第305話◇全天祭典競技最終段階『血戦領域魔王城』27/勇者
眼下で父と戦う青年を見て、私はようやく確信を得る。
「そうか……だから、君だったのか」
かつて人間は、自分達には空を飛べないと思っていた。
絶対に、そんなこと出来るわけがないのだと。
自分達は、鳥ではないのだからと。
だが、そのような考えが『常識』として世界を支配する中、『それでも飛びたい』と考える者達もいた。
鳥のように空を飛びたいと願い挑戦する者たちを、周囲は嘲笑った。
そんなことは出来るわけがないだろう、愚かなやつめ、と。
彼らを馬鹿にするのが多数派で、『正しい』時代があった。
だが、挑戦者たちは編み出したのだ。
鳥やハーピーやドラゴンのように、空を舞う魔法を。
いつだって、時代を進めるのは、多数派に否定されながらも努力をやめない不屈の挑戦者だ。
彼らは諦めない。試行錯誤し、創意工夫を凝らし、這うような速度だろうと確実に、目的まで進み続ける。
レメ殿も、同じなのだ。
魔王ルキフェルとそれ以外の間には、天と地ほどの差がある。
対峙するまでもなく分かりきった事実。
だがレメ殿は、それを正しく理解した上で――『ならば空を飛ぼう』と考える者なのだ。
「なんてことだ……」
どう考えても、レメ殿は天才ではない。人間としては平凡な個体だ。魔王ではない。勇者ではない。
世に選ばれし者がいるのなら、彼は選ばれなかった者だ。翼を持たず生まれた者だ。
だからこそ、彼は進み続けた。
彼が持つ特別性とは、そこにあるのだ。
意志だ。意志だけだ。
不屈の意志が、世界に否定され続けた【黒魔導士】の青年を、これほどの高みまで引き上げた。
その心の強さこそが、我が父の心さえも動かしたのだ。
――私では、ダメなわけだな。
父を自慢に思い、憧れるところで、止まってしまった私には。
だって、父に勝ちたいだなんてそんなこと、考えたこともない。
今、楽しそうに拳を振るう父を見て、ようやく気づいてしまった。
最強の魔王が敵となっても、それを倒す為に迷わず進み続ける者。
そして、何がなんでも、それを実現する者。
それこそが、父の求めていたものだったのだろうから。
「ありがとう、レメ殿」
夢を追う、その意志だけで不可能を可能とする者よ。
君のような者を、どう呼ぶべきかは、もう分かっている。
だが、それを口にすべきは、私ではないことも分かった。
少なくとも、私より先に、彼にこの言葉を投げかけるべき者が、きっと沢山いる筈だ。
◇
すぐさま関係者用のリンクルームから廊下へ出ると、同じ考えだった者達と遭遇。人間も亜人も関係なく、我々は急ぎ会場に上がる。
リンクルームに備え付けられた小型
階段を駆け上がると同時、そこである人物に出くわした。
「あぁ、来たかお前達」
世界ランク第二位――【漆黒の勇者】エクス氏と、【先見の魔法使い】マーリン氏だ。
彼らはこちらに気づいたが、視線は戦場から離さない。
我々もそのまま、友の戦うフィールドへ目を向ける。
生まれた時から共にいた幼馴染が、今日初めて見せた姿で戦っている。
それを見たマーリン氏が、実に楽しげに語りだす。
「さすがはレメだ。人の身で深奥に至るとは。いやはや、盲点だったよ。人が黒魔術を使えない道理がないように、人が精霊術を使えない道理もない。勝手に名前をつけて、違うものだとカテゴライズしたのは、所詮過去の人間だ。精霊がいなければ使えない、だと? 何故それが未来永劫揺らがないと信じられる? 感謝するよレメ。君のおかげで、私は更に精霊に近づけるだろう」
ただでさえ、四大属性で魔法の極み――天底級魔法に到達した彼女が、レメを見て更なる可能性を見出したようだ。
「はっはっは、それは楽しみだな。まったく、彼はいつも俺たちに気づきをくれるね」
そう笑うエクス氏の声は、とても柔らかい。
その横で、エアリアル氏が口を開く。
「今、世界最強の男が、一人の青年を倒すために全力を出している。羨ましいよ、レメ。君がとても羨ましい。そして、分かるよルキフェル殿。彼を前にすると、楽しくなってしまうんだよな」
【嵐の勇者】エアリアルが。
「そういえば、俺はレメさんとちゃんと戦ったことないんだよな。どっかの不死鳥に邪魔された所為で。これが終わったら、頼んでみないとね」
【湖の勇者】レイスが。
彼と共に戦った者、この試合を観に来た者全てが。
先程まで彼を否定する言葉を吐いていた観客達まで含め、全員が。
世界最強との戦いの果てを目撃すべく、フィールドに釘付けになっている。
この中に、結果が分かりきっているなんて顔をしている者は、いないだろう。
「レメさん……貴方は、初めて逢った時から、私の――」
祈るように手を合わせるミラ嬢が何を言いたいか、私にはよく分かった。
幼い頃、色んなことがとにかく怖くて、何か言いたくても中々言葉が出てこず、みんなの輪に入ることが出来なかった自分と、友達になってくれた少年。
村のイジメっ子たちが徒党を組んで襲ってきても、決して諦めず、ボロボロになって立ち向かった頃と、何も変わっていない。
あの頃からずっと、君は自分が決めた生き方を貫いている。
君は、その存在を目指し、なると公言していたけれど。
気づいていなかったのかい。
君は最初から、ずっと――。
「――勇者」
誰が言ったかは分からない。
けれど、それを口にしたのは一人二人ではなかった。
私やミラ嬢を含め、多くの者が彼を見てその言葉を漏らした。
【黒魔導士】の、
心震える者たちが、会場には大勢いたのだ。
彼は私の勇者で。
ミラ嬢の勇者で。
そして――。
「レメ、勇者を救う勇者よ。君は今日、魔王を倒し、魔王さえも救う勇者になるのだね」
エクス氏が言うように。
勇者を救う勇者であり。
魔王を救う勇者となる。
「レメ。君に負けたことで一度は封印した言葉を、もう一度言わせてくれ」
【赤角の魔王】と拳を交わす親友に向け、私は言う。
「私達の戦いに敗北はない――そうだろう?」
だからどうか、勝利を。
◇
紅の鎧角に覆われた聖拳が、同じく師匠の紅の拳と激突。
眼の灼けるような火花を散らせながら、拳同士が鈍く重い音を立てる。
互いに翼からの推進力を得ている為に、僕らは中空で止まっているかのように拮抗していた。
だがその均衡は長くは続かない。
「う、おおおお……ッ!!」
魂の底から絞り出すように声を上げ、拳を振り抜くべく力を尽くす。
刹那。
師匠の拳が上に弾けるようにしてズレたことで、僕の拳のみが突き進む。
聖拳は目標
僕の聖拳は、間違いなく師匠の胸に風穴を開けた。
そして
「ッ……!?」
全身が砕けるほどの衝撃が背中を襲う。
一体何がと考えた瞬間には答えが出ていた。
僕は、師匠の攻撃を弾いたのではなかったのだ。
師匠は――敢えて僕の攻撃を受けることにしたのだろう。
そうして己の両手を空け、僕が攻撃をしたその瞬間に手を合わせ、まるで槌のように振り下ろした。
肉を切らせて骨を断つような手を、最強の魔王が選ぶとは。
いや――それが最善の策になるほどの状況だということだ。
そこまで、最強の敵に迫れていると考えるべきだ。
一撃で大陸を割るような攻撃だが、僕はまだ生きている。
二対四枚の翼の内、上の二枚は、何があってもいいように背中を守るべく畳んでいたからだ。
師匠の攻撃によってバキバキに砕け散ってしまったが、まだ二枚、残っている。
魔力、噴射。
師匠の胸を貫いたまま、魔力空間を飛翔する。
移動ごとに、先程展開した『発動前の黒魔術』が師匠の全身に触れ、その魔力を蝕んでいく。
やがてその身を守る魔力が不足してきたのか、師匠の翼がボロボロと崩れていった。
だが翼を失ったのは彼だけではない。
胸に拳大の穴を
飛行を制御する術を失った僕らは空中でもみくちゃになりながら、やがて弾かれるように離れていく。
もう、翼を生み出すことはできない。
だが魔力噴射だけならば、鎧角のどの部分でも技術的には可能。
お互いに己の肘、足、手などから魔力を噴射し、姿勢を制御。
「どうした、儂は死んでおらんぞ。魔王一人殺せず、勇者を名乗るつもりか」
タッグトーナメント決勝で、心臓を貫かれたフルカスさんがしばらく動き続けた時にも驚嘆したものだが、師匠はそれ以上だ。
