第75話◇忙しき金剛、心を亡した彼に黒魔導士は(前)

 



「兄さん……」


「どこにいたんだ。随分と探したぞ」


 フィリップさんが近づいてくる。

 そういえば、彼も魔力体アバター時よりも髪が長い。


「心配掛けてゴメン。少し考えたくて……」


「……また『男』か。なんだお前、恋人でも欲しくなったか? どうしてもっていうなら隠し通せるよう協力してやるから、黙って適当な場所で逢うのはやめろ――というか、誰だこの男と……吸血鬼の女……女性は」


「あ、えっと」


「ダーリンと真夜中の散歩を楽しんでいたら、泣いてるこの子を見つけたので声を掛けたんです~。放っておけないからしばらく一緒にいて、落ちついて来たから宿まで送ることにしたんだよね、ダーリンっ」


 ミラさんが、いつだったか見せた恋人モードを発動した。

 こういうところも本当に凄いと思う。

 だけど……。


「そうでしたか。妹がご迷惑をお掛けして申し訳ない」


 笑顔で近づいてくる彼。


「――とでも言うと思ったか」


 彼の手が僕に伸びた。


 ――分かっていても速いな。


 さすがは【勇者】。その俊敏さは【黒魔導士】如きでは到底敵わない。

 事前予測に加え、気づかれないギリギリのレベルで速度低下を掛け、フルカスさんとの鍛錬があって、ようやく。

 伸ばされた彼の手を、掴むことが出来た。

 

 フルカスさんの素早い攻撃に目が慣れていたのと、フィリップさんが攻撃ではなく胸ぐらを掴もうとしていただけということもあり、なんとか成功。


「何っ?」


 怪訝そうな顔をする彼の手を解放し、僕は微笑む。


「兄さんっ!?」


「……正直、驚いたよ。世間で言われているよりずっと優秀な【黒魔導士】だったんだな――レメ殿」


 予想していたことではあった。

 普通の家庭における妹思いとは違うかもしれないが、心配しているのは確実。そんな彼が、妹と一緒にいた謎の『男』を調べようとしない筈がない、と。


 たとえば通行人は、僕をレメと認識出来ないままにすれ違うだけ。何の問題もない。意識出来ないのだから、思い出すこともないだろう。

 だが彼の場合は、その時は気づかずとも後で『意識』した。


 妹と一緒にいた男を調べようと、知ろうとした筈だ。

 そうなると、『混乱』の違和感に気づいてしまう。


 僕が掛けている『混乱』は目の前の僕への認識を阻害し、そこに違和感を生じさせないもの。

 のちのち別の原因で思い起こされると、『顔も格好も思い出せない男がいた』という記憶に辿り着き、人によっては魔法によるものだと気づいてしまう。

 ただこれは普通の黒魔法で出来ることではないので、誰の仕業か予想するのは至難。


 フィリップさんもそこまでは気付けていなかったのではないか。

 認識に関わる魔法だろうから、次に妹と『男』を見たら抵抗レジストを試みよう、と決めておいたとかそのあたりだろう。


「……どうも」


 ニコラさんに気づいた次の瞬間から、彼はもう僕をレメと認識していた。

 ただこれは僕の魔法が弾かれたからではない。


「今日はその素晴らしい黒魔法を披露しては頂けないのかな?」


「必要がなくなったので」


 そう、僕は魔法を展開していない。


「なに?」


 日を改めるつもりだったが、まぁこういうこともあるだろう。

 僕はそっとニコラさんの背中を叩いた。

 彼女はそれに、こくりと頷く。


「に、兄さんっ」


「待て。レメ殿には訊きたいことがある。前回と今回、亜人を連れて何をしている? まさか小遣い稼ぎに冒険者の情報をダンジョンに流しているのではあるまいな?」


 ……うわぁ、間違っているとも言えないなぁ。


 お給料を貰う分、自分が分析した冒険者の撃退法を指示している。

 まさか魔王軍参謀ですと言うわけにもいかないので、僕は苦笑した。


「いや、どうでもいい。俺が尋ねたいのは、妹に近づいた目的だ。どのように知り合った? 確かに妹は貴殿に馬鹿げた憧れを抱いているが、それを利用して今度は俺たちに『寄生』しようって腹じゃあないよな? だとしたら諦めてくれ。白銀王子の煌めきを、貴殿の黒魔法で煤けさせるわけにはいかないのだ」


