第14話◇はじめてのしゅっきん
朝の街を三人で歩く。
カシュはそわそわしていた。
「わたし、あんまりこのあたり来たことないですっ」
魔王城に続く通りだ。
初めての場所ってついつい視線があっちこっちに向いちゃうよね。分かる。
でもそれによってカシュが迷子になりかけた。
僕とミラさんが少し歩いて、横にカシュがいないことに気付いたらだいぶ後ろでおろおろしていた時は焦った。
そうだよな。子供の時って気になるものがあると親の動きとか関係なしに立ち止まって眺めちゃうよな。
しかしお母さんによろしく頼まれた直後にはぐれかけるとは。気をつけなければ。
年の割にしっかりしているといっても、カシュはまだ童女なのだ。
深く反省した僕はカシュを迎えに道を戻る。
「えぇと、カシュ?」
「ご、ごめんなざぁい……!」
僕を見つけてほっとした顔を見せたのも束の間、怒られると思ったのかカシュはぽろぽろと涙を溢しながら謝ってくる。
「いや、僕も悪かったんだよ。それにこれから毎日通る道なんだから、色々見てどうやって職場まで行くか覚えないとね。カシュはちゃんと反省出来ているし、僕も反省してる。それで終わり。怒ってないから、心配しないで」
「わだじっ、がんばるのでっ! く、くびにしないでくだざいぃい!」
そう言ってカシュが僕にすがりついてくる。
ズボンがカシュの涙で濡れたが、それよりも彼女の涙を止めたい。カシュの表情が曇ると僕の気持ちも落ち込んでくる。
どうやら幼いなりに今のを失態ととらえ、働く前からクビにされるかもしれないと恐れたらしい。
僕は少し迷ってから、そっと彼女の頭に手を伸ばした。
客の立場で頭を撫でるのは違うし、じゃあ上司ならいいのかよとなってくるわけだが、僕は理屈をこねた。
しっかりと彼女の母から任されたわけで、今の僕は保護者の面もあるのではないか、と!
彼女の方からくっついてきたのだし、触れるのも嫌! とかではない筈だ。
そっとその耳を伝い、僕の手が彼女の頭に触れる。
ぴくっと耳が立ち、彼女の体に緊張が走った。だが離れる様子はない。
ふわふわとした彼女の髪を撫でる。
カシュがゆっくりと顔を上げた。涙で濡れた顔のまま僕を見る。
「大丈夫、失敗は誰でもあるんだ。大事なのは後悔したり怖がったりすることじゃあなくてね、次に失敗しない為にはどうしようって考えること」
僕はハンカチを取り出して、涙を拭ってあげた。少し考えてから渡すだけでよかったかと思ったが、彼女がされるままなので嫌ではないのだろうと判断。
「つぎ……ですか?」
「うん」
「くびじゃないですか?」
「カシュがいないと僕が困るよ」
「わたしいないと、レメさんこまりますか」
「とても困る。カシュは僕の秘書さんだからね」
「ひしょっ……!」
スーツを着たいかにもやり手そうな女性が脳裏に浮かんでいるのではないか、カシュの目が輝いた。大人に憧れる子供のそれである。
感情の切り替えが早いのは、子供の長所だよなぁと思う。
「あ、あのっ、レメさん」
「なんだい」
「はぐれてしまってごめんなさいでした」
「僕の方こそ目を離してごめん」
これでこの件は終わり。
「そ、それで……レメさん。わたし、かんがえました」
「うん? あぁ、次に失敗しないように?」
カシュがこくこくと顎を引く。
すごいな。これも子供ゆえの柔軟性なのだろうか。すぐに言われたことを理解し、実践するとは。
いや、カシュが賢くて良い子なのかな。
余所見をしないように気をつけます、というようなこと言ってくれるのだろう。花丸の答えである。
だがカシュは、何故か尻尾を揺らし、顔を真っ赤に染めた。
んん……? と思いつつも、僕は答えを待つ。
「っ……て、……て、」
「て?」
彼女が自分の手を僕に伸ばそうとしては引っ込める。
て。手か。
……あぁ、なるほど確かにそれは解決策だ。
「大丈夫だよカシュ。聞かせてくれる?」
「てっ、を、つないで、もらえたら……はぐれない、と、おもった……です」
カシュの顔は茹で上がったように赤い。
勇気を出して言ってくれたのだろう。
大人としてはそれに答えねば。あまり自分が大人という気はしないけど。
彼女の手を取り、ふにふにした指を握る。
「ふむ。なるほど確かに、これならはぐれずに済むね。カシュの解決案は効果抜群だ」
カシュは、くしゃりと顔全体で笑った。
それから、だらしなく頬を緩める。
「えへへ……」
かわいい。
ちなみにブリッツさんのところで買った果物は、店に預けてきた。ミラさんが部下に言って運ばせるとのことだ。後でその人に感謝を言っておかないと。
ともかく、そんなわけで僕の手は空いている。
「仕事終わりか次の休みにでも一緒に散策してみようか」
「いいんですかっ!?」