胸に空いた穴から向こう側が見えているというのに、まだ普通に話している。
どういう生き物なんだ。
しかし、不思議と納得している自分もいた。
普通に死ぬ師匠というのは、上手く想像が出来ないから。
ならばもう、その身ごと消し飛ばすような一撃を用意する他ない。
翼を失ったことで、僕らは先程までの自在な飛行技術を失った。
これから出来るのは、直線的な加速のみ。
どれだけ師匠が頑丈でも、死なないわけじゃあない。
問題は魔力だが……。
『あぁ、やれるさ』
全方位に展開していた『未完成の黒魔術』の内、師匠に触れなかったものに新たな命令を与え、己の右腕に掻き集める。
紅い聖拳が黒い影に包まれた。
そして自分の鎧角の内、右腕以外を全て解除。というより、それらを右腕に集約。
既に崩壊した右足が欠けているが、構うものか。今は空中だ。
見れば、全身が消えかけている。
古い
ズズズ……と身体がブレているのが分かった。
身体を維持するのにも限界なのだろう、
『……秒読みにきているよ』
ダークもこう言っている。
残された時間は、それほどまでに短いということ。
拳を構える。
「今日、ここで、勝つのは
「いついかなる時であっても、儂より他に、勝者はない」
師匠も同様に、全魔力と鎧角を右腕に集中していた。
そして、『魔神の跫音』も纏っている。
エアリアルさんとエクスさんの戦いで見た、あの技に似ているかもしれない。
ならばこの状態を、鎧角一極とでも呼称すべきか。
そのような思考を最後に、戦場に残った二人の姿が掻き消えた。
肘より魔力を解き放ち、この拳を敵に届ける為だけに一瞬を生きる。
瞬きほどの時間を更に刻んだような刹那、僕らは最後の衝突を行う。
星の爆ぜるような音と衝撃を周囲に撒き散らしながら、何故か師匠の顔だけが鮮明だった。
――あぁ、なんて楽しそうな顔をしているんだろう。
でもきっと、僕も同じ表情をしているに違いない。
永遠に戦っていたい気持ちと、勝ちたいという気持ちが同じくらい胸中を埋め尽くしている。
師匠、貴方の教えのおかげで、これまで沢山仲間を勝たせることが出来ました。
師匠、貴方に貰った角の力で、どうしても勝ちたい相手に勝つことが出来ました。
そして、師匠。
今日、僕は、貴方に――。
『魔神の跫音』同士が互いに絡み合い、どちらも術者を殺さんと敵へと迫り、視界が暗転する。
僕も師匠も漆黒の影に包まれていく。
「よき
どんな顔でその言葉を口にしたのか、僕には見えなかったけれど。
その声はとても柔らかかった。
それはきっと、今日のこの勝負のことだけではなくて――。
――『長く険しい
僕の、これまでの戦いの日々を指してのことなのだと、そう思えた。
「――――ッ」
僕も何か言いたかったけれど、そんな余裕はなかったようで。
『――刻限だ』
最後に、相棒の声が聞こえた。
◇
「――師匠!」
目が覚めると、『繭』の中。
精神が生身の肉体に戻ったのだ。
ゆっくりと開く『繭』を焦れったく思いながら、開いた瞬間に外に出る。
部屋の中を見回し、会場の様子を映す小型
フィールドには、誰も残っていない。
僕は当然のこと、師匠もだ。
つまり、あの人も――退場したのだ。
では――。
「どっちだ!」
急かすような僕の声に応えたわけではないだろうが、カメラが会場に設けられた巨大スクリーンに向けられる。
最後の瞬間をスロー再生し、勝敗の判定を行うようだ。
今日に限らず、高速戦闘は常人の目で追えないことも珍しくないので、投稿動画や
映像が流れ始める。
僕と師匠の身体が互いの深奥に触れ、影に包まれ、互いの身体が急速に死に向かう。
そして、影が晴れたその後。
――あぁ。
一瞬。それよりも遥かに短い差ではあったが。
師匠の方が、早く消えていた。
『……ふふっ。いえ、失礼。映像の通り、勝敗が決しました。全天祭典競技最終段階「血戦領域魔王城」、最後に残っていたのは【隻角の勇者】レメ選手。よって勝者は――挑戦者たちとなります!』
フェローさんが、戦いの結果を発表し。
会場が、一瞬の静寂に包まれ。
