賢い人ほどハマる罠がある

 短い浮遊感の後、かさりと落ち葉を踏む音と共に地面を踏む感触を覚え、コウスケは思わず閉じていたまぶたを上げる。


『転移完了、周辺状況を確認してくれ』

「焦錆獣は……近くには居ない、です」


 ミーリュが赤く輝く左目、魔眼の能力で周囲を見渡し、ほっと一息吐く。

 彼らが降り立った場所は、木々に囲まれた林の中だった。枝葉の隙間から見える空は明るく、夜明け過ぎの清涼な空気が肌に感じられる。

 コウスケは近くに見える山の稜線から今の位置を把握する。


「ここは東の山近くか、かなり屋敷から離れておるな」

『安全な距離を取るためだ。コウスケの屋敷を中心に、焦錆獣がもう四方に散り始めている。おそらく周辺の樹木を取り込みながら増殖を繰り返しているはずだ』

「植物もアマルを……持っとるんだろうな。アレックスのようなのがおるくらいじゃし。となると、この林は良い餌場のようなものか」

『君の言う通り、この世界の植物も微量ながらアマルを持っている。それを取り込んでいるにしても想定以上の増殖スピードだが……いや、考えていても仕方ない。まずは西に向かって焦錆獣を攻撃。その後は、勢力圏の外側を移動しながら各個撃破だ』


 三人は頷くと、林の中を駆け出した。

 木々は密集しているわけではなく、それなりに見通しの良いの林だった。それでも不規則に並んだ樹木は走る上での障害物となり、また地面も舗装路のように整っているわけではない。そんな中でも、三人は普通の人間が走るよりも遥かに速いスピードで木々の間を走り抜けていく。


「かかかっ、アマルというのはすごいのう。こんなペースで走っても息切れもせんとは」


 全身に巡るアマルの効果で、運動能力や五感といった、様々な生物的な機能が向上しているのを、コウスケは実感する。

 その若い体の持つ力を確かめるように、スピードを上げていく彼の背に、サラが慌てて声をかける。


「コウスケ、あんまり飛ばしすぎないでよ!」

「おお、すまんすまん」

「まったく……アマルを使えるようになったからってハシャぐなんて子供みたいなんだから……」

「いやぁ、確かにそれもあるがな。こうして思い切り、思い通りに体を動かせるというのが、久しく忘れていた感覚でな、っと!」


 コウスケは流れ去っていく景色を横目に、不意に目の前に迫った木の枝を避け、軽く飛び上がると木の幹に右手をかけて勢いをつけ、方向修正を行う。

 その右手を見下ろし、そっと苦笑いを浮かべる。


「歳を取るとな、体力が衰えるだけではないんじゃ。狙ったところに手が伸びないし、走ること自体が難しくなる。目が見えず、耳も聞こえず……昨日は出来たことが出来なくなる」

「……はぁ」

「かっかっか、若いうちはわからんじゃろうな」


 微妙な表情で相槌を打つサラに、コウスケは右目を細めて笑う。


「ともかく新しいものを手に入れたと言うよりも、昔失ったものが戻ってきたのが嬉しいのよ。大昔の為政者が不老不死の妙薬を求めた話はよくあるが、案外と皆、永遠の命よりも若返りを求めたのかもしれんのう」

「不老不死? この世界も昔からアマル技術があったってこと?」

「いやいや、そんなものは存在せん。あくまで夢物語じゃ」

『そうとも言い切れない。アマルという言葉は無くとも生命の持つ力自体はどこの世界にもある。科学の発達した世界ではオカルトにされるパターンが多いが、存在はしたはずだ』

