訪問者

ぼさつやま りばお

第1話

「んが……」


 眼が覚めた。

 というよりかは、誰かが揺さぶったので強制的に目を覚まされた。


「風邪ひくよ」


 長い髪を垂らし、寝そべった俺を覗き込むように見つめていたかと思えば、彼女は直ぐに首を上げ、仰々しくも自身の鼻を摘まんで怪訝な面持ちを浮かべる。


「……酒くさっ。飲みすぎでしょ」

「別にいいじゃんか。久々の帰省なんだし……。つーかウッチーと川原ちゃんは?」


 若干痛む頭を押さえて上体を起こすも、先程まで一緒に吞んでいた同級生二人の姿が見えない。俺と彼女の二人だけが、だだっ広い座敷に残されていた。


「さっき買い出しに出るって言ってたじゃん」

「そだっけ……? やっべー何も覚えてねぇ……」


 そんな事をぼやきつつ、テーブル上の酒を手に取って乾いた喉に流し込んでいく。アホの様に口を開けて寝ていたせいか、口の中がカラッカラだ。


「もう程々にしときなって。明らかに飲みすぎよ」

「あれ? なんだよ藤川。お前シラフじゃね?」

「だから私は酒ダメだっていってるじゃん……」


 彼女……。地元で中、高と同級生だった藤川は、嘆息を交えてそう言った。

 昔から肌の白い奴だったし、飲むと直ぐに顔を真っ赤にさせていたっけ。


「そだっけ……? 大学の時は確かハッ茶けてたよな」

「若気の至りってやつでしょ。私水持ってくるから」

「あ、俺も行く。先にトイレ!」


 そもそも、なんで俺はこんなに酒を飲んでいたのかすら分からなくなっていた。

 それくらいベロベロに酔っ払っちまってるらしい。


「あ、ねえ坂本。まだ飲んだりする?」

「んー……? まぁ、多少は? もう日本酒は良いかな」

 

 用を済ませ、俺がトイレから出ると台所より姿も見せず藤川が尋ねる。

 何気なく台所へ足を運ばせると、藤川は何処から取り出したのか一本のボトルを握りしめて佇んでいた。その瓶の中には深茶色の液体が揺れている。


「ウィスキー? いや、流石にそれはキツイって」

「これはね、あたしが生まれた年に買ったやつなんだって。床下から出したの」

「へぇ。その割には状態が良いな」


 別に酒を飲むからと言って何から何まで詳しい訳じゃない俺は、顔を近づけてマジマジと瓶を見つめる。

 高そう。覚束ない頭で何となくそう思った。


「これはね、もう二度と手に入らないのよ」


 俺が瓶を見つめていると、藤川は得意げに口を切る。


「そのメーカーはこれを作った途端に廃業し、このウィスキーは二度と市場に出ることは無くなった。つまり、ある種伝説のウィスキーとも言えるわね。小さな製造所だったから大した数も出回らず、今や五百万は軽く超えるって話らしいわ」


 値段を聞いた途端、少し酔いが覚めた俺は固唾を飲んだ。

 今、藤川の手に握られている小便の源は、俺が汗水たらして働く一年分の給与にも匹敵するらしい。ワインやウィスキーブランデーに上限はないと言うが、そこまでとは……。


「これ、持って帰っていいわよ」

「マッ……!? マジで!?」


 そんな、そこそこ良い新車一台を優に買えるであろうウィスキーを、藤川は俺へ突き出す様に片手で渡すので、あたふたと抱きかかえる様に受け取ってしまう。


「いや、流石に無理! こんなの受け取れねえって!」

「別に私はもう飲めないし、二つだけ言う事聞いてくれたら良いよ。ウッチーと川原ちゃんには勿論内緒ね」 


「けどよ……。けどッ――――!?」


 ……ほんの一瞬だった。


 俺より身長の低い藤川が、目を伏す俺を下から覗き込むように顔を近づけてきたかと思うと、悪戯に笑みを浮かべた口角を、俺の唇へと押し付けた。


 しっとりと、重なる唇は熱く。

 少なくともこの熱さが酒酔いじゃない事は確かだった。


「…………先ず、一つ目」


 藤川は照れたような笑みを浮かべて少し距離を取ると、猫の様な眼で俺を見つめ続けた。その瞳は何処か潤んでいるし、色白な肌がやはり紅潮している。


「ふ、藤川……本当は酔ってるだろ?」

「シラフでーす」


 自嘲めいた抑揚で笑い、藤川は長い髪を揺らして踵を返して背を向ける。

 顔が熱いのはお互い様って所なのだろう。


「ずっと坂本の事が好きだった。東京の大学行って、そのまま就職して、ずっと諦めようと思ってたけど、久しぶりに顔を見て確信したの。あたしやっぱり、坂本の事忘れる事できなかったんだなーって」


 藤川は振り返らない。だから俺は、藤川がどういう顔をしているかも分からない。

 けれど、その声音は何処か寂しげにも聞こえた。


「そのウィスキーだって選ぶの苦労したんだからね」

「選ぶ……? まさか嘘ついてたのか!」


 すると彼女は振り返らずに身体を揺らし、少し背を丸めていた。


「ごめんね。なんでもよかったの。坂本の為に何か用意すれば、坂本が帰ってくる気がして、なにより、只の口実に過ぎないんだから……」


 藤川は再び踵を返したかと思うと、勢いよく俺の胸元へ飛び込んで来た。

 そして囁くように言う。


「だからね、嬉しい。あたしの為に戻って来てくれて」


「藤川……。お前やっぱ酔ってる……よな?」


 俺が藤川の華奢な背に手を回した時だった。

 彼女の頭越しに見える和室に、飾られた色鮮やかな華々が目に留まった。

 そんな藤川は、表情も変えずに縁取られた中で笑っている。


 いや、酔ってるのは……俺の方か。

 

 ああ、そうか。

 そうだった。


「あーあ、少し坂本のクチビル舐めちゃったよ」

 

 確かに、目の前にいる藤川は喉を鳴らすと、次第に抱きしめていた質量の実感が無くなってくる。


 ……とっくに、いや。


 はなっからウィスキーのボトルなんて持っちゃいなかったんだ。


「だから酒はダメなの。成仏しちゃうから」


 抱きしめていた感触が、肌と肌の温もりが消えて行く。


「藤川……お前……」


 そもそも、この温もりが本物だったかすら危うい。

 ……それくらいに俺は酔っていたらしい。


「坂本、会いに来てくれてありがとう。そしてね、もう一つのお願いは……」


 月の明るい夜だというのに、古家の薄明かりだというのに。

 ……何より、淡く眩しい。


「たまにで良いから、あたしを思い出してね。それじゃあ」


 藤川はそう言い残し、光の粒になって天井へと溶けて行った。


 ……そしてそのまま、俺は意識を失う様に寝ちまった。


 朝になって眼が覚めたら、床下とやらを探してみよう。

 そして世界に一本だけしかないウィスキーを呑みながら。


――――藤川の事を考えてみよう。



 ――――――――――後日談。


「げ! 本当にこのウィスキーの酒造会社が潰れやがった……!」

 

このウィスキーがお高くなるのは、まだ二十数年も先のお話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

訪問者 ぼさつやま りばお @rivao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