 不人気だった自分と妹をプロデュースし、ものの二年で百位以内に食い込む程の急成長を遂げた彼。

 対して僕は、表向きは無能だ。元パーティーメンバーは最近になって僕の能力を認めてくれたようだが、世間的には僕はフェニクスに寄生していた【黒魔導士】。


 礼を失した態度ではあるが、妹にそんな輩が近づいたら誰でも不安で不快だろう。

 昔ならもう少し凹んだかもしれないけど、最近は以前より否定的な言葉に傷つかなくなった。

 自分を認めてくれる場所と仲間が出来たからだろうか。


「兄さん!」


 咎めるような妹の声にも、彼は顔色一つ変えない。


 僕の隣でミラさんが「……コロス」と呟いたので「まぁまぁ」と宥める。


「またこれだ。これまでは親友、今度は女か? 何を言われても黙るばかりで、誰かが貴殿を庇う。実力の有無は関係ないんだよ、レメ殿。貴殿の存在そのものが、パーティーの足枷だったのだ。貴殿を庇った所為で、彼を悪し様に言う声がどれだけあったことか」


 事実だ。


 フェニクスは僕の力を知っている。

 でも世間が知っているのは、僕とフェニクスが親友ということだけ。


 無能な親友を庇う勇者。

 もちろん、それを格好いいというファンもいた。


 ただ、日常生活においては友を見捨てないことが美徳かもしれないが、これは商売。

 売れない、使えない、そんな友に限られた枠を与えることは間違いだと批判する声も大きかった。


「悪いが、妹に貴殿のファンであることを公言させるつもりもない。俺の妹にどんな利用価値を見出したかは知らんが、全て俺が阻んでやるからな」


 妹に寄ってきた虫を、兄としてパーティーの仲間として追い払う。

 言い方は厳しいが、意見が間違っているとも思わない。


「妹さんが言おうとしていたこと、聞かなくていいのですか?」


「貴殿が、今後妹に近づかないと誓えばそうするとも」


「それは難しいんじゃないかな」


「なに? やはり妹を利用するつも――」


「兄さん!」


「黙ってろニコ、折角運が向いてきたところでこんな疫病神に憑かれてたまるか! いいかニコ、ニコラよ、目を覚ませ。この男のどこに惹かれたかはどうでもいいが、彼は冒険者として不良品なんだよ。【黒魔導士】でどうやって人気を集める。無理だ。無理なんだよ。世界四位まで行ったのに、彼を愛するものなんてほとんどいなかったじゃないか。お前みたいな奇特な奴が世界に何人いる? 十人? 百人? それじゃあ商品としてあまりに価値がない」


 随分と辛辣だが、僕を嫌いというだけで出てくる言葉ではなさそうだ。

 商品価値への執着。それがなければという考え。


 過去の経験から得た何かに、僕は反しているのだろう。

 そんな存在が妹に接近したことで、気が立っているのか。


「ボクは! レメさんとタッグトーナメントに出るよ」


 彼の意識を無理やりでも自分に向けるように、ニコラさんが言った。

 だがそれは一瞬しか効果を発揮せず、彼の矛先は僕へ向く。


「――は? な、何を言って……おい貴様、そういうことか。俺の妹を使って注目を集めようというわけだなクソ野郎。つくづく見下げた男だ。親友に見捨てられたら次はファンに縋るか。一人で再起を図ることも出来ないのか。貴様の夢だとかいう勇者は寄生生物か何かなのか?」


 一緒に上位を目指すのと、無能が力ある者に縋り付くのは違う。

 彼の中で僕は後者に見えるようだ。


 そもそもニコラさんのパーティーに入れてほしいわけではないのだが、言って納得してもらえるかどうか……。


「違うよ! ボクが頼んだ! ボクが――」


「もういい、黙っていろ。お前は騙されているんだよ、そう気づいていないだけで」


 まぁ、フィリップさん側から得られる情報からだと、そう考えてもおかしくない。


「何か、誤解をされているようですね」


 一応、言っておかねば。


「誤解なものか。まったく、フェニクス殿にも困ったものだ。ゴミを見限るならガキの頃にしておいてほしいよ。やり方次第でどうにかなる者と、そうでない者がいるのだから。いやそもそも親友って話も怪しいものだ。なぁレメ殿、貴殿は彼の弱みでも握っていたんじゃないか? それでパーティーに入れてもらったと考える方が納得がいくのだが」


「どんな弱みがあっても、あいつは勝てないメンバーを入れたりしませんよ。勝つのが勇者なんだから」


「その割には魔王城で負けていたじゃないか」


「そうしたら、次に勝てばいい。挑戦は一度までなんて、誰も決めていないでしょう」


「ハッ。それで? 貴殿の再挑戦先が妹への寄生か。フェニクス殿も、追い出す時に愚かな友の志を折るくらいはしておいてほしかったな。いや無理か。精霊に選ばれた幸運があっただけで、プロとしては二流なのだし」


「は?」


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