直後、爆発するような歓声が響いた。
「は…………ははっ」
思わず身体から力が抜け、床に膝をついてしまう。
『相棒!』
ダークが壁を通り抜け、部屋に入ってくる。
フィールドからこちらまで飛んできたのだろう。
『勝ったんだ! 君の勝ちだ! わーっはっはっは! 見たか愚か者共! わたしの推しが世界一~~! 君らが長らく嘲笑っていた【黒魔導士】は、時代を先に進める者だったのだと分かったか~! ふんっ、せめて奴らに、自分の目が節穴だったことを認める潔さがあることを祈るよ!』
ひらひらと舞う彼女は、実に楽しげ。
だが僕は、上手く彼女の方を見られない。
滲む視界の原因、心の奥底から這い上がってくる涙を押し
それも結局は失敗して、生身の黒い瞳から、涙がボロボロと溢れ出てしまう。
あぁ、泣いてはいけないのに。
そんな軟弱者では、師匠に破門されてしまう。
だが、こればかりは抑えられなかった。
『……泣いているのかい、相棒』
近くに来たダークを、僕はそっと抱き寄せ、頬ずりする。
『~~~~っ』
「あぁ、泣いているよ。し、師匠に褒められて、嬉しくない弟子なんて、いないからね」
ダークは何やら固まっていたが、やがてぎこちなく、僕の頬に両手をぴとりと当てた。小人サイズの彼女が抱きしめ返そうとしたら、そうなるのだ。
『そうだね。君は、とっても頑張った』
「ありがとう、ダーク。君が力を貸してくれたおかげだ」
そして、共に戦ってくれた全ての人々のおかげだ。
『そこは「ダークたん」でしょ』
「ふふっ」
ここまでいつも通りだと、もう笑うしかない。
だが、次に口を開いたダークは、とても真面目な声をしていた。
『レメ。君は普通の人間だ。天に憧れ、天に届くまで諦めない心を持っただけの、ね。その不屈の努力こそが君という個の持つ輝きであり、君の存在そのものが、人という矮小な存在が秘める、無限の可能性の証明なんだ』
そう言いながら、ダークが僕の頬をさすり、小さな手で涙を掬ってくれる。
『君の不屈は君を高みに押し上げただけではない。君に関わる人々の心をも打った。君の生き様を愛おしく思った者が沢山いて。そうした人々の力までも乗せて、今日、君は不可能を可能にした。わたしの可愛いレメ。今日、君は、世界で一番――勇者だった』
「……ありがとう、相棒」
『これからも、楽しい生き様を見せておくれ、相棒』
彼女は悪戯っぽく言い、いつも通りの雰囲気に戻る。
「うん、頑張るよ」
『ところで君、泣いたら破門じゃなかった?』
この精霊は、どうやら僕と師匠の過去まで覗き見たようだ。
僕がジト目を向けると、おどけた顔で肩を竦める。
僕は彼女から手を離した。
『あ~。そんなっ、デレ期が終わった……!? ま、またくるよね?』
「ダーク」
『うっうっ……なんだい』
「僕が泣いていたことは、師匠に内緒にしてくれるかい?」
嘘泣きする彼女に向けて言うと、精霊は一瞬きょとんとして。
それから、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
『……ふふふ。あぁ、いいとも。神秘の精霊の名に掛けて、君の涙を世界の秘密に加えよう』
この日、世界最高峰の実力者たちの力を結集し、世界最強の魔王を、倒すことに成功。
僕個人では、決して掴めなかった勝利。
もう一度やれと言われても無理だろう。
僕一人が、師匠よりも強いだなんて思う人はいないだろう。
フェニクスとの第十層戦の時よりも、ギリギリの勝利だった。
それでも構わない。
世界そのものと相対しても勝ってしまうような、あの師匠を、倒すことが出来たのだから。
『あー、折角の推しとの二人きりの時間が……』
ダークの声の直後、なにやら廊下が騒がしくなったかと思えば、リンクルームと廊下を繋ぐ扉が勢いよく開かれ、フェニクスやミラさんなど、共に戦った人たちが雪崩込んできた。
僕は自分の頬がもう濡れていないことを確認してから、みんなに笑顔を向ける。
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