第2話

「あのー、大丈夫ですかー?」


遠くから、何やら聞こえてくる。


「こんなところで寝てたらアブナイですよ」


声が若い。


声変わりしたばかり、という印象の声だ。察するに、中学生か、高校生に上がりたてくらいだろうか。


「ぜんぜん動かねーじゃん。まさか死んでねーよな」


「バカ大地、物騒なこと言わないでよ。ほら、息してるじゃない」


「バカたぁなんだよ。瑞樹、おめーはいつもいつも」


「はいはい。それよりも、この人どうする?」


少年の声に次いで、少女の声も聞こえた。


仲睦まじそうな雰囲気が、すぐそばで漂っている。


……うらやましくなんか、ない。


「触りますよー」


おずおずと、遠慮がちな感触が肩に触れる。


想像していたよりもゴツゴツした感触に、ぶるっと震えた。


「あ、動いた」


「やっぱり生きてるじゃん。聞こえてたら怒られてたよ、きっと」


聞こえてるっての。


何やらやたら楽しそうだ。


雰囲気からして完璧に彼氏彼女だろうけど、人をネタにしていちゃつかないで欲しい。


「起きてください」


私はしきりに肩を叩かれる感触と、やかましい声に反応し、ぐん、と頭を上げた。


「うわ」


驚いたような声と、驚いた顔が一つずつ。


バス停から見える田舎の歩道は、いつしか降りしきる雨がやみ、光が差し込んできていた。


そこに、想像した通り、高校生くらいの少年と少女が並び立っていた。


男の子の戸惑ったような顔は、少し幼さを残していてあどけない。


驚いたような表情をしているが、けっこう端正な顔、それなりに今風の髪型をしていて、まあまあ女受けしそうな風体だった。


その隣の少女は、風になびく長い髪とそれを結わったリボンが、殺風景な田舎の雨の歩道に、ひどく鮮やかな対比していた。


私はまだぼやけた視界に手を焼きながらも、うずくまる形になっていた体を起こした。


「大丈夫ですか」


少女がおずおずと私に尋ねてくる。


どことなく緊張した様子なのは、私が明らかにこの土地の人間ではないからだろう。


「どこか具合が悪いとかあります?」


「平気。なんともない、です」


「あ、それなら良かった」


胸をなでおろす少年は、人の好さそうな笑顔を浮かべた。


素直そうな反応だ。


「地元の人の親戚の方ですか?」


少女の言葉には嫌味はないが、そこはかとない警戒感は感じる。


まぁ仕方ないか。私はよそ者で、こういう集落めいた場所は、よそ者を拒むのが定石だ。


「そういうわけじゃない、ですよ」


「あ、敬語とかいいっすよ。お姉さん、俺たちより年上でしょ?」


「私たち、周りの人達はみんな年上の方ばかりだから、あんまり恐縮されるの慣れてないんです」


瑞樹ちゃんがひどく丁寧な言い回しで、大地くんと同じような内容を伝えてくる。


頭のよさそうな言葉遣いだ。


「俺、敬語つかわれるの苦手なんス。体があちこちむずがゆくなっちまう」


少年が砕けた口調で私に微笑む。


人懐っこい子だ。すぐ人と仲良くなれそうな雰囲気は、嫌いじゃない。


「そっか。じゃあそうさせてもらうね」


「うぃっす」


少年が頭の後ろに手を回し、にひひと笑う。


愛嬌のある少年だった。整った顔立ち、うっすらと日焼けした肌、半ズボンから伸びる足はみっちりとした筋肉が覗いている。


陸上でもしてるのかな、と思うほどにはたくましい。田舎の野山を駆け巡っているっていうところだろうか。


「ん? なんスか?」


「あ、いえ、何でもないわ」


いけない。見過ぎた。


隣の女の子の目が、まん丸になる。大丈夫だよ、という意味を込めて目配せしたつもりだけど、届いているだろうかちょっと分からない。


私は目を反らし、そのまま体についた埃を払う。


「それにしても珍しいっすね。こんな田舎に来るなんて」


「そうなの?」


意外だった。


聖地巡礼、というと少しマニアックかもしれないけど、私がここに訪れた目的はそれだった。


この土地は、それなりに有名なはずなんだけど。


「見ず知らずの私なんかを気にしてくれてありがと。甘えついでに聞いていいかな」


「?」


「2人は地元の子でしょ? なら、『ひとしずくの未来』のPVの撮影場所、知らない?」


「??」


2人は顔を見合わせて不思議そうな顔をする。


まさか知らないとでもいうのだろうか。


あの謎の歌姫として話題もちきりの少女を。


「YoutubeとかでPV流れてるじゃない。あんだけ有名な動画の舞台なら人だってくるでしょ」


「??」


またもや2人が顔を見合わせる。


「ここの山が舞台なんでしょ? 場所を教えて欲しいの」


「知らねー」


「大地、言葉遣い悪いよ」


「あ、わり。つい地が出ちまった。すんません、お姉さん」


大地くんが、やってしまったとばかりに頭をかく。


どうやら彼女に頭が上がらないようだ。


「言葉遣い直ってない。ちゃんとしてよ」


「こんなくらいで怒るなって」


「ひと様のいる前で指ささないでよ。行儀悪いなあぁ」


「かーぁ細けぇッ。瑞樹は細かいんだよ」


瑞樹ちゃんが、目くじらを立ててぎゅっと大地くんのお尻をつねった。


「いってぇ!」


「反省しなさい。反省しないと、もうアレしてあげないよ」


「え、えッ嘘だろ」


アレ? 急にいかがわしい響きの単語がいきなり出てきた。


「反省、する?」


「する、するする。だからそれだけは勘弁してくれ」


「よろしい」


満足そうに微笑みを浮かべる瑞樹ちゃんと、対照的に渋面の大地くんは、見るからにお似合いのカップルだった。


普段の私なら見ていてほほえましく思えるのだろうけど、今はチクチクとしたものが胸の奥にたまるような辛さがあった。


「あ、ごめんなさい。PV?の話でしたよね」


瑞樹ちゃんが思い出したように私へと振り向く。


「私たちそういうのに疎いんです。ちょっと分からないです」


謝るようなことでもないのに私にお辞儀する。


丁寧で聡明そうな少女だ。私の毒気は一気にしぼんでいった。


「そっか。ごめんね、変なこと聞いちゃって」


私はベンチから立ち上がり、荷物をつかんだ。


雨はもう相当前に降りやんだようだ。地面はそれなりに乾いている。


歩いて目的の場所を探すのは難しそうだけど、ここにずっといるわけにもいかない。


「あの。もしかしてバス、待ってるんですか?」


「うん。目的地までまだ距離があるの。蓮見村っていうところなんだけどね」


「あ、俺たち、そこに帰るんすよ。奇遇っすね」


「えッ」


驚いた。偶然とは言え蓮見村の人と会えるだなんて。


「それじゃあ知ってるはずだよ。ね、教えて。その舞台になってる山の名前は……」


そう言って二人に詰め寄ろうとして、私は、一歩目でいきなりふらついてしまった。


「あ、れ?」


バランスがうまく取れない。


足取りが重い。


どうしてしまったんだろう。


身動きがとりづらい。


全身がふわふわして、まるで自分の体じゃないようだ。


頭が熱い。


何か、目の前の2人が声を上げているのが分かったけど、そこからは視界がぼやけ始めてきた。


「あ」


遠くから声が聞こえた気がする。


落ちる、と、なぜかそんなことを思いながら。


私は再び、さっきまでの暗闇に吸い込まれていった。

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