第195話◇温泉回ってやつ

 



 外に出ると、少し肌寒かった。


「ごめんなさい、寝ていましたよね?」


 申し訳なさそうに言うミラさんに、僕は首を横に振る。


「ううん、大丈夫」


「私がいなくても、よく眠れますか?」


 ミラさんが悪戯っぽく笑いながら言う。

 これが寮の自室なら、毎夜彼女が布団に忍び込んでくる。

 さすがにこの旅ではそんなことはないのだが。


「……あはは、どうかな。でも、寮の自分の部屋の方が安心出来るかも」


「ふふ、そうなのですね。私は、寂しいですよ。夜にレメさんがいないのは、寂しいです」


 微かに首を傾けて僕を見る彼女の表情が、あまりに美しくて。

 僕は言葉が出なかった。


 彼女はそれを見て微笑むと、話題を変える。本題に入った、と言うべきか。


「地元の方に教わった穴場スポットがあるのですが、行ってみませんか?」


「う、うん」


 二人並んで、歩き出す。

 少し経って落ち着いてきた僕は、彼女に尋ねた。


「穴場って、星空が綺麗に見えるとか?」


「えぇ、そうですね、そういった要素も兼ねているそうです」


 ……? その説明だと、主たる魅力はそこではないのか。

 僕らは村から離れ、山道を進んでいく。


「迷ったりしないかな?」


「あの子についていけば大丈夫ですよ」


 目を凝らせば、頭上少し離れた位置を吸血蝙蝠が飛んでいる。


「ですが、私達がはぐれてはいけませんから、こうしましょうか」


 そう言って、ミラさんが腕を絡ませてきた。

 近くに、彼女の匂いと熱を感じる。

 さすがにこういうことにも慣れてきた……と言えれば格好がつくのかもしれないが、今だにドキドキしてしまう。


「……ふふ」


「な、なに?」


「レメさんは可愛いなぁ、と。出逢った頃から、ずっと新鮮な反応をしてくださいます」


「……自分でも、どうにか出来ればと思うんだけど」


「いいえ、私は嬉しいのですよ。ずっと変わらず、私にドキドキしてくれているということなのですから」


 今日のミラさんは、やけに色っぽい。


「でも、私も同じなんです。助けていただいた時から、あの夜にお話ししてから、ずっと貴方にドキドキしています」


 月光を湛える赤い瞳は、同色の宝石よりもずっと美しく輝いて見えた。

 心臓の鼓動が彼女に聞こえてしまうのではないかと不安になるくらい、大きくなる。


「もうすぐ着きます。ほら、あそこです」


 山道から少し外れ、しばらく林の中を進むと、景色が開けた。


「……温泉?」


「はい。地元民のみぞ知る秘湯だそうです」


「へぇ……いい雰囲気だね。――あの、でもさ。え、もしかして……入るの?」


 というのも、露天風呂なのはもちろん、仕切りも何もないのだ。

 大自然が男湯女湯なんて分けてくれるわけもないのだが……。

 秘湯というだけあって人の手はほとんど入っていないのだろう。 


「入りましょう」


 実はミラさんが手提げのバッグを持っていて、少し気になっていたのだ。


「……」


「ダメ……ですか?」


 ……ッ。

 いつもならその言葉に屈する僕だが、ここはそう簡単には引けない。


「うぅん、よくないんじゃないかな、と」


「こんなこともあろうかと水着を持参しているのですが。これでもダメでしょうか……?」


 こんなこともあろうかと……??

 いや、僕の地元には子供が遊び場にしている流れの緩い川があったりして、その話は彼女にもしているので、時間が出来たら行こうと用意したのかもしれない。


「もちろん、レメさんの分も用意しています」


 もちろん???

 ……えぇと、着替えは――背を向けるとか目を瞑ればいいのか。

 タオルは――きっとこれも持参している。

 温泉ならさっき入ったし――だからなんだ。

 あれ……ここで断るには、僕が嫌とでも言わなきゃ理由が――。


「嫌……ですか?」


「……嫌じゃないです」


 そう、嫌ではない。嫌ではないけれど良くない気がして、断る理由を探していただけ。

 それが潰されれば、後は本音で対応するしかないのだ。


 そんなこんなで、脱衣。

 森の中で全裸になるって、かなり変な気分だ。近くの岩に、服を掛けておく。肌を撫でる空気にぶるっとしながら、水着を穿いた。

 先に入浴し、ミラさんに声を掛ける。


 目を瞑っておいた。

 温泉は少し熱いが、心地いい。ハズ。緊張してよく分からない。


「見ないでくださいね?」


「うん」


「とは言っても、少しは見てもよいのですよ?」


「……我慢するよ」


「ふふ」


 ぽふっ、しゅるる、なんて衣擦れの音一つでドキッとするのはなんでだろう。

 多分僕の時よりもずっと長い時間が経って、ミラさんの「着替えました」という声が聞こえた。

 ゆっくりと、目を開けて声の方を見る。


 ミラさんは、腰に飾り布のついた黒の水着を着用していた。

 当然だが、水着で隠れている部分以外は、その白い肌が惜しげもなく晒されている。


「どこか変ではないですか?」


 頬を染めた彼女がそんなことを言うものだから、僕は慌てて首を横に振る。


「に、似合ってると思う」


「ありがとうございます。レメさんに褒めていただけたので、悩んで選んだ苦労が報われました」


 髪が湯に浸からぬようにか、彼女は長髪を結んでいた。

 艶っぽい声を上げながら、彼女が温泉に入る。

 ミラさんがゆっくりと近づいてくる。それに伴う水面の揺れ一つに、やけに気を取られてしまう。


「気持ちいいですね」


「そう、だね。あと、開放感があっていいよね」


「はい」


「それに、月も綺麗だし」


「……吸血鬼的には、月光は強くない方がよいとされています」


「そうなんだ?」


「我々は夜目が利きますから、月の光は微かにあれば充分なのです。あまりに明るいと、獲物の側にも周囲がよく見えましょう? 狩りをする上で、好ましくないのですね」


「……なるほど」


 なんとも反応に困る話だった。

 もちろん現代の吸血鬼は人を襲って吸血などしないが、そういう時代があったのは事実。


 思わず、彼女の口に視線が向く。

 彼女はわざとだろう、牙を覗かせて笑った。


「貴方を狙う狩人の姿が、よく見えるでしょう?」


「月夜じゃなくても、【吸血鬼の女王】がその気になったら逆らえないよ」


「レメさんが本気で抗ったなら、伝説に謳われる真祖でさえ吸血は出来ないでしょう」


 なんとか、軽口を叩けるだけの余裕が戻ってきた。

 肩が触れ合う距離。

 湯の中で、ミラさんが僕の手に自分のそれを重ねた。


「レメさん」


「うん」


「もう数日したら、レメさんの故郷に到着しますね」


「そういう予定だね」


「オリジナルダンジョンは、村の近くに出現したとか」


「聞いた限りだと、森の一部がダンジョンに変化したらしいよ」


「村の方々が無事でよかったです」


「……うん、本当に」


「……その、私達は村の近くに拠点を作るとのことですが」


「うん」


「レメさんは一度、ご実家に顔を出されるのでしょう?」


「そのつもりだよ。あんまり時間はないけど、到着の予定時間的に翌日から調査って感じらしいから。その日の夜は話す時間あるかなって」


 ミラさんの声に、緊張が滲み始める。


「……わ、私もご挨拶させていただいても……その……」


「ん、うん。あれ、この話出発前にもしなかったっけ?」


「そ、そうなのですがっ。改めて考えると、どの立場でご挨拶すればよいのか、そもそもご迷惑ではないかと色々悩みまして……!」


 ……確かに、僕も悩んでいた点だ。


「エクス氏やマルグレットさん達は、冒険者時代の知人です。それに……人間ノーマルですし。……私は……レメさんの『何』として、ご挨拶すればよいのか、と……」


「うちの親は、亜人とかそういうの気にしないよ」


 言うが、彼女が伝えたいのはそういうことではないと分かっていた。

 僕だって、考えてはいるのだ。

 しかし、上手く考えがまとまらなかった。 


 しばらく、無言の間が続いた。

 ちゃんと伝えられるかは分からないが、言わねば。

 僕は口を開く。


「ミラさん」


「はい……」


「僕は、昔、自分が【勇者】になるって疑っていなくて。それは【役職ジョブ】が判明したことで、勘違いだったって気付かされた。それでもやっぱり諦められなかったんだ」


「……はい」


「師匠に師事して、他の冒険者志望者が育成機関スクールに通っている時も、師匠と二人で修行していた」


 育成機関スクールだって真剣に学ぶ場だ。しかし年頃の男女が集められ、数年を共に過ごせば色々ある。恋人が出来る者もいれば、そういったことはなくとも異性を意識する瞬間は訪れるものだろう。


