第194話◇温泉回ってやつ?

 



 その日、僕らはとある村に泊まることになった。

 山越えの最中だったのだが、その村には――温泉があったのだ。

 夜。食事の後で温泉に行こうとしたところ、エクスさん・アーサーさん二人とご一緒することになった。


「おぉー」


 脱衣所を抜け、露天風呂に向かった僕は思わず息を吐く。

 石で作られた湯船に、湯気を上げるのは独特のにおいを放つ温泉。

 夜空には星が煌めき、澄んだ空気が心地よい。


「いい雰囲気じゃないか」


 【漆黒の勇者】エクスさんが入ってくる。鍛え上げられた肉体が眩しい。


「この地域では風呂に浸かって酒を飲むらしい。亭主に頂いたのだが、レメも飲むだろう?」


 【騎士王】アーサーさんはエクスさんと比べると細身だが、体はよく引き締まっている。


「そうなんですね、ではありがたく」


 明日がオリジナルダンジョンならば控えるが、旅はまだ続く。明日に響かない程度ならよいだろう。


「ふむ……それにしてもレメ、君はやはりよく鍛えているようだね」


「あぁ、【黒魔導士】でそこまで引き締めるのは大変だろう。勇者を目指すと言うだけはあるな」


 エクスさんとアーサーさんが感心するように言った。


「あはは……ありがとうございます。体が冷えちゃう前に、洗いましょう」


「ふっ、そうだな。そういえばレメは、俺の精霊術の特別な使い方を知っているか?」


「特別な使い方ですか?」


「おいエクス……」


「はは、いいじゃないか。格好つける相手もいない」


「……勝手にしろ」


 アーサーさんは苦笑してから、洗い場へと向かう。


「さて、レメ。俺の契約している精霊は、『影』を操る力をくれた。自分の影を自在に操り、物質化したり、あるいは敵の影を操ったりね。誰かの影を操る為には、自分の影で対象の影に触れる必要があったりするが、まぁ君なら知ってるだろう」


「はい」


「影を操るというのは中々難しくてね、魔法使い職なら魔力操作の難しさにたとえると分かりやすいと思う」


「あぁ、なるほど……」


 魔力は目に見えないし、特定の形があるわけでもない。これを自在に操るというのは、相当の鍛錬が必要なのだ。


「そこで俺は考えた。日頃から影を使えば、上達も早いのではないか、とね」


「そうですね、そう思います」


 そこらへんは、僕の黒魔法の修行法と似ているかもしれない。

 常に自分に黒魔法を掛けることで、魔力器官を鍛えつつ、魔法制御も鍛える、みたいな。


「長年の修練によって、俺の精霊術はこのレベルにまで達した……! 見よ!」


 エクスさんが大げさに腕を広げると、彼の影が動き出した。

 それは無数の腕となり、それぞれが素早く動く。


 石鹸を手にとる腕があった。何本かの腕がそれを泡立て、エクスさんを泡だらけにする。

 髪をわしゃわしゃと洗う腕もあった。それだけではない、桶を持ち、お湯をエクスさんに掛けてくれる。


「最早自らの手を使う必要もないというわけだ」


 技術的には凄まじいのだが、絵面がシュール過ぎて僕は――笑ってしまう。

 これでも結構耐えたのだけれど、影がシャンプーハット的な形で彼の頭にくっついているところで我慢出来ず噴き出してしまった。


「あははっ、エクスさん……いえ、すみませんっ、すごいです……とても」


「はっはっは……! ほらアーサー、ウケただろう」


「ふっ、幻滅されていなければいいがな」


「大丈夫さ。なぁレメ」


「えぇ、はい。あの……そろそろ、それ、その……」


「なんだ? 君も洗ってほしいのか?」


「自分で出来ますから……!」


 僕は急いで洗い場に向かう。

 それを見て、エクスさんはまた楽しそうに笑うのだった。


 そんなこんながあり、入浴。

 疲れが湯に溶け出していくような感覚に、ほぅと息が漏れる。


 ダンジョンを求めて街から街へ旅をしていると、毎日お風呂に入ることは出来なかったりする。

 濡らした布で体を拭いたりはするけれど、それも水の残量や目的地までの距離と相談してだ。

 冒険者業界には、半分冗談で『水魔法を使えるやつを一人入れろ』なんて言葉があったりする。

 いるかいないかで、旅の快適さは確かにグッと変わるだろう。

 フェニクスがいたから、火熾しは一瞬で済んだけど。


「うぉお、気持ちいいなぁ」


「あぁ、そうだな。ほら、二人も」


 木製のトレイがぷかぷか浮かんでいる。その上には特徴的な形の瓶と、小さな器が置かれていた。

 アーサーさんが瓶から器に酒を注ぎ、僕らはそれを手に取る。


「それじゃあ、乾杯」


 誰ともなく言い、器を掲げる。

 酒を口に含むと、清流を連想させる香りが鼻から抜けていく。


「うん、美味い」


 それから僕らは、他愛もない話をした。

 しばらくして、アーサーさんが先に上がると言い、風呂場を後にした。


 多分、そのあたりから。

 エクスさんの雰囲気が、少し変わった。

 ほんの僅かだが、翳のある表情を覗かせるようになった。


「レメ、君に訊いてみたいことがあったんだ」


「なんでしょう」


「出発前にも言ったが、君の頑張りに勇気づけられた者達は、君が思っているよりも多い。俺もその一人だ。不遇職でありながら、君の所属するパーティーは四位まで駆け上がった。四位だぞ。数万組いるパーティーの中で、上から四番目だ」


「……はい」


「確かに、それでも君を不要と言う輩は絶えなかった。それは業界における【黒魔導士】の立ち位置であったり、あまりに【炎の勇者】の輝きが大きかったからだったり、君の選んだ……サポートの仕方だったり、それらが重なった結果だろう」


 僕が四位に相応しい【黒魔導士】だと考えるより、【黒魔導士】がいても四位になれるくらいに四大精霊契約者が凄い、と考える方が自然。普通。楽。面白い。話のネタになる。


 三位までは、もうずっと変わっていない。

 逆に言えば、四位まではそこそこ入れ替わるのだ。

 スカハパーティーが、フェニクスパーティーに越されて五位に落ちたように。


 そういう事情もあって、冒険者ファンの間では不動の上位三パーティーに食い込むような者達が現れれば、そいつらは本物だ、みたいな認識があったりする。

 僕が三位以上を目指していたのは、それが理由の一つだ。


 だって、そうだろう。

 エアリアルパーティー、エクスパーティー、ヘルヴォールパーティー。

 彼らよりも上位になるようなことがあれば、いくら【黒魔導士】が混ざっていても文句は言えない。


 僕からすれば順位に関係なく強い人・尊敬出来る人は沢山いるが、分かりやすい成果があの時は必要だった。


「僕は、フェニクスと組んだことを後悔したことはないですよ」


「分かっているとも。訊きたいのは……抜けてしまった理由だ。君はてっきり、フェニクスと一位になりたいものだと思っていたから」


「そんなの――」


 なりたかったに、決まっている。

 いや、エクスさんもそれは分かっているだろう。


「エクスさんも分かるでしょう。説得は出来なかったし、他の三人を逆に追い出すとかは論外だ。足手まといの幼馴染を残す為に仲間を追い出す勇者なんて、誰が憧れますか」


 脱退後しばらくはアルバが色々語っていたこともあって、大体のところは一般人でも知っている。


「では、フェニクスの為?」


「――――」


 ハッとする。そうか、エクスさんが問いたいのは。


「……いいえ、違います。あれは、僕自身のための決断です」


「……うん」


「仲間を勝たせる勇者に憧れました。僕は【黒魔導士】だけど、パーティーの勝利に貢献することで、夢に向かって進んでいるのだと思いたかった。けど、脱退の日に気づいたんです」


