第150話◇カーミラとミラ

 



「……ッ!」


 誰もいない映像室で、僕は一人拳を握っていた。

 ヘルさんの退場を目撃した瞬間のことだ。


 冒険者として、彼女を心から尊敬している。

 だが、今の僕は魔王軍参謀。仲間は魔物達。


 なによりも、今まさに世界ランク第三位の【勇者】を退場させたのは――カーミラなのだ。

 ミラさん、と言った方が良いかもしれない。

 僕にとっては恩人であり、友人であり、仲間であり、配下であり、ライバル。


 そんな相手が、人類トップクラスの強者を落としたのだ。

 我が事のように嬉しく思う。


 ヘルさんが万全の状態で、単なる一騎打ちだったならまた結果は変わっただろうが、これはダンジョン攻略。

 彼女自身が言っていたように、勝負が成立したなら、後は勝ち負けがあるだけ。


 引き分けという結果をミラさんがどう思っているか分からないが、少なくとも僕はとてもとても凄いことだと思う。


 正面きって戦うと厄介極まりない冒険者達を、策謀で弱らせた蛭の亜獣操作。

 そして、集めた血で他の冒険者を牽制しつつ、【魔剣の勇者】と繰り広げた見事な戦闘。

 魔王軍四天王の名に恥じぬ活躍だったと言えるのではないか。


「しかし、これで冒険者は残り十人……」


 復活権の付与は二体のフロアボス撃破ごとなので、今は一つ。

 使うなら、有力候補はヘルさんだろう。


 しかし、第十層までをここから無傷で攻略しても、復活出来るのは全部で五人なのだ。

 既に七人を欠いているので、『今回のレイド戦ではもう戦えない』人が最低でも二人出る。

 ……まぁ、考えすぎてもしょうがないか。


 誰が復活しても、全滅させる。誰にも魔王城の完全攻略などさせない。

 それが、僕たちの仕事なのだから。


 ふと、遠くから地響きのようなものが聞こえてくるような。

 いや、近づいてきている?


 ドドドドドドドドドド、みたいな音が、後半になるつれ大きくなっていく。

 そして、映像室の扉の前あたりでピタりとやんだ。


 ――誰か、慌てて走ってきた、とか?


 僕は外していた仮面を装着し、そっと扉の前まで近づく。

 魔力反応で扉の向こうが誰か悟る。


 しかし、何故止まっているのだろう。入ってくればいいのに。

 そう思い、ゆっくりと扉を開けてみる。


 すると、魔物衣装だが生身のカーミラが、仮面を外した状態で髪を整えているところだった。

 目が合う。


「れ、レメ……ゲトンさま」


「あ、あぁ」


 手ぐしを髪に通しているところを見られた彼女が、頬を赤らめる。

 僕は何を言っていいか分からず、とりあえず頭に浮かんだものを口にする。


「素晴らしい戦いだった」


「……! あ、ありがとうございますっ」


 ぱぁっ、と彼女の顔が明るくなる。


「部屋には、他に誰かが?」


「いや、我のみだ」


「入ってもよろしいですか?」


「あぁ、構わない」


 彼女を映像室に招き入れる。別に僕の部屋ではないけれど。


「ふふ、ずっと観ていてくださったのですか?」


「半ば趣味のようなものだ」


「あら、では冒険者の応援を?」


「まさか、魔王軍参謀だぞ」


「冗談です」


 いつものミラさんだ。

 他に誰もいないこともあり、僕は仮面を外す。レメゲトン口調にも慣れてきたが、やはり普段通りのものが落ち着く。


「それで、どうしたの? すごく急いでいたみたいだけど」


「え、えぇ……その、はぃ……レメさんがおられるかな、と」


 カーミラもミラさんに戻った。


「そ、そっか」


「そうなのです……ですが、よく考えてみると、自分でも何がしたかったのか……。ただ、繭で目覚めると、こう、身体が走っていたといいいますか……」


 ミラさんの気持ちが、僕にはなんだか分かる気がした。

 ただ、それを自分で言うのは自意識過剰なのではと思うので、口にはしない。


 ミラさんは自分の両手の指をくにくにと絡み合わせながら、俯きがちに言葉を紡ぐ。


「きっと……きっと私は、一番最初にレメさんにご報告したかったのかもしれません。そして、できれば喜びを分かち合えたら、と。きっと、そう思ったのでしょう」


 フェニクス戦後、僕は両親より先に師匠へと手紙を書いた。

 僕をあそこまで鍛えてくれたのも、角を継がせてくれたのも、師匠だ。


 何かを上手に出来た子供が、親に向かって駆け寄るように。

 自分の中の大切な体験を、すぐに伝えたい人がいる時もある。


 今回の戦いにおいて、彼女にとってそれは僕だったのだ。

 そのことを光栄に思うし……なんだか胸が熱くなるのだった。


「ありがとう。本当にすごかったし、ヘルさんとの戦いでは思わず拳を握っちゃったよ」


「……ふふふ、ありがとうございます。レメさんのおかげです」


「僕の? 何もしていないよ、ミラさんの実力だ」


「いいえ、レメさんと出逢えたから、今があるのです。もし二年前、貴方に逢えなかったら。私は前の職場で、日の目を見ることなく絶望の日々を過ごすだけでした」


「…………」


 彼女は前の職場で実力を正しく評価されず、冷遇されていたのだ。

 たった二年で魔王軍四天王に上り詰め、レイド戦で四人も退場させるフロアボスとなった彼女が、だ。


 ある一つの場所で成功出来なかったからといって、その人が無能ということには決してならない。

 ミラさんの努力が報われる場が与えられたことまで含め、僕はとても嬉しいのだった。


「それを言うなら、僕もミラさんに逢えたから今があるんだよ」


「レメさんなら、そう仰ると思ってました」


 ミラさんは控えめに笑みを浮かべた。


「前に、僕らはライバルだと言ったよね」


「! は、はい」


 彼女の表情に緊張が走る。

 今度は僕が、微笑んだ。


「今回の攻略を見て、改めてそう思ったよ。それに、焦った。フロアボスとしても、一人の魔物としても、僕も負けていられないな、って」


「~~~~っ!」


 その言葉は、彼女にとって喜ばしいものだったようだ。

 震えたあと、美しい顔を綻ばせる。目尻には、涙のしずくが。


「ありがとうございます……っ。私、頑張りました」


「うん」


「レメさんがすごい人なのは分かっていたけれど、ただ見上げるばかりではいたくなくて」


「分かるよ。僕も、負けたくないやつがいるから」


 フェニクスがいたからこそ、頑張れた部分が確実にある。

 自分を引き上げることが出来るのは、自分だけではない。明確な誰かがいることで、可能になる努力というものもあるのではないか。


「フェニクスですか」


 スッとミラさんが真顔になる。


「え、う、うん」


「……どうやら、私の努力の日々はまだまだ続きそうです」


「いやいや、あいつはほら、子供の頃から知ってるしさ」


「大丈夫ですよ、レメさん。これは私の問題なので」


「えー……」


 ミラさんのやる気が出たのならば、結果的には良いこと、なのかもしれないけど。

 うん、そういうことにしておこう。


「そ、それで、ですね。レメさん、今、思いついたのですけれど」


「ん?」


「私は今回、ぶた……部下達に、冒険者を倒したら褒美を与えると約束しまして」


「そうなんだ……あれ、そういえば彼らの士気が異様に高かったような……」


「結果的に役立ったわけですから、それに報いようとは思っているのですが」


 直接配下が冒険者を倒したわけではないが、彼ら彼女らの戦闘が大いに役立ったのは言うまでもない。

 戦闘に意識を向けさせることで、蛭に気づきづらくなった。

 それに、ハーゲンティさんはヘルさんの右腕を奪ったのだ。大戦果といえる。


「あぁ、すごく喜ぶだろうね」


「問題はそこなのです」


 そうなのだろうか。


「もしかして、こう、なんか変なご褒美を要求される……とか?」


「いえ、嫌なものは断るのでいいのですが」


 強い。さすがだ。


「部下は私の褒美に大層喜ぶでしょう。ですが、ですよレメさん」


「う、うん」


 ごくり、となんとなくツバを呑む僕。


「私もまた、頑張ったのです」


「……? うん」


 ぐいっ、とミラさんが顔を寄せてきた。


「頑張ったと思うのです」


「そうだね、素晴らしかったよ」


 さっきも似たようなやりとりをしたような?

 それとも、そう思えるだけで違う話なのだろうか。


「誰か、労ってはくれないものでしょうか」


 ちらっ、ちらっと僕へ視線を送るミラさん。

 ようやく、僕も話が理解出来た。


「あ、あぁ……! なるほど、うん。僕に出来ることなら、なんでも言って」


 出会って以来、仕事から普段の生活に至るまで世話になりっぱなしの僕だ。

 ご褒美とは違うけれど、お祝いをするつもりはある。


 ミラさんは微笑んだが、何も言わずに首を傾けた。

 あ、あれ……。何か間違えたかな。

 しばらく見つめ合う形になる。


 ……もしかして、彼女に欲しいものを聞いて叶えるのではなく、僕が自分で考えたお祝いを聞きたいとか、だろうか。


 欲しいものがあるなら伝えてもらった方が助かるとも思うのだが、人間関係は理屈だけで上手く回るものではない。


「えぇと……うぅん」


 悩み始めた僕に、ミラさんの目がキラキラし出す。

 ひとまず、僕の方から提案するのは間違ってないようだ。


「血、とか。飲む、かい? 僕の。その、美味しいと、言っていたし……」


 言っている途中で、どんどんミラさんの表情が険しくなっていくのが分かった。


「確かにレメさんの血は美味です。おそらく地上一の味でしょう。ですが、ただ吸えればそれでよいというものではないのです」


「そ、そっか……」


 まぁ、今のは我ながらなんだかなと思ったので、仕方がない。

 というか、僕はいい加減認めねばならないだろう。


 ミラさんは、レメを好いてくれている。


 それを隠さず、だけど僕の意思を尊重してくれているのだ。

 そこを認めた上で、彼女が喜んでくれそうなことを考えねば、今回の正解には辿り着けない。


 人に好かれるということとほとんど縁のない人生を歩んできたものだから、そこを認めることが僕には、とても難しいのだけど。


「ご褒美とは、違うかもしれないけど」


「はい」


 その言葉を口にするのは、とても緊張した。


「お祝いを、させてくれないかな」


「おいわい」


 僕の言った言葉を、転がすように口にするミラさん。


「うん。よければ、どこかに出かけてさ。食事とか、買い物とか。ごめん、具体的なプランはすぐには浮かばないんだけど――んっ」


 ミラさんの細い指が、僕の唇に当てられる。それ以上は要らないとばかりに。


「はい、是非」


 その笑顔が美し過ぎて、僕は固まってしまう。

 なんとか、正解を引けたようだ。


「ふふふ、最高のご褒美です。冒険者共を血祭りに上げた甲斐があるというものです」


 最高の笑顔で物騒なことを言う美女。

 ひと仕事終えたような疲労感に、僕はふぅと息を吐く。


「でも、いいのかい? 僕らは、ライバルなんだろう? ご褒美とか、『っぽく』ないような」


「では、友人として祝福してください」


「あはは、なるほど」


「あ、それとレメさん。もう一つ、わがままを言ってもいいでしょうか?」


「うん、折角だからなんでも言ってよ」


 彼女の手が僕の首に回り、その唇が僕の耳元へ寄せられる。

 彼女の匂いが鼻孔をくすぐり、その熱が伝わってくる。吐息が、耳にかかった。


「デートを楽しんだ後で、レメさんさえ良ければ、血を吸わせてください」


 ……なるほど。


 吸血行為というのは、単にそれがあればいいというものではなく。

 楽しい時間の延長、あるいは結末として至るもの、というのが彼女の考えのようだ。


「だめ……でしょうか」


 あぁ、それ久しぶりに聞いた気がします。

 だから、僕は久しぶりにこれを言う。


「だめじゃないです」



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