「あー……そうじゃなぁ。そういうこともあるのか」


 コウスケの作っていた発電装置は、以前、開発段階で出資を募るために世間に公表したところ、オカルト扱いをされた。

 その実態は模造アマルゲートだったわけだが、アマルを知らないこの世界の科学ではどこからエネルギーを取り出しているのかがわからなかった。

 製作者であるコウスケ自身が把握できていなかったくらいだから、世間からそう断じられるのも仕方のないことだった。


「あと百メートル先、に、二体!」


 ミーリュが警戒を促すように声をあげつつ、スピードを落とす。


「――ふっ」


 だが、彼女の言葉を聞いてサラはスピードを緩めるどころか、短い呼気と共に高く跳ね上がった。周囲の数メートルはある木々を軽々と飛び越え、林の上を飛ぶよう前方にいるはずの焦錆獣に迫る。


「かかか! やるのう!」


 それを見たコウスケも追いかけようと、足に送るアマルを増やした。だが、足が地面を蹴った瞬間、ぼんっと枯れ葉と土が舞い上がり、彼の体は飛び上がるどころか滑ってバランスを崩してしまう。

 そのまま勢いを止めることが出来ず、前の木の幹に衝突する。


「おあっ!? ……たたた、どうなっとるんじゃ……?」


 慌てて駆け寄ってきたミーリュの手を借りて立ち上がり、首をひねる。


「いま、コウスケ君、アマルで足だけを強くしてました……でも、サラ君は、跳ぶっていう行為を、強化した、んです」

「……どういうことじゃ?」

『今の君のように、脚力だけを強化すると地面がその力に耐えられない。それだけでなく、早く動けば動くほど空気の壁が邪魔になる。脚力の細かな調節を誤れば、明後日の方向に跳んでいったり、思っていたより跳び過ぎてしまったりする。ただ跳ぶというだけでも、解決しなければいけない問題は多い』

「そんなに色々なことを、サラはあの一瞬でやっておったのか。そこまで複雑なアマルの操作を……」

「逆、です……」

「逆? どういうことじゃ?」

「サラ君は、すごく単純なイメージだけしかしてない、です」

『彼はただ、これくらい跳びたい、というイメージをアマルで実現させただけだ。脚力や足場、空気抵抗などの細かなことは考えてすらいない』

「なんとも……根本的な発想が違うということか」

『考えるな、願え。それがアマルの使い方だ』

「し、思春期の男子みたいに、妄想する感じ、で、頭悪いくらいが丁度いい、です」


 コウスケたちがサラに追いつくと、ちょうど焦錆獣が爆散するところだった。そこにいたのは一体だけで、もう一体はすでに倒された後だ。

 四足の獣の形をした焦錆獣は上半身の大半を失い、そのまま動きを止めて崩れるように消えていった。


「遅い! なにしてんのさ!」

「すまんのう、サラのように跳んでみようとしたが、これがなかなか難しくてのう」

「難しい? 別に何も難しくなんてないよ。こう、グッとやってドンッて感じで跳べば良いんだから」

「ね? 頭悪いくらい、で、丁度いい」

「かかか、その通りじゃな」

「……バカにされてる気がする」

「そんなことはないぞ。センパイのアドバイスとして大いに参考にさせてもらう」

「せ、センパイ……!?」


 その言葉が琴線に触れてしまい、思わず聞き返すサラ。その食いつきに少し面食らいつつも、コウスケは頷く。


「アマル能力を先に使っておったわけじゃから、センパイじゃろう?」

「そっか……そうだよね。しょうがないなぁ、センパイとしてボクが色々と教えてあげるよ!」

「うむ、よろしく頼むぞい」


 妙に嬉しそうな笑顔のサラと素直に頷くコウスケを横目に見つつ、ミーリュはそっとアレックスのドローンに耳打ち……する。


「い、今まで実働部隊で自分が一番新人だったから……後輩が出来て調子に、乗ってる……」

『……彼らが打ち解けるきっかけになるなら、良いんじゃないか』

「ミーリュ! アレックス! 早くしないと置いてくよ!」

『ああ……待て、サラ! そっちは屋敷の方角だ! まずは外周から……!』

「……だ、大丈夫……かな……?」

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