第73話◇全ては選択&レメファンとレメファンの邂逅
僕はまずニコラさんを椅子に座らせた。彼女は逆らわず、導かれるままにストンと椅子に腰を下ろした。
「えぇと……お茶を淹れるよ。インスタントだけど」
「……うん」
「私にも頂けますか? レメさん」
「……もちろん」
最初は氷のように冷たい目をしていたミラさんだが、改めてニコラさんを見て涙の痕に気づいたのか、態度を保留としたようだ。
魔王城ではなにやら配下に恐れられているが、見知らぬ他人も気遣える彼女を僕は好ましく思っている。
備え付けの魔力ケトルで湯を沸かし、人数分の紅茶を用意。茶器なんてものはないので紙コップだけど。トレイに乗せてテーブルまで運ぶ。
「ありがと……」
ぼんやりとした様子だが、ニコラさんはコップを受け取って口をつけた。
「あったかい……」
ほぅ、と息をつくニコラさん。
いつの間にか彼女の対面に座っていたミラさんも、紅茶を啜る。
この部屋に椅子は二つしかないので、僕は立ったままだ。
「それで、何故夜遅くにレメさんの部屋へ? 夜這いにしては目許が腫れていて不自然です。もし助けを求めに来たのなら、さっさと加害者の名前と所在を言いなさい。それが男で貴女に乱暴を働いたのなら、特別に私が対処しましょう」
ミラさんと僕の出逢いでもある二年前の出来事。
深酒した彼女に薬を盛って乱暴を働こうとした三人組の男がいたのだ。
彼らは……死んではいないが二度と女性を襲うことはしないだろう。蝙蝠の亜獣に股間の生命力を吸われてアレが枯れ果ててしまったのだから。
その時のことを連想したのか、ミラさんは口調こそ冷たいが気遣うような視線をニコラさんに向けていた。
「え……あ、ち、違うんだ。これは、その……兄さんとその……あれ? というか、そういえば貴女は誰なんだろう?」
ニコラさんは、ようやくミラさんの存在に触れられるだけの余裕を取り戻したらしい。
扉開けてバスローブ姿のミラさんがいたのに無反応だった時よりは、落ち着いてきたようだ。
「レメさんの友人ですよ。こんな時間に宿の一室で一緒に過ごすくらいの友人です」
「……それって」
かぁっとニコラさんの顔が赤く染まる。
「ボク、もしかしてすごくお邪魔だったかな?」
「誤解だよ。ミラさんの言葉通り、友達だ。同僚、って言った方がいいかな」
ミラさんがびっくりしたような顔で僕を見た。
彼女はニコラさんに正体を見抜かれたことを知らないので、無理もない。
「どうりょう……吸血鬼の、美人さん……あ、【吸血鬼の女王】カーミラ?」
説明を求めるようなミラさんの視線。
「一度、状況を整理した方がいいね。こちらニコラさん。【勇者】で、ランクは九十九位。始まりのダンジョン攻略の時に、僕がレメゲトンだと気づいたらしいんだ」
「……直接見たら、目が同じだったから」
「はい? え、え? レメゲトン様の
「あ、うん……ボク、レメさんのファンで……。といってもまだファン歴二年目くらいなんだけど。動画とかは結構観てて……」
ミラさんの目の色が変わる。
「ファン? ……そうですか。ふむ。好きな配信動画は?」
ニコラさんは戸惑うような顔をしたが、すぐに何かを理解したような表情になった。
「え? ……『上級・獄炎のダンジョン』かな。一般的にはフェニクスさんと魔物の炎対決が見所の回だけど、ランダムに火柱が立ち上るフロアで彼以外が火柱に苦戦する中、レメさんは危なげなく回避してたんだよね。周囲をよく見て予測してるだけじゃなく、適性がないからって諦めずに体も鍛えてるんだなぁって。……まぁ回避してるのが観れるのは三回計二秒弱で、その内一回はリリーさん背後でピントは合ってないし、一回はアルバさんを映したカメラ端で見切れかけてたけど。最後の一回もパーティーメンバー全員が一番綺麗に回避してるシーンを連続で流すってやつで、まったく注目はされなかったんだけどさ」
王子キャラが外れていることは、指摘しない。そんな余裕はないのだろうし。
それにしても、ちゃんと観てくれた人がいるというのは、嬉しいけど気恥ずかしい。
ミラさんが目を瞑り、頷き、目を開いた。
「いいでしょう。ちなみに私が何度も観たのは『中級・刹那のダンジョン』です。理由は――」
次の瞬間、二人の声が重なる。
「――一番長くレメさんが映ってるから」
そして、二人は同時に小さく笑った。
……あれ、なんだか打ち解けている?
