やまびこの呼び声が聞こえる

阿井上男

第1話

「ヤバい」


田舎の村のバス停で一人、私は低く呻いた。


独りぼっちのバス停のベンチは無駄にデカく、木造りの小屋のようになっている。


昔、昭和時代のドラマを見た時に出てきたような古臭さがぷんぷんと漂ってきている。


幸い匂いはしなかった。使用感はあるので、それなりに清潔に保たれているみたいだ。ほっとした。


「はあぁぁ」


とはいえこの状況には溜息しか出ない。


田舎にはまだこんなバス停があるんだな、なんて呆れたり、感心していた一時間前の私の間抜けさを思い出す。


バスの車窓から見える田園風景に溶け込むような村のたたずまいは、まぁまぁいいムードを漂わせていた。


雨が降り始めた時には少し不安もあったけど、バス停に雨宿りにはちょうどいいくらいの屋根があって、正直ほっとした。


そこからが急転直下だった。


「……なんっで似た名前のバス停が二つもあんのよ」


乗り継ぎのために降り立ったバス停で待つこと数十分、時間になってもバスが到着しないのを怪訝に思ってスマホを確認したら、バス停の名前が間違っていたことに気づいた。


それが三十分前のことだ。


地団太を踏む間もなく、大急ぎで小雨の中を走り、ついたのがこのバス停だったのだけれど。


私はいま、ぽつんとそのバス停の小屋の中にたたずんでいる。


たたずんでいる……まさしくたたずんでいるっていう状態だ。


目の前の時刻表の表記を見て、身じろぎすらできないほど愕然としていた。


「次のバス、四時間後って」


当たり前のように時刻表は白い部分がほとんどで、ポツリポツリと点在している時刻表示が寂しげに映った。


今の私の頭の中は、この時刻表に負けず劣らず真っ白だ。


バス停小屋の中にはかなり大きめのベンチがある。


私はふらふらとその中のベンチにもたれかかるように腰掛けた。


「やば、きたなッ」


さすがに茫然としすぎていた。


慌てて腰を上げたが、お尻の下敷きになった部分は幸い、そんなに汚れていない。


このバス停はそれなりに使用されているみたいで、最低限の清潔感はあった。


ベンチはそんなに汚れていなかったが、念のためにティッシュで表面を拭きとって、腰かけた。


「……もうヤダ」


力がどっと抜けた。


私はそのままそこで体育座りした。


スカートで両膝だちなんかしたらパンツが見えちゃいそうなものだけど、かまいっこない。


こんな場所で通りがかる人なんかそうそういないだろう。


「人っ子一人いないんだもんなぁ」


しとしとと雨が音を立てて振り続けている。


季節はもう夏の始まりの頃だ。


寒くはないが、じんわりとした湿気が肌に張り付くようで気持ち悪い。


足元はすっかり濡れていて、歩きやすさ重視のスニーカーが重苦しかった。


「あぁもう」


私は一人、ベンチ上で地団太を踏む。


押し殺しきれない苛立ちが、口をついて出た。


「なんでこんなとこで財布落とすかなぁ」


バスに乗り遅れそうだからと大慌てで走ったのがまずかった。


どうも道の途中、落としてしまったらしい。


引き返して探してみるものの、まったく見つからず、雨が強くなってきたから一時避難のためにこのバス停に戻ったのがさっき。


改めて時刻を確認して、さらなる絶望に落とされたのが、たった今というわけだ。


所持金は、たまたまポケットに入っていた小銭数百円分しかない。


もうそれでバスに乗って村の中に行き、交番に駆け込むしかない。


「さいあく、さいあく、さいあく、さいあくッ」


普段の癖で、一人きりの嘆きは歌声のようにビブラートが効いている。


我ながらいい声、なんて虚しい自画自賛に自らを慰めていると、なんだか気が晴れた。


孤独な田舎の空気に、私の声が溶けて消えていく。


青々とした村の空気は雨のしずくに遮られていても、どこまでも透明だ。


「……はぁ」


胸を満たす清浄な空気に心は洗われるようで、苛立ちや焦りが少しだけ紛れたような気がする。


私は空気を思いきり吸い込んだ。


空っぽのお腹に、たっぷりと空気が満ちていく。


ぐぎゅるる、とお腹が鳴った。


「はうぅ」


意識せずにうめきが漏れて、ひどく虚しい気分が胸を締め付けた。


最後に何か食べたのは昨日の夜だから、もう半日ちかく何も口にしてない。


……疲れたし、もう限界だった。


目の前が暗くなっていく。


あ、ヤバい。


いきなりの気持ち悪さが全身を駆け巡る。


顔を膝頭に当てて下に伏せる。目の前が真っ暗になった。


どうすればいいだろう。私はこの後、どうすべきなんだろう。


蓮見村の田園風景は、暗く落ち込んだ私の胸の中を照らし出そうとでもいうように、ひたすら明るい。


私は自ら視界をふさぎながら、意識を深く奥底へと押し込めていった。

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