第153話◇第五層・夢魔と『誘惑』の領域(上)
「ふと思ったのですが」
第四層と第五層を繋ぐセーフルーム内にて。
【疾風の勇者】ユアンくんが口を開いた。
セーフルームと言っても四角い空間があり、その中央に攻略記録石の収まった台座がある簡素なもの。
あとは二つの扉。室内は安全で、魔物も襲ってこない空間――という設定。
それと
新緑のような色合いの髪をした十三歳の少年・ユアンくんの言葉に答えたのは、エアリアルさんだ。
「あぁ、どうしたんだい?」
「夢魔の領域は、扉の先がフロアボス戦です」
「フェニクス達の攻略時には、そういう構造だったね」
「夢魔は
【白魔道士】であるパナケアさんが抜けたことで、ユアンくんがランク一位パーティーに加入することになったのだ。
「ふむ。何か思いついたのなら、話してみてくれ」
ユアンくんは僅かに間を開けてから、言った。
「扉を開けると同時に、魔法を放つのはどうかな、と」
全員がポカンとする。
映像室の画面越しに彼らを見る僕も同じだった。だが、すぐに笑みがこぼれた。
うん、勝つことだけを考えたらアリだ。
「あはは、ユアンセンパイ、それっ、あはは。いいじゃん、面白いよ」
レイスくんが腹を抱えて笑っている。
ユアンくんは一瞬むっとした顔になったが、それだけだった。
「そう笑うものではないよ、レイス。視聴者の中にも、同様の疑問を抱く方はいるだろう」
「いやいや、俺はほんとに面白いと思って笑ったんだよ」
「まったく……。まぁ、今はよそう。それよりも、ユアン」
「はい」
「そういった視点は大事だ。誰が何を決めても、自分で最善を考える姿勢は素晴らしい」
「ありがとう、ございます」
「では、もう少し考えてみようか。どうして私達は、その案を手放しに称賛しないのだと思う?」
「それは……」
ユアンくんは一瞬、カメラを気にする素振りを見せた。
心なし小さな声で、続ける。
「エンターテインメントとして、好ましくないからでしょうか」
それもあるだろう。
扉あけてすぐ魔法をぶっ放し、はい攻略完了では味気ないどころではない。
ただ――。
「いや、視聴者は関係がない。冒険者と魔物双方で引いた線を、越える行いだからだ」
「……冒険者と、魔物で……?」
「魔物側の視点に立ってみようか。『勝つこと』のみを考えるのであれば、だ。そもそもが『セーフルーム』なんてものは邪魔だと思わないかい?」
「――――あ」
そう。冒険者達をただ倒せればいいのなら、不可侵の領域を内部に抱える必要はない。
もちろん、それが設けられた経緯はエンターテイメント化によるもの。
けれど大事なのは、魔物側がそのルールを守っているということ。
決して破ることなく、セーフルームの冒険者を襲わないこと。
「君の考えた策は、『向こうがこちらを攻撃出来ない状態で、扉だけを開けて撃滅しましょう』というものだ。いかに効率的であろうと、
勝つ為になんでもする、というのはアリだ。
だが今の策は、厳密にはルール違反。
彼だってよく考えれば分かっただろうが、つい思いつきを口にしてしまったのだろう。
ユアンくんは恥じ入るように俯いた。
「すみません、僕……」
「いや、自由な発想はいいものだよ。仲間を失わずに攻略を進めようと考えたのだろう? その気持ちは尊いものだ。ただ【勇者】ならば素早く深く、物事を考えなければならない」
「はい……!」
拳をぎゅっと握り、力強く応えるユアンくん。
「まぁ、全員入ってから魔法ぶっぱならアリだよね。タイミング的に
