第240話◇血風驟雨の中を踊る1
人がかつて怪物と呼んだ様々な種族には、弱点といわれるものがある。
しかし、これは大きく二つに分けられると僕は思う。
一つは、本当の弱点。
どんな攻撃も通さないドラゴンと戦った者が、敢えて口の中に飛び込んで体内から攻撃を食らわせたら倒せた。中身までは堅くなかったのだ、みたいな。
一つは、幻想の弱点。
遭遇すれば抗うことの出来ぬ脅威が日常に潜んでいると恐れた人々による、迷信めいた対抗策。
対策を講じているから自分は大丈夫、襲われない……と安心するためのもの。
吸血鬼は、これが特に多かった。
ほとんど人と変わらぬ容姿をしながら、血を操り、変化の能力を持ち、凄まじい身体能力を有し、人の生き血を啜る。
昔の人の中には、隣の者が吸血鬼か人か分からず震える者もいたのではないか。
吸血鬼は水を嫌う、というのは幻想の弱点だ。
だが、レイスくんの降らせた雨は
「ふふっ。今日は厄介な【黒魔導士】とよく当たるようです」
優雅さを感じる扇情的な黒のドレスを雨に濡らしながら、【吸血鬼の女王】カーミラは微笑する。
彼女たちはつい先程、【黒魔導士】五人のパーティーと激突、これを壊滅させた。
「……彼らは強かったですか」
「えぇ、とても」
「でしょうね」
弱いわけがないのだ。
彼らは並の【黒魔導士】ではない。
【勇者】がいないと冒険者としてはパーティー登録出来ないから、普段は別の仕事をしているのだろう。
そうしながら仲間同士で集まり、互いに黒魔法を掛けるなど鍛錬しながら、各々の
【黒魔導士】が剣を覚えたいと思ったところで、教えてくれる者など滅多にいない。道場など向かったところで門前払いがほとんど。
だからきっと、独学だ。
そういう意味でも、僕は恵まれている。
師匠がいた。フェニクスがいた。疎まれてはいたが仲間がいた。剣の師にも巡り会えた。
全ての人が、熱意を力に変えられるような、そんな環境を手に出来るわけじゃない。
苦渋の時をどれだけ過ごしたか。彼らはついに戦う機会を得て、予選を見事突破した。
彼らは強い。
けれど、僕はカーミラパーティーと戦う未来しか想定していなかった。
それは――いや、今は目の前の敵に集中すべき。
「今度も、こちらが勝ちますよ」
カーミラの言葉に、僕は微笑みを返す。
「それはどうでしょう」
改めて、両者のパーティー構成を比較。
レイスパーティーは【湖の勇者】レイス、【破壊者】フラン、【鉱夫】メラニア、【白魔導士】ヨス、【黒魔導士】レメの五人。
現代の冒険者的常識を無視した構成で、サポート枠が二人なだけでなく種族も重視していない。
多彩な魔法に攻防自在な立ち回りを得意とするリーダー・レイスくんと、圧倒的攻撃力を持つフランさん、同じく一撃一撃の威力が高いサイクロプスのハーフ・メラニアさん――彼女は仲間を守る役目も担う――そして仲間を白魔法で支援しつつ自らも耐久力には自信アリな鬼のヨスくん。
そこに、聖剣を持った【黒魔導士】の僕が加わる。
バランスは良いと思う。黒魔法白魔法が視覚的に地味なのはどうしようもないが、その分他の三人の動きは派手で見栄えがいい。
予選のおかげでサポートの有用性が示せたし、なによりも仲間が僕を認め、必要としてくれているのが嬉しい。
年若い者が多くまだまだ成長途中という感じだが、充分に強いパーティーだ。
そしてカーミラパーティーはというと――。
「カーミラ様、ここはわたくしめにお任せを」
と、短髪の男性が言う。
相手側は異名アリの魔物が三体。【吸血鬼の女王】カーミラ、【串刺し令嬢】ハーゲンティ、【魔眼の暗殺者】ボティス。
そして、吸血鬼の男性が二人だ。
彼らに限らずカーミラ直属の吸血鬼は自らを豚と自称し、名乗らない。
副官魔物のハーゲンティさんだけが例外なのだ。
ただしカーミラ以外に豚と呼ばれると静かに激怒する。
今回は便宜上、血を操ることに長けた【操血師】の長髪さんと、再生能力がより優れた【半不死】の短髪さんと脳内で呼び分けよう。
ちなみにカーミラとハーゲンティさんも【操血師】だ。
今回は、変化能力が優れた【変生者】持ちはいないことになる。
「【半不死】のわたくしであれば、人間共が降らせた雨の影響も最小限で済みましょう」
