればいい」

「ただの朝食風情に従順さを求める方がおかしいよ。そんなに知りたいならさ、お得意の『修復』でまた僕を変えてしまえばいいんじゃないかな」

 彼は美味しそうな黄色の目玉で私を見た。そこに浮かんでいるのはきっと敵意に違いない。

 私はその視線から逃れるように、サンドイッチを口に入れた。


                  ◆◆◆

 テル氏が発見された部屋で、遺体よりも異質な存在を放っていたのは一皿のクロックマダムだった。廊下にも響く泣き声はこの料理から発せられていたのだ。

 遺体が回収された後も、屋敷から施設へ運ばれてからも、この料理が泣き止むことはなかった。どこから発声しているかもわからない声と黄身でできた涙はどう扱えば良いのか。遺品の整理、判明しない死因。それを責めるように響き続ける泣き声に我々は辟易していた。

 何が起こるかわからない、と放置を決め込み、泣き声にも慣れ始めてきた頃に新しく研究員が入ってきた。入れ替わりが激しいこの施設では、別に珍しいことではなかった。テル氏の遠縁と紹介された。

 彼はクロックマダムの担当を押しつけられた。ただ泣き続ける料理を観察しているだけの仕事だ。何も教える必要がなく、新人には適任なのだ。


 机で資料を読みふけっていた彼がなにを考えていたかはわからない。ただ、本当に前触れもなく、彼はクロックマダムにナイフを突き立てた。そしてそのまま勢いよく横に切り込みを入れ、その切り込みを閉じるように手で押さえつけた。それと同時にあの泣き声は止んだのだった。

「閉じる口がないなら作ればよかったんですよ」

 そう言った、青年の生真面目そうな声を覚えている。すぐに様子を見ていた上司が他の研究員と共にやってきて、皿を持った彼を連れて行ってしまった。その後、彼が戻ってくることはなかった。


 それから数ヶ月。施設はそれなりに落ち着いてきていた。私は当時担当していた遺品の様子を見るために保管所へと向かった。入り口の古めかしい扉の前に遺品が立っている。遺品はこちらに気づくと、声を弾ませて挨拶をした。

「初めまして。これからお世話になるミスタークロックマダムだ。できればフルネームで呼んでほしいな」

 その声を聞いて、なぜかあの新人の研究員を目の前の遺品に重ねてしまった。


                  ◆◆◆

「あ、よかった。生きてる」

 机に伏せていた体に意識が戻る。どうやら眠ってしまっていたようだ。返事をしようと口を動かすが何かが入っていてできない。げほっと吐き出すと白を中心に赤や緑の塊が出てくる。飲み込むことができなかったサンドイッチ。なるほど、これが原因だったのか。

「これ、何を入れたんですか」

 頬杖をつき不満げにそっぽを向くミスタークロックマダム。唇があればとがらせていたに違いない。

「台所にあったもの全部と、花と、まあいろいろだよ。意識を飛ばしたと思ったら吐き出すほど不味かったんだ?」

 不機嫌に残りを仕舞おうとする遺品を制して、私はサンドイッチをケースに回収する。そして十五分をとうにオーバーしていたことに気づき、面会は終わったのだった。

「また会うのを楽しみにしているよ」


 私は部屋から出て、化粧室に駆け込むと思い切り口を濯いだ。念のため胃の洗浄の手続きもしておこう。サンドイッチの味を思い出してまた胃がせり上がってきたような心地に襲われる。ゲエゲエと吐きながら私はぼんやりとあの遺品のことを考えていた。

 ミスタークロックマダムは研究員の過失で損傷した遺品を『修復』した結果生まれたもの、らしい。研究員は責任を取る形で修復作業にと記録されている。彼は修復後どこへ消えたのか、なんて明白か。

 もちろんこれはただの想像を結んだ末の答えだ。声が似ていただけ、記憶違いのごまかし、単なる偶然でしかない、別物の可能性だってあるのだ。


 私はあの新人の顔すら覚えようとしていなかったし、実際覚えていない。それでも、ミスタークロックマダムという遺品がある限り、彼がいたということは覚えているのだろう。

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