レイスくんの言葉に、エアリアルさんは苦笑する。
「それで攻略出来るのならば、よいのだけれどね」
「いやしかし、フェニクスくんのとこの動画観ましたけど、【夢魔】ちゃん達めちゃくちゃ可愛いじゃないですか? おれ、斬れないかもと思って……」
発言者は、スカハパーティーの【戦士】ハミルさんだ。
親しみやすい陽気なお兄さんという感じの人だ。
オンオフの境目が曖昧な人で、ダンジョンでも自然体なのが魅力でもあり、時に欠点でもあると言われる。
「あはは、紳士だねハミル。彼女たちは素顔を晒しているから、なおのことやりにくいだろう」
「そう! そうなんすよねぇ」
「ではここに残るかい?」
穏やかだが、厳しい声。
にやけかけていたハミルさんの表情が、固まる。
「い、いや……やります。冒険者ですから」
ハミルさんの返事に、エアリアルさんはニッコリと笑った。
「よく言った。よし、では行こうか」
そうして冒険者達は扉の向こうへと足を踏み出す。
復活権の行使はなし。
十一名が第五層に侵入。
残るメンバーと【
エアリアルパーティーは【勇者】エアリアル、【サムライ】マサムネ、【魔法使い】ミシェル、【錬金術師】リューイ、【勇者】ユアン。
ヘルヴォールパーティーは全滅状態。
スカハパーティーは【勇者】スカハ、【狩人】スーリ、【奇術師】セオ、【戦士】ハミル。
レイス&フランは【勇者】レイス、【破壊者】フラン。
うち、
マサムネさん、セオさん、ハミルさんは【
フランさんにも同じことが言える筈だが、彼女の場合は実力がいまだ未知数。
『とにかく強い』【破壊者】持ちに、果たして
「おかえりなさいませっ、ご主人さま~」
と、メイドさん達の声が重なる。
【夢魔】の魔法は実に厄介。
上手く対処出来ない仲間を庇いつつの短期決戦が基本戦法となる。
フェニクス達がやったのも同じだ。
「これは……中々」
マサムネさんが額を押さえる。
「パナさんに報告しておきますね?」
「……ミシェル、勘弁してくれまいか」
マサムネさんはパナケアさんの夫なのである。
「フロアボスいないじゃん」
自分に手を振った【夢魔】を始め、視界に映る者を片端から氷結させたレイスくんが言う。
フェニクス達の攻略を見て、ベーラさんの氷結が有効だと考えたのだろう。
ここの【夢魔】は角や羽根、尻尾があるとはいえ、仮面もしていない美しい女性だ。
退場させるほどのダメージを与える場面は、視聴者的に受け入れづらいものになりがち。
その点、ベーラさんがやった氷結――氷の中に閉じ込める――は攻撃でありながら、過激な印象を与えずに済む。
「構造を変えた、か……?」
『迅雷領域』によって生ける雷と化し、喫茶店のような室内を駆け巡るスカハさん。
一瞬の内に、残る【夢魔】の全てが
圧倒的制圧力を誇る、【勇者】の魔法。
「あのさ……ちょっといいかい? おれさ、なんともないんだけど」
ハミルさんだ。
「そりゃみんな倒したし。フロアボスはまだだけどさ」
レイスくんの答えに、ハミルさんは首を横に振る。
「そうじゃなくてさ、最初から、なんともなかったんだ。何も、感じなかった。これってさ――」
焦った様子のハミルさんを見て、全員が警戒を強めた。
「セオ……!」
「えぇ、リーダー! そういえば、ワタシも同様に問題なし! ですね。はてさて、これは一体?」
「フラン……も平気みたいだね」
「ん」
魔力量や魔法耐性に不安のある者ほど、
だというのに、三人がそもそも狙われなかった。
何故?
冒険者達の反応が速すぎたということはない。
現に一人、クラッときた者がいた。
「あー、これって……」
レイスくんの顔は笑みの形になっているが、いつもと違って余裕がない。
次の瞬間、耳をつんざく音があった。
金属同士のぶつかり合う音。澄んだようにも聞こえるその音は、刃同士の激突を知らせるもの。
「……懐かしいものだ。覚えているかい? 君が仲間になる前にも一度、こうして剣を交えたよな」
聖剣を抜いたエアリアルさんと切り結ぶのは――【サムライ】マサムネさん。
彼はカタナでリーダーに斬り掛かったのだ。
その瞳は虚ろで、明らかに正常な状態ではない。
それもその筈。
空間を埋め尽くすような数の【夢魔】達は、退場までの僅かな時間に対象を絞って
たとえば、アルバが戦闘中に自慢の魔法剣を触らせようとしたみたいに。
【夢魔】の誘惑はそれだけ強く、抗い難く、対象の認識を歪めてしまう。
深く掛かれば、盟友を敵と認識してしまうほどに。
そこから、連続して七度、音がした。
全て、一瞬の内のことだ。常人であればそのまま七度は死の傷を負う剣戟。
「相変わらず、素晴らしい剣技だ」
互いに傷はないが、下がったのは――エアリアルさんの方だった。
マサムネさんは、こと剣技に限れば【嵐の勇者】を凌ぐ実力者。
僕の剣の師匠であるフルカスさんでさえ、彼に敵うかは分からない。
「みな、マサのカタナの届く範囲には決して入らないように」
「他の子は倒したのに
ミシェルさんの声には緊張が走っている。
治癒魔法でたとえると分かりやすいかもしれない。
誰かが怪我をする。
それを【白魔道師】が治そうとするが、途中でやられてしまう。
でも、もう一人【白魔道師】がいれば、途中から治癒を再開することが出来る。
治った部分はそのままに、続きから治癒に入れるわけだ。
マサムネさんは心の奥深くまで、【夢魔】に入り込まれている。
ちょっとやそっとで正気に戻すことは出来ない。
「じゃあ、閉じ込めよう……あれ」
レイスくんの氷結を、マサムネさんは――回避した。
直後に氷は斬り砕かれ、エアリアルさんとの戦いを再開。
「速いじゃん。楽しくなってきたな」
「言ってる場合かレイス! さっさとフロアボスを探して倒さなければ!」
ユアンくんが叫ぶ。
「隠れてんじゃない? 【サムライ】って精神強いんでしょ。それをここまでおかしくするなら、維持に相当気を遣ってる筈」
「魔力で探すとか出来ないの? おれは感じないけどさ」
【戦士】のハミルさんは魔力を感じ取るのが得意ではない。それでも殺気や敵意などは機敏に察知してみせるのだが。
「
スカハさんはエアリアルさんに加勢出来ないかと機を窺いながら、言った。
ゆらり、と【狩人】スーリさんが動く。マントのフード部分で顔を隠す彼の正体は――エルフ。
それもフェニクスパーティーのリリーと同郷だという。
「……虫、か」
彼が弓を構え、矢を番えた。
向けられる先は――セオさん。
「おっと……! まさかスーリ殿まで
「……セオ、伏せろ」
スーリさんの短い言葉に、セオさんは即応。
迷わず地に伏せたセオさん。
彼が一瞬前までいた空間を、スーリさんの矢が通り過ぎ、壁に突き刺さる。
「スーリ、倒したかい?」
「……いや」
ハミルさんとスーリさんの短い会話。
それが終わる頃には、スーリさんの狙っていた存在が姿を現していた。
先程まで、何もいなかったというのに。まるで、突如出現したみたいに、それはいた。
【黒妖犬】だ。
床に伏せたセオさんの首を噛み切らんと牙を剥く【黒妖犬】の姿が、そこにはあった。
セオさんもさすがは手練、咄嗟に糸を展開しギリギリのところで防ぐが、それだけでは足りない。
【黒妖犬】が、至近距離で火炎を吐く。
セオさんが燃え上がった。
「……出てくる層が違くない?」