 アルバの不満はいつものことだし――あの時はかなり本気だったけど――受け流すことも、もしかしたら出来たかも。耐えるのは慣れっこだ。

 それでも、あの日、抜けることにしたのは。


「自分がいることでパーティーがギクシャクしたり、残る決断をすることで最悪パーティーが壊れてしまうような、そんなやつが勇者ですか?」


「…………」


「僕が憧れた勇者とは、あまりに掛け離れている。だから抜けたんだと思います。挑戦を続けるために、必要だったんでしょう」


「そうか……」


 エクスさんは、湯を掬って自分の顔に掛けた。それからバシバシと頬を叩き、言う。


「君は、強いな」


「え?」


「俺は自分を恥じるよ。一瞬とはいえ、思ってしまった。君の脱退の報を聞いた時に、あぁ彼もまた諦めてしまったのかと、悲しくなった。タッグトーナメントで君を見た時は嬉しかったし、今回こうして組めるのも光栄だ。だが、あの時はどう考えていたのかと、気になっていたんだ」


「エクスさん……」


「黒魔法の見せ方についても、予想はつくよ。うちのマーリンも色々面倒なことがあったからね。俺やアーサーもだが」


 マーリンさんは、四大精霊並の魔法威力を出せる稀有な人材だ。

 エクスさんとアーサーさんは、四大精霊以外の精霊の加護を得ている。

 国からすれば、まともな【勇者】でないやつらが、強い力を持っているということ。


 国の監視がついていたとか、どこそこに危険視されていたとかの噂の他、根拠のない中傷が続いた時期があったことは有名。

 それらを乗り越えて、エクスパーティーは世界二位に立っている。


「だが、強いというのはそのことじゃない。レメ、君は――心が強いんだな」


 昔、師匠にも言われた言葉だ。

 大恩ある師に続き、尊敬する先達まで言ってくれた。


「俺は……弱い」


 彼の言葉は、女湯との仕切り越しに聞こえてきた声の所為で、よく聞き取れなかった。


「わー! 星が綺麗ですよお姉様!」


「あの……ですからお姉様はよしていただけると」


 困惑気味な声を出しているのは、ミラさんだ。


「ふーちゃん、シトリーが背中流してあげるね?」


「ん」


「それ何食べてるの?」


「温泉卵」


「ふぅん? なんか食べてるふーちゃん可愛い。シトリーが食べさせてあげたい」


「後で」


「わーい」


 シトリーさんとフルカスさんもいる。


「……皆様、大変豊満なことで……」


「ふっ、そんな顔をするなマル。乳の大小で人の真価は決まらん」


「ありがとうございます、マーリン様。ではどこで決まるのでしょうか?」


「魂さ」


「は、はぁ……なるほど?」


 マルさんにマーリンさんまで。

 他にも何人もの声が聞こえる。もしかすると、ある程度まとまって行こうと事前に話していたのかもしれない。


「ははは、女性陣は賑やかでいいね。あ、レメ、覗きはダメだぞ?」


「しませんよ……」


 苦笑する僕だが、先程のエクスさんの様子が気になっていた。

 今の彼は普段通り、穏やかでちょっとお茶目なところもあるエクスさんだ。

 さっき、彼は僕に何か話そうとしていたんじゃ……。


「ところでレメ、ミラ嬢とはどこまで進展しているんだい? おじさんに話してみなさい」


「えっ、いやぁ……」


 やんわり逃げようとしたが、体が動かない。


「君の影はもう踏んだ。逃げられんぞ、はっはっは」


 それからしばらく、根掘り葉掘り聞かれた。

 他の男性陣が入ってきたことで彼が「俺の精霊術の特別な使い方を知っているか?」と言い出し、先程のあれでまた笑いを誘ったあたりで、ようやく解放されたのだった。


 気がかりではあったが、彼の方に話す気がない状態で尋ねることはしたくない。

 僕らはそうして、旅の途中、一時の休息を得ることが出来た。


 ◇


 コツコツと、何かが窓を叩く音で目が覚めた。

 一人部屋ではなく、大部屋に何人もの調査員が寝ている。

 ゆっくり起き上がり、窓へと近づく。


 見ると、蝙蝠だった。吸血蝙蝠。ミラさんの亜獣だ。

 窓を開けると、眼下に美女がいた。


「少しお散歩しませんか?」


 月下に佇む、美しき吸血鬼の誘いに、僕は頷く。


「うん、今行くよ」



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