 邪念とは言わないけれど、僕はそういったものが挟まる余地のない生活を送った。

 フェニクスと再会してからも、必死だった。


「僕は特別才能があるわけじゃないから、全部、、注がなきゃって思った。意識の全てを、冒険者稼業に向けるっていうか。鍛錬だったり、仲間の調子を把握したり、研究だったり……」


「はい、分かります」


 【黒魔導士】の僕が勇者を目指すと聞き、師匠は言ってくれた。

 長く険しい戦いになる、と。


 無理とか無駄とか無意味とか、世間が言いそうなことではなく。

 だから僕は、それに全身全霊で臨むつもりだった。


「だからってそれが、料理が下手だったり……恋愛経験に乏しい言い訳にはならないと思うけど。でも、まぁ、そういう感じでさ」


 忙しくとも、上手くやれる人はいる。

 僕がそうではないというだけ。


「はい」


 ミラさんは真剣に聞いてくれている。


「正直、最初はピンとこなかったんだ。反応、、しないわけじゃないけど、だからってすぐそれを恋に分類するのは違う気がするし……」


「……レメさんらしいですね」


 ミラさんは力無げに微笑む。


 それを口にするには、勇気が要った。


「僕は……僕はね、ミラさんが大事だよ」


「……!」


 ちゃぷ、と水面が動いた。ミラさんの肩が動いたからだ。


「それでね、カシュも大事なんだ」


「――」


 彼女の顔に浮かびかけた喜色が、消えていく。


「魔王様も、フルカスさんも、シトリーさんも、アガレスさんも、他の魔王城のみんなも、とても大切に思っている。最高の仲間だ」


「……はい」


「……フェニクスやエアリアルさんや、レイスくんもだね。僕を認めてくれる人達は、僕にとってとても得難い存在だ。もちろん家族も、師匠も」


「……えぇ」


 ミラさんが、重ねた手を離そうとするのが分かった。

 僕は、今度は自分から、それを掴む。

 彼女が驚いたような顔をした。


「そう考えた時にね、おかしなことに気づいたんだ」


「おかしな、こと?」


「たとえば、魔王様とミラさんのおかげで魔王軍に入れてもらったけど、同じ恩人でも、魔王様に抱いているのは敬意とか感謝が大きいな、って」


「……」


「カシュもミラさんも僕を応援してくれて、どちらもとても嬉しいけれど。カシュの応援に胸が温かくなるのと少し違って、ミラさんの応援には甘い痺れみたいなものがあるな、とか」


「……」


「こういうのを、なんて言うんだろう。『大事』にも、種類があるんだろうな。僕がミラさんに抱いているそれが、なんなのか。もう少しで分かると思う。もう、分かってるのかも」


 ミラさんと目が合う。瞳が潤んでいるように見えるのは錯覚か。


「はい……」


「でも、『親にどう紹介するか』なんて機会に追われて決めてしまうのは違うと思うんだ。だからさ、ミラさん。親には今回、とても大事な友人だって紹介するつもりなんだけど……どう、かな」


 ミラさんは、笑顔で頷いた。


「はいっ、光栄です」


 輝くような笑顔はしかし、すぐに妖艶としたものに変わる。


「――ですが、レメさん」


「うん」


 彼女の顔が、スッと近づいてくる。

 唇が触れ合う寸前で、それはズレて、彼女の口は僕の耳に寄せられた。


「あんまり待たせないでいただけると。私、そろそろ耐えるのも限界が近いのです」


 熱い吐息の後、彼女の牙が首筋に触れた。わざとだろう。

 ぞくり、と背筋が震える。吸血の快感を体が思い出したからだ。

 そんな僕の様子を見て、彼女が美しく微笑む。


 彼女は上機嫌で横に座り直すと、その頭を僕の肩にこてんと置いた。

 そんな接触で、僕はまた容易くドキドキしてしまうのだ。


「月の綺麗な夜も、悪くありませんね」


 そんな彼女の呟きは、湯煙に混ざるようにして、夜気に溶けていった。




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