レイスくんが迅速に水魔法を発動。セオさんに大量の水を浴びせることで消火を試みる。
セオさんはなんとか立ち上がり、糸を再展開。
ハミルさんの『飛ぶ斬撃』とスーリさんの『神速』が【黒妖犬】を襲い、全て的中。
だが【黒妖犬】はなんと――霧化した。
「はぁ!? そんなんアリ!?」
驚くハミルさん。
セオさんの糸でも、霧の通過は防げない。完全に密閉すれば別かもしれないが、『網』のように展開している今の状態では無理。
「くっ……!」
セオさんは即座に糸を幾重にも身体に纏わせ、瞬間的に鎧の代用とする。
その意味は、おそらくあった。僅かではあっても。
霧から実体化したのは――【人狼】だった。
巨体から放たれる掌底はセオさんの腹部に炸裂、彼の身体が壁面に叩きつけられる。
再度霧化でスカハパーティーの攻撃を回避すると、セオさんの隣で実体化。
彼の身体を盾にするように回り込んだのは――【恋情の悪魔】シトリーだった。
「やっぱりこの姿が一番可愛いと思うんだよね。君達もそう思わない?」
ピンクの髪をツインテールにしたメイドさんは、可憐な笑みを湛えて言うと――セオさんの魔力を
セオさんの身体が魔力粒子と散り、それがシトリーさんの口の中へと吸い込まれていく。
退場だ。
シトリーさんは、変身能力を持つ豹の亜獣。
そして、別種族に変身した時、その種族の特性まで再現可能。
身につけたものも再現出来るが、これも変身の範疇。自分の体を衣装や装飾具に変化させているということらしい。
更に特別な点は、ものによっては特性
たとえば、羽虫になりながら
【黒妖犬】の状態で霧化を発動したり。
霧化から【人狼】に実体化したり。
「この子、【夢魔】じゃなかったの……?」
「フェニクスセンパイの時は瞬殺だったからね。違う能力があってもおかしくはない、か」
動揺するハミルさんと、軽く頷くレイスくん。
「みんなしてそんな熱い視線でシトリーを見ちゃって。確かに見とれちゃうくらいに可愛いけどね? あんまりジロジロ見るのは失礼だと思うなー」
「よくもセオ殿を! マサムネ殿を元に戻せ!」
「わぁ熱血。ユアンくん、だよね? 可愛い顔してるんだから、笑ったら?」
ユアンくんは黙って風刃を飛ばした。
三日月状の空気の斬撃がシトリーさんを裂こうと迫り――背後の壁を削る。
「……な、に?」
「あれ、下手っぴだね。ちゃんと練習した? それとも――黒魔法の所為かな?」
彼女の姿はまた変わっていた。
今度は――魔人。
漆黒のローブに金の意匠、闇を連想させる紫の布飾り。
頭部を覆うフードと、それを突き破る形で生える一本の角。
【隻角の闇魔導師】レメゲトンの姿が、そこにはあった。
ユアンくんの照準がズレたのではない。狙いをつける感覚を狂わせたことで、結果的に見当違いの方向へ魔法を飛ばしてしまったのだ。
魔法を構築する段階で
「魔王軍……参謀……!?」
「参謀くん、シトリーバージョンだよ」
彼女の再現にも限界はある。
その身体を構築するだけの魔力が足りなければ変身出来ない。また、特性についてはそれを使用する感覚を完全に掴めぬ限り、再現出来ない。
彼女は今紛れもなくレメゲトンの肉体を再現しているが、その能力全てを再現しているわけではない。
分かりやすく言えば、角の解放と黒魔術を持っていない僕という感じ。
「俺がやるよ。本人と戦う前の、いい練習になる」
「……わぁ、その言い方はすごく可愛くない」
レイスくんとフランさんの意識が、完全にシトリーさんに向いた。
緊張感のある場面だが、僕は少しだけ呑気なことを頭の隅で考えていた。
……あの、レメゲトンの格好でその喋り方は……ちょっと……。
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