「ミラです。もうご存知のようですが、魔王城で働いています」
「ニコラです。よろしくね……あ、敬語の方がいいですか?」
二人は握手を交わした。
「話しやすいもので大丈夫ですよ」
「ありがとう。そ、それでなんだけど……やっぱり二人って」
再び顔を赤くするニコラさん。どこか気まずそうだ。
「残念ながら、非常に残念ながら、そういう関係ではありません」
「そ、そうなんだ……」
「でも、そうなればいいなぁと思っていますし、日々交渉中です」
「そっ……そうなんだ」
「ですから、その大きな胸でレメさんを誘惑しないで下さいね? 推しが被るのは大歓迎ですが……あくまでファンの域を逸脱しない範囲で、です。私も貴重な同胞を敵認定したくありませんから」
ミラさんがニッコリ微笑む。
「ゆ、ゆうわくだなんて……っ」
ニコラさんが自分の胸を隠すように、両腕を組む。その所為で形の変わった胸が盛り上がったように見えてしまっているが、気づいているのかどうか。
「……要注意人物ですね。報告書だけでなくカシュさんの生の声を聞かなければ」
なにやら不穏な声が聞こえたような気がする。
「あ、そういえばレメさん、カシュちゃんはどこで寝ているのかな」
「もう一人の同僚の部屋で……って、ミラさん?」
「既にカシュさんにまで手を回している? ……想定以上に厄介な相手ですね」
……ミラさーん?
顔を逸らしぶつぶつ呟く彼女は、少し怖い。
「えー、こほんっ」
僕はわざとらし過ぎる空咳で、話の流れを変える。というか、戻す。
「ニコラさん」
「う、うんっ。してないからね、誘惑っ」
「それは、うん、分かってるよ」
「……そっか。へぇ、そっか」
ニコラさんの声が沈む。
「もしもう大丈夫そうなら、此処に来た理由を話せるかい?」
「……うん。聞いてくれると、嬉しい。多分、ボクはそれで此処に来たんだと思うから」
「私、席を外しましょうか? 妙なことが起きないか扉に耳をくっつけて待機しますが」
それ部屋の外に出る意味なくないですか?
「ううん、大丈夫」
そしてニコラさんは、フィリップさん達との話し合いについて語り出した。
◇
「なるほど……」
ミラさんは話を聞いた後、難しい顔で沈黙。今の所何かを言うつもりはないようだ。
その姿勢は正しい。
他のパーティーに口を挟むのは、マナー違反だ。他所の家庭に口出しするようなもの。
見過ごせない程の何かが起きでもしない限り、介入すべきではない。
今回でいうと、フィリップさんの言い方や話の運び方はともかくとして、議題や結論自体におかしなところはない。
もちろん、優しい言葉を投げかけることは出来る。辛かったねと。もう少し君を尊重してくれてもいいのにね、と。
ただ、それにどんな意味があるだろう。ニコラさんだって、傷を舐めてほしくて来たわけではない筈だ。
「ボク、なんだか、分からなくなっちゃって」
彼女も兄を悪くは言わなかった。
自覚があるからだ。
人気が出なくて落ち込んでいた時期に、兄の提案に乗ったのは自分だという自覚。
選んだ道を貫かなければならないわけではない。別の道を見つけてもいいのだ。
でも、一緒に歩いた誰かがいるなら、分かれることでどうしても双方に影響が出る。
僕が脱退したことで、少なからずフェニクスパーティーに変化があり、僕の方は魔王軍に入ったように。
ニコラさんの場合、誰も悪いことをしていないからこそ辛い部分もあるだろう。
仮面を被ることが苦しくなったという事実と、仮面が愛されている事実がある。
ただ、彼女は我慢していたのだ。悩みを抱えて仕事をしていた。
きっと、きっかけは僕のフィリップさんへの言葉。
妹さんが悩みを抱えているだなんてことを指摘した、僕のお節介が招いた話し合い。
「選ぶしかないと思うよ」
「え……?」
「人気を得ようと考え、実行するのは間違ったことじゃない。でも、それに徹することが苦じゃない人もいれば、ニコラさんのように苦しむ人もいる。どんなやり方にも、合う合わないがあるからそれは仕方のないことだ」
「うん……ボクも、そこはそう思ってて」
「『現在、人気が高まっている王子キャラ』を続けるか、『元々、自分が目指していた勇者像』へシフトするか、選ぶだけだよ」
「そ、それは……」
「どうしてもやりたいことがあるなら、やっていいんだ。悪いことじゃあないんだから」
「でも、それじゃあ、他のみんなは……」
「パーティーを抜けて、メンバーを集めるという手もある。一つの選択として」
「――」
「失敗するかもしれないし、お兄さん達は立て直しに苦労するだろうけど、ニコラさんにはそれを選ぶ権利があるよ。……でも、きっとそれは嫌なんだよね」
だから、彼女は兄の言葉に悲しくなっても、解散を口にはしなかったのだろう。
一時の感情によるものだとしても、そんな可能性を言葉にしたくなかったのだろう。
「なら、お兄さんのシナリオ通りに動くのも選択肢の一つだよ。君は偽物だと苦しんでいるかもしれないけど、それを見て感動している視聴者の心は本物だ。ショーを見て起こった拍手は、素晴らしいものへの称賛だ」
人によっては、彼女の悩みは贅沢なものだろう。
試行錯誤しても人気を得られずに、失意の中夢を諦める者も多い業界だ。
それが分かっているからこそ、彼女もこれまで本音を言えなかったのだろうけど。
「うん……そう、だよね」
ニコラさんが悲しげに目を伏せる。
「
「え?」
「お兄さんの言っていることは間違ってないけど、絶対じゃあない。だってそうじゃないか、『何がウケるか』『どうすれば売れるか』なんて絶対の法則があるなら、不人気パーティーなんて存在しない」
彼女が顔を上げる。
「流行は移ろうものだし、一つの流行があっても、それに合った者以外が見向きもされないわけじゃない。流行りに沿っていなくても人気を得る人物というのはいつの時代も現れるものだし、そもそも過去と今とじゃ状況が違うだろう?」
「じょう、きょう」
「誰も見てくれなかった時期と、多くのファンを抱える今では、君の『挑戦』を見てくれる人の数が違う」
「で、でもそれで失敗したらファンが離れて結局……」
仲間に迷惑が掛かる、か。
ニコラさんは仲間思いなのだ。そして兄が悪意で自分を制御しようとしているのではないことも、分かっている。迷惑は掛けたくない、という思いは消えない。
僕は悩んだ。
方法を、ではない。
これを口にすべきかどうかを、だ。
僕の例も中々特殊だが、【勇者】に勧めるとなると例を見ないだろう。
「なら、試してみればよいのではないですか?」
と、切り出したのはミラさんだ。
「タッグトーナメントが開催されるのでしょう? そこそこ注目も集まる場です。そこに参加すればいい――正体を隠して」
「えっ」
「そうですね。
全部言ってしまった。
ニコラさんは――。
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