「この雨を止ませることが、貴方に出来て?」
部下の提案に、カーミラは冷たい言葉を投げかける。
それだけで、短髪さんは濡れた地面に膝をついて謝罪した。
「……いえ。女王様のお役に立とうと、気が逸りました……!」
「そのようね。良かったわ、一人で出来るなんて囀ろうものなら、まず貴方の処分からしなければならなかったもの」
確かに【半不死】ならばこの雨は効きづらい。
だが彼だけで特攻し、レイスくんに雨を止めさせるほどの負担を掛けることは――きっと出来ない。
吸血鬼は恐ろしく頑強な生き物だけれど、ここには【勇者】と【破壊者】がいるし、サイクロプスのハーフや鬼だっているのだ。
あからさまに罠が張られてるのなら警戒が先。
無視して飛び込んでどうにかなるのは、一部の例外的強者だけだ。
「見事ですわ、【黒魔導士】レメ。そして【湖の勇者】レイス」
カーミラはまるで舞台の演者のように、腕を広げてみせる。
どのようなことが起きているのか、観客に説明するように言葉を紡ぐ。
「通常、吸血鬼対策と言えば狭所を選択するもの。このような広場では、我々の機動力が存分に発揮されてしまいますから。
そう、水は吸血鬼の弱点じゃない。
でもこの雨は効く。違いは何か。魔力の濃さと、魔法であるということ。
魔力は人間の体内で生成されるだけではなく、世界を漂うもの。
極微量ではあるが自然の雨にも含まれる。
で、肝心なのはここから。
「我々吸血鬼が得意とする『血の操作』とは、己の魔力で血液に干渉するもの。体外にて血を武器とする場合も、絶えず命令を出し続けているわけです」
そこに他者の魔力や魔法式が混ざると、命令が上手く血に伝わらず、操作が乱れてしまうのだ。
「この雨は、その命令を妨害してしまう。濃い魔力の滲んだこの雨に触れることで、血の操作に支障が出てしまう。あぁ、なんと酷い話でしょう」
一生懸命絵を描いているところに水を掛けられ、インクが滲み紙がふやけてしまうような。
吸血鬼の思い描く理想の形を、この雨は崩してしまうのだ。
瞬間的な魔法との激突の場合は、その都度魔力を多めに巡らせるなどで対処が可能。
だが、このように間断なく雨粒が周囲を叩いている状態では、そうもいかない。
僕という【黒魔導士】を警戒しての
僕とヨスくんの魔法も雨の影響を受けてしまうが、これについては考えてある。
とにかく。【湖の勇者】レイス、【黒魔導士】レメという二つの駒と、雨を遮るものの無い広場という空間が揃っただけで、人を超越した吸血鬼の集団が立ち止まり、迷うだけの場が完成している。
「お見事という他ありません。大変に苦しい戦いを強いられることになったでしょう」
彼女はただ僕らを称賛したいのではない。
実際、彼女の言葉は更に続いた。
「――敵が我々魔王軍でなかったら、の話ですが」
それは緩慢にも急速にも見えた。
血だ。
それは箱から滾々と湧き出ている。
「あ、あれはっ……!?」
その正体を知っているヨスくんが、驚きの声を上げる。
漆黒の箱。
形は変わっているが、以前オリジナルダンジョン攻略時に発見された魔法具の一つ。
『途方もない容量の水筒』だ。
中に幾らでも液体を入れることが出来、かつそれは劣化しない。
ミラさんはそれを交渉の末、買い取ったのである。
『水筒に見えないね、まるで箱だ。かなりデコったなぁ。ていうか改造?』
ダークが何か言っている。
【吸血鬼の女王】が水筒を持っている絵面はなんというか、可愛すぎる。イメージが崩れてしまう。なので携帯性を落としてでも、それっぽく見せる必要があったのだろう。
カーミラは水筒ならぬ箱を自分では持ち歩かず、先程も部下が捧げるように差し出したのを受け取っていた。
『……多くない? ゲットした時期から考えるとかなりのものだね。重めのオタクちゃんが毎夜自分の身を切って水筒に血を溜めてたかと思うと、なんか怖いね』
……少し静かにしていてくれないか。真剣勝負の最中なんだ。
すると、ダークはとぼけたように可愛く『ピッ?』とひよこみたいに鳴いた。
僕はこいつを無視することにして、意識を戦いに集中する。
確かに、多い。かなりの量だ。まるで洪水のように――待て待て、こんなのおかしい!
「珍しい。貴方ほどの方が驚かれるとは。良いものが見れました」
広場が血の海に侵されようとしていた。
毎日コツコツと溜めていたとしても、彼女一人分ではとてもこんな量には――そうかッ……!
――『敵が我々魔王軍でなかったら、の話ですが』。
「……魔王軍の魔物の血だ」
彼女は自分の血を長年吸わせた吸血蝙蝠を使役し、その蝙蝠たちが吸った血をも操る。
生身の魔王軍の魔物の血を吸血蝙蝠に吸わせ、その血も一緒に溜めたのか。
今回敵となり得る僕や他の四天王にバレぬよう、秘密裏に事を進めて。
これまでは血液の保管に問題があったが、水筒の入手によってそれが解決した。
今の彼女だから出来る芸当。
「御名答」
視界を埋め尽くさんと迫る赤、赤、赤。
「あはは……! 細々とした操作を阻害する雨が降ってるなら、大雑把な命令で十分な攻撃を繰り出すか! やるじゃん、面白いよおねーさん」
レイスくんの言った通り。
この雨は吸血鬼の驚くほど繊細な血液操作を邪魔する。
精緻な絵は水を掛ければぼやけてしまうかもしれないが、たとえば黒い一本線を引くのを目的とされたら、多少滲んでも線は線として認識出来るだろう。
それでも思い描く絵を単純化しただけなら対応は容易だ。
しかし、単純化されたそれが圧倒的な制圧力を持つとなると別。
メラニアさん以外の四人は、この量なら溺れて死ぬこともある。
ただの水でもそうなのだ。
これが、【吸血鬼の女王】の支配下にあることを考えると脅威度は跳ね上がる。
全神経を集中しろ。一瞬も見逃すな。
敵のリーダーは、世界ランク第三位【魔剣の勇者】ヘルヴォールと相討った吸血鬼なのだ。
「レイスくん」
「分かってるよブレイン……!」
僕とヨスくんはメラニアさんの肩に乗せてもらう。
フランさんはレイスくんと共に動くようだ。
ヨスくんの白魔法は温存。魔力を練ることに集中してもらう。
「どんな量だろうと、液体なら――
レイスくんがショートソード型の聖剣を一閃すると、そこから凄まじい冷気が迸る。
僕らを呑み込まんと迫る赤き奔流は赤き氷塊と化し、そして――。
「……なるほど、すごいな【吸血鬼の女王】」
バキバキと氷塊に罅を入れ――即座に侵攻を再開した。
カーミラの魔力が染み込んだ血の洪水は、レイスくんの咄嗟の氷結では表面を凍らせるところで止まってしまったのだ。
彼女は表面部分を即座に捨て、残った内部の血液に命令を出した。
「坊やの冷気が足りないのではなくて?」
「言うじゃん」
氷塊から飛び出してきたのは血の円錐。レイスくんはそれを聖剣で斬り落とす。
しかし切断された部分から更に血が変化し、赤い茨となってレイスくんを襲った。
カーミラほどの者が大量の魔力を込めれば、雨の妨害もすぐには効果を発揮しない。
「美少年を茨で拘束とか良い趣味してんね」
レイスくんは咄嗟にそれを水球で包む。命令が遮断され、茨がインクのように水球の中で溶けた。
「悪いけれど、坊やじゃ昂ぶらないわ」
「あはは、レメさん狙いでしょ? やらせないよ」
「貴方の許可は必要ないの」
「いやいや、俺の仲間だから」
「私の標的よ」
「横暴な女王さまだなぁ」
「活きの良い勇者さまですこと」
両者譲らぬ舌戦は、すぐに魔法戦へと戻る。
「――
「――――!」
【正義の天秤】アストレア相手にも温存した精霊の魔力を、レイスくんは迷わず行使。
瞬間、広場に深い冬が訪れた。
パリッ、パリッと地面に何かが跳ねて割れる音。
レイスくんの雨が精霊術の影響を受け、凍ってしまったのだ。
「『千年凍土』。この試合中、女王さまの血はデカイ氷だ」
規格外の血液量も、レイスくんの精霊術を前に一瞬で無効化されてしまった。
しかし、カーミラの余裕は崩れない。
「そう。ところで、あれが全てと言ったかしら?」
黒い箱からは、まるで無尽蔵とばかりに血が噴き出していた。
それを見て、レイスくんは楽しげに唇を歪める。
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