妙な人々

蓑浦鉄鼠

1人目

 朝だ。じわじわと背後から抱きしめてくる眠気を振り切るように、思い切り起き上がる。床に落ちた毛布は、後で誰かが拾ってくれるだろう。

 床中を埋め尽くす本の山から一冊を抜き取る。これでいいか。僕はそっと表紙を開いて今日を始めることにした。


『温室に行き、日光を三十分浴びる』


 温室に行くのか。あそこにはろくな思い出がない。気が重くなるが行かないという選択肢はないため、部屋を出る。

「ん...?」

 扉に昨日まではなかったプレートが掛けられている。おそらく最近入った新人が掛けたものだろう。部屋もろくに覚えられないのに、僕らを監視するなんてまだ早いんじゃないかな。

 ほんによりそうしょうねん、か。何度聞いても不愉快な名前だ。だけど、簡単な文字で表記したらなんだか不愉快さを通り越してまぬけに感じてきてしまうな。いや、こんなものにかまっている暇はない。温室に急ごう。


 ガラス戸を開けると大きな蘭がこちらを向いた。どうやら手入れの途中だったようだ。

「おはよう、坊や」

「おはようございます、マザー。三十分程、失礼しますね」

 椅子を窓際の一番明るいところまで運び腰をかける。曇りガラスを通した日の柔らかい光を浴びていると、眠気がまたやってくる。

「坊や、髪が少し伸びた?切ってあげましょうか」

 はっと目が覚める。僕は眠ってしまっていたのか。慌てて時計を見る。もう少しで三十分が経ちそうだ。

「髪を切ってあげましょうか」

 後ろを振り向くと背もたれに張り付くかのようにマザーが立っていた。

「いえ、大丈夫です」

「でも、身だしなみは大事よ?すぐに終わるから、ね?」

 まずい。彼女がこちらを押さえようとする前に急いで椅子から立ち上がる。

「最近切ってもらったばかりじゃないですか。それにちょっと、これから用事があるので」

 本を盾のように掲げる。お願いだ、これで納得してほしい。前みたいになるのは嫌だ。

「……それなら仕方が無いわね」

 良かった。ゆっくりと後ずさりしながら温室から出る。扉を完全に閉めたところでほっと胸をなで下ろす。中を覗くと蘭は穏やかな表情で、温室の手入れを再開していた。

 さて、この後はどうするのか。二ページ目を開く。


『食堂で食事をする』


 これなら安心だ。時間も食べるものも指定されていない。駆け足で食堂に向かう。

「おはよう、少年。何を食べたいのか教えておくれ。作ってあげよう」

 今日もご機嫌なクロックマダムへの挨拶もそこそこに、僕は朝食の支度をする。作ると言ってくれたのに、これは少し感じが悪かったかな。様子を窺うがそんな心配は無用なようだった。

「少年は自立していて偉いね。他のコレクションは人任せにしたり大惨事を起こしたりするというのに」

 僕は自立型じゃなくて、依存型だ。あそこまで厄介じゃない。もっとも彼はそんなつもりで言ったわけじゃないだろうけど。

「今日の予定はどうなってるの」

「わかりません」

「そうかそうか。なあ、少年。もし何も書かれていない本を当てたら、どうする?」

 勝手にページを捲っていた彼はそんなことを訪ねてきた。

「考えたこともないですね」

「自由に過ごせるんじゃないのか?嬉しくない?」

 嬉しい嬉しくないという感情は問題ではない。そうなってみなければわからないものについて話すのは不毛だと思う。やっぱりこの人も苦手だ。

「そろそろ移動しようと思うので、返してください」

 そう言うと本は開かれたまま返された。僕は中を見ないように一度閉じて、そしてページを捲り直した。


『新しいプレートを頼みに行く』


 そう書かれた三ページ目は少し油染みが付いていた。

 

「木作のおじさん、いる?」

 部屋に向かって声をかけると、扉がゆっくりと開いてのそりとおじさんが出てきた。

「部屋のプレート、作り直してほしいんだ。もっとしっかりしたやつ」

 おじさんは頷くと自分の作業台を指さし、次に隣の部屋を指さした。材料が足りないから取ってこいということか。プレートは頼んだし、次のページのことをやりたいんだけど。そう考えているとおじさんは僕の本を指さした。捲っていいのかな。戸惑いながらも四ページ目を開く。


『バブルハンドに殺される』


「……わかったよ」

 僕は渋々隣の部屋に入った。暗くて見えないけどこの部屋になにがあるのかは知っている。金。金に変わったなにか。金に変わるなにか。黄金の部屋の中心にはバブルハンド。

「貰うね」

 彼の側に転がっている金を手に取る。これ、元はねずみだったんだな。実験用が逃げ出したのか、それとも彼が飼って……いや、それはないな。

 そんなことを考えながら部屋を出ようとした。

「かえせっ!」

 声に振り向こうとするよりも先に、ガンッと頭に衝撃が走り、僕の今日の命は終わった。 



                  ◆◆◆

 『本に寄り添う少年』。男は研究ノートの書き加えられたページを見て顔をしかめた。またあの新人か。

「おい、ここの翻訳が間違っているぞ」

 丁度戻ってきたので、訂正させる。本に寄り添う少年?そんなかわいいものではない。

                  ◆◆◆


 朝だ。昨日殴られた場所に手を当てる。うん、なにもない。最初の一撃で気絶して、その後滅多打ちにされて死んだのだろう。意識がないうちに済んで幸運だったと思うべきか。比較的楽な最期で良かったのは事実だ。

 さあ、切り替えて今日も短い一生を過ごそう。いつも通り足下から一冊本を取る。一ページ目。何も書かれていない。二ページ目、三ページ目、全部真っ白だ。

 そういえば、昨日訊かれたな。何も書かれていない本を当てたら、か。その答えはこうだ。僕は手元の本を投げ、別の本を手に取った。


『新しいプレートを掛ける』


 これでよし。届けられたプレートを扉に掛ける。プレートを掛けるにしてもしっかりと表記された物のほうがいいに決まっている。何度見ても慣れない変な名前だけど。

 僕は『本に因り葬少年』。今は亡きテル氏のコレクションの一つだ。

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