「僕もこっちの通りには慣れてないからね」
「それはよい心がけですね。よろしければ私に案内させてもらえませんか?」
…………。
いや、忘れてたわけじゃないんだ。
だから、そんな風に優しいのに冷え切っているのが分かる声を出さないでほしい。
「ミラさん。えと、カシュを見つけたよ」
僕は爽やかに微笑み掛けたかったが浮かべた笑みは引きつってしまった。失敗だ。
「はい。ちゃあんと見ていましたよ。いつ戻ってきてくれるかな、と待ちながら。あらでもよかったですねカシュさん、レメさんと手を繋げて。羨ましいです、とっっても」
カラコンで蒼くしている彼女の瞳が、すっと細められる。
「片や手を繋いで出勤しながらデートの約束、片や一緒に出勤しようと迎えに行ったのに放置プレイ。レメさん、人生とは何故こうも残酷なのでしょうね。私、泣いてしまいそうです。私が泣いても、ハンカチを貸してくださるのでしょうか。それとも放置でしょうか?」
こう、なんて言えばいいんだ。
怒ってるとは違うし、嫌味とも種類が異なるのではと思う。
言うなれば……拗ねてるとか、そういう感じに似てる。
子供に嫉妬? ミラさんが? いや、語れるほど彼女のことを知っているわけではないが。
「いいですね、カシュさん。レメさんの右手はどうですか?」
「え……っと、あたたかいです。あと、大人のおとこの人って感じがします」
カシュは素直に答えた。
「なるほど、素敵ですね。私にも温かい手を貸してくれる殿方が現れないでしょうか。誰か手が空いてはいませんか? 私、今とても心が寒くって。左手でもよいのですけれど」
よよよ、と泣き真似まで始めるミラさん。
ちらっちらっと僕に視線を向けるのも忘れない。
これはどっちなのだろう。からかい半分のアプローチの類なのか……それとも本当にカシュのように手を繋いでみたいのか。
……いや、やめよう。
僕は余計なことを考えないようにした。ここで出せない答えを脳内で求めても仕方ない。
どちらの場合でも対応出来る返事をすればいいだけだ。
「それじゃあ手を繋ぎますか? 職場までですけ――どっ」
言い終わる前に左手を掻っ攫われた。
もげたかと思ったがちゃんと腕は繋がっている。繋がっているし、ミラさんに抱えられている。
手を繋ぐというか、僕の腕に体を絡ませていた。
というかですね……その、僕の腕が挟まれてるんですけど。やわらかい何かに。魔王様いわく絹のような手触りでプリンのような弾力に富むという二つのあれに。
僕は跳ねる心臓を鋼の精神力で律する。
「本当ですね。あたたかいです」
うふふ、と彼女はとても満足げ。
カシュが僕の手に込める力を強めた気がする。気の所為だろうか。
僕はただ新しい職場に行こうとしていただけの筈なのだが。
右に幼くも可憐な犬耳の童女、左に妖艶な吸血鬼の美女という両手に花状態になってしまった。
「あ、あの……カシュはいいとして、ミラさんはいいんですか?」
とにかく気を逸らさねば。僕は話を振る。
「何がでしょう」
「いや……こう、男と腕を組んでいるところを職場の人に見られても平気なのかなと。その、噂が立ったら申し訳ないですし」
「むしろ立ててしまいましょう。余計な虫がレメさんについては困ります」
「え」
虫って……。
「そうだ。レメさん、職場で誰と話したか後で教えてくださいね? え? もちろん職務上必要なことですよ。自分からレメさんに話しかける者は最低限興味を持っているということですし、逆にレメさんから声を掛けたならそうする理由があったということです。七十二体まで登録出来るとはいえ、相性のよい者を選別するに越したことはありません」
そっか。そうだよな。
ミラさんは僕の為を思って言ってくれたのだ。
もし話した人の中に女性がいたら、推しの【黒魔導士】に近づくなとばかりに何かするのではないかなんて、僕は失礼なことを考えてしまった。
「ごめんミラさん。分かった、ちゃんと誰と話したか記録しておくよ」
「はい。特に女性は忘れてはいけませんよ……話し合いが必要になるかもしれませんからね」
「え?」
僕の疑問符は無視される。
「あぁ、着きました。見てくださいカシュさん、これが今日から貴女の職場である魔王城ですよ」
魔王城はちゃんと城の形をしているが、ダンジョン部分は地下だ。
地上階には職員専用のフロアであったり、一般に解放されたエリアであったり、表口の場合は攻略者用の受け付けや
「うわぁ、初めてみましたっ」
「地元の名所って案外行かないものですものね。特にこちらは裏口ですし」
僕越しに二人の会話が盛り上がる。
結局僕らはそのまま出勤した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます