2人目
『本に因り葬少年』の今日の観察を済ませた私は昼休憩の場所を探していた。ここはテル氏の遺品達の保管所。テル氏が存命していたときの状態をできる限り再現されたこの屋敷のような施設は、何度来ても慣れることはない。
施設の廊下をうろうろしていると、扉が開いている部屋の中から声をかけられた。
「ねえ、助けてくれない」
部屋を覗くと少女が横に倒れていた。奥には男が座り込んで小さく呻いている。
「なにが起きたんですか。あなたの名前は?」
少女を抱き起こして訊ねる。少女の足をみると金になっていた。この事から奥にいる男はバブルハンドで間違いないと確信する。
「助けてくれたら話すわ」
私は少女を抱えて部屋を出た。
だいぶ離れたところまで来て、少女は言った。
「中庭はないの」
あるにはある。しかし吹き抜けは天井で封鎖され空は見えない。そのことを伝えると少し顔をしかめたが、そこでいいと言われた。
「思っていたよりも似てるのね」
少女をベンチに降ろす。ここでやっと私は規則を思いだし、少女から距離を取って様子を窺った。
少女は手入れをされた中庭をしばらく見回していたが、ふと、こちらの視線に気がつき、初めて笑った。
「大丈夫。襲いかかったりなんてできないわ」
ここまでのやりとりは当然カメラで見られているはずだ。規則を破ったところは確認済みだろうし、始末書は免れない。最低限の情報だけ確認したらここから離れよう。
「ここまで運んだのですからあなたの名前と、それからあそこでなにが起きたのかを教えてください」
少女は視線を自身の足へと向ける。金になっていた足はなにか白い塊へと変わっていた。よく見ようと近づくと、少女は深く息を吸い込み塊へ吹きかける。大量の綿毛が周囲に飛び散っていった。
「私、花の子っていうの」
花の子。先輩が担当している遺品。名前だけは知っている。
「私は悪くないわ。彼のせいよ」
「なぜバブルハンドの部屋に?」
「あの部屋に根付いてしまって。金に近かったせいかしら、彼が足を掴んだの」
私だとわかったらすぐ手を放してくれたけどね。そう言って少女はまた笑った。
どういうことだろうか。バブルハンドは自身の金に異様な執着をみせている。彼女が見逃された理由がわからない。
「いいわ、隣に座って。教えてあげる。彼と私のこと」
私が警戒しつつも横に座るのを見て、少女は懐かしそうに語り始めた。
◆◆◆
私がどこから来たのか知ってる? お爺さまの家に迎えられる前は彼のところにいたの。
狭くって、薄汚れてて、日当たりがいいとこしか取り柄がないアパートの、ベランダに置かれたプランター。そこに根付いたとき、彼を見つけたわ。
押し入れの中に座り込んで、ただじっと息を殺していた。だから私、かくれんぼしてるの? って聞いたの。彼はなにか言おうとしたみたいだけど、すぐ黙っちゃったわ。玄関の鍵を開ける音がしたの。
部屋に入ってきたのは若い男女だった。二人は部屋の住人だったのよ。夕食を食べて、テレビを見て、楽しそうだったわ。それなのに、不思議ね。二人とも翌朝には死んじゃった。
違うわ。彼は殺してない。そもそも二人が薬を飲んだことすらわからなかったんじゃないかしら。台所は押し入れから見えない位置にあったから。
彼に教えたの。死んじゃってるって。押し入れから出て、倒れている二人を見た彼はただ呆然としてた。もっと泣くかと思ってたのに。
これからどうするのって聞いたら、このままここに住むって。私はてっきり女の人のことが好きだったからこの部屋にいたと思っていたの。全然違った。住む家がないから、雨が降ってきたから、鍵が開いてたから、そんな理由で他人の家に入り込んだのよ。ええ、おかしいと思うわよね。
彼は風呂場に二人を運んだ後、私と遅めの朝食を取ったわ。初めは自分だけパンを食べようとしていたのよ。私もそろそろ食事がしたいって言ったら、ぎょっとしてた。私のことは幽霊かなにかだと思ってたんでしょうね。私がどんなものか、教えてあげたらちゃんと水を用意してくれた。花の子って名前もその時に彼がつけたの。
その日から彼と暮らすことになったわ。私、基本的には一カ所に根付いたら、次に飛ばした種が別の場所に根付くまで遠くへ移動できないの。全部綿毛にして外に飛ばせば部屋から出て行くことはできるけど、急いで出る理由もなかったのよね。
私がこれまで根付いた場所で見た話をしたら彼は面白がって聞いてくれたの。私も人と話すのは久しぶりですごく楽しかった。起きて食事をして、夜まで話をして眠る。そんな生活を続けていたわ。その間のお金? 部屋に置かれていた貯金箱から取り出してたわ。それが尽きたら、別のところに移動するつもりだって。その時が来るまで共生してくれるって。
だけど貯金箱が空っぽになっても彼は出て行こうとしなかった。いつも通り私の分の水を用意してくれた。居候のコップ一杯の食事の為だけに、この部屋に留まっていたのよ。
しばらくしたら蛇口から水が出なくなった。支払ってた人がいなくなったから当然ね。部屋にあった価値がありそうな物を全部売ったけど足りなかったみたい。彼が変わり始めたのもそのころからよ。怪我をして無理に泣こうとしたりするようになった。コップを涙で満たそうなんて無理にも程があるわ。
このままだと彼のためにも良くないし、私が出て行こうとしたの。膝まで綿毛に変わったところで、彼は半狂乱になってそれをかき集めた。これはお爺さまが亡くなった時にわかったんだけどね。彼は家族がいなくなることを恐れているみたい。
かき集めた綿毛を両手で抱くようにして、彼はそれを抱えて長い間泣き叫んでいた。
ようやく収まったと思ったら、彼の体は異変が起きていたの。最初は水ぶくれだと思っていた。だけど違った。膨らんでは弾けて、ずぶ濡れになった彼の両手からこぼれ落ちるそれは泡だった。彼が触れていた綿毛が、泡で濡れても形が変わらなくなっていた。金に変わっていたの。濡れ手に泡? 濡れ手に粟の間違いでしょう? そう訊ねても彼は答えなかった。心が子どもまで戻ってしまったのよ。ちょうど私の見た目と同じくらいの歳まで。
それからすぐにお爺さまからの使いの人が来て、私達は屋敷に迎えられたの。
◆◆◆
「本当はね、水がなくても養分は取れていたの。人間二人分もあれば種が根付くまでの時間なんて余裕で耐えられるのよ」
少女は一点を見つめている。その視線の方向にあるのはバブルハンドの部屋だ。
「なぜバブルハンドに教えなかったのですか。教えていたのなら、彼は今と違う、人のままの未来もあったかもしれないでしょう」
「彼の今を考えると酷いことをしたってわかっているんだけどね。嬉しかったの。私のための自己犠牲が」
背中に寒気が走る。こんな質問をするべきではなかった。世の中には知らないままが一番なこともあるのだ。
「そうですか。貴重な話をありがとうございました。そろそろ戻らないといけないので、失礼いたします」
私はこれ以上この少女と同じ空間に居たくなかった。早歩きで保管所を出て研究棟に戻る。少女の話を信じるなら、かつてのバブルハンドは良識に欠けた人物ではあったのだろう。しかしその時の彼は人間だった。少女の意思のせいで、彼は結果的にあのような姿に変わったのだ。あの少女は化け物だ。
私のような人間は関わるべきではなかったのだ。ここを辞めよう。私はそう考えながら私物を片付け始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます