第34話ヴァンパイアキラーとの契約②

「どうした? 巧人。……ああ、そうか」


 きょとんと小首を傾げた充希が、思い当たったように手をうった。


「すまない、伝えるのを忘れていた。この部屋にはカメラも、盗聴器も存在しないよ。音を受け記録を残す存在は、文字通り僕と巧人だけだ」


「――え?」


「キミのボスと交渉してね、取っ払って貰ったのさ。そうしなければ、巧人に本心を打ち明けてはもらえないと思ってね。僕としても、意志の共有を望むのは巧人ただ一人だ。その他に知らせてやる義理もない」


 そう、だとしてもだ。

 八釼さんが、監視の目を外した? 充希はともかく、遺体を残したままで?

 馬鹿な。そんなはず――。


「――っ、本来なら、上は早急に彼女の遺体を回収したいはずです。なのに、待っている。おまけに外の護衛も清だけだ。そんな手薄な状況で、カメラまで外すとは思えない。"目"を放した隙に、遺体に細工をされる可能性だって――」


「"目"ならあるさ」


 何を言う、とでも言いたげな顔で、充希は俺を指さした。


「巧人、キミが僕を"監視"する彼らの"目"だろう? だから問題ないだろうと交渉したら、ご覧の通りさ。良かったな、巧人。キミは随分とボスに信頼されているらしい。……そうだな、僕の言葉が信じられないというのなら、気のすむまで探してみたらいい。僕はいくらでも待てるからね」


 誓っただろう?

 甘美に誘う悪魔のごとく、かぐわしい笑みを浮かべ、充希は右手の小指を立てた。

 契りの証。


「巧人。僕はキミに、嘘をつかない」


 明朗な断言。――わかる。充希の言葉は真実だ。

 だとしたら、なぜ。どうして、そこまでして、"俺"に固執する。

 ますますわからないと眉根を寄せた俺に、充希は緩く首を振った。


「なに、僕は別に"ユダ"の審判をしようってんじゃない。言ったろう? キミと僕は同じだ。僕はただ、同志との会遇を心から喜び、分かち合う為に自覚を促したにすぎない。……せっかく見つけたんだ。僕はキミの敵になりたくはない。だからこそ、巧人にとってのあらゆる障害は排除する。僕にはそれが出来るのだよ。僕の担う"ヴァンパイアキラー"という存在はね、キミが思っている以上に力を持つからね。それこそ、僕の意思とは関係なく」


 どこか悲し気な双眸が、戸惑う俺を柔く映す。


「信じるか否か、決めるのは巧人自身だ。キミの"解放"に必要だったとはいえ、確かに彼女の件は騙し討ちのような形になってしまったからね。信じてくれと告げた所で、軽薄に聞こえるだろう。だが僕は誠意を持って、真実のみを口にしている。願わくば、巧人。"任務"ではなく"私意"として、僕を受け入れてくれないか。その場しのぎの偽りではなく、唯一無二のパートナーとして、この手を取ってほしい」


 懇願するように差し出された、傷一つない青年の掌。頼りなくも思える外見に反し、この手は、多くの血に触れてきたのだろう。


「巧人、僕はね」


 声に視線を上げると、充希は嬉し気に頬を緩め、


「初めてなんだ。こんなに誰かの、その先を見届けたいと思ったのは。以前、キミを羨ましいと言ったことを覚えているかい?」


「……あなたはあの時、俺を"人間的"だと」


「そう。キミは芯が強く、柔らかい。ヒトを嫌うくせに、ヒトに信頼を寄せている。優しいくせに冷酷で、愛をうとんでいるくせに、愛に飢えている。つまりだね、矛盾的なのだよ。すべてにおいて。だがそれがキミの強さであって、弱さだ」


「…………」


「そんなキミが、僕という"異例"を手にした時、はたしてどう変化するのか、興味がある。愛すべき"VC"のため、を与える救済者となり得るか、はたまた、憎き"ヴァンパイア"を殲滅せんめつすべく、血濡れの戦士となるか。キミがいつか、望むべき世界を手にした時、キミは"人"のままでいられるのか」


「……つまり俺は、あなたのモルモットということですか」


「とんでもない。僕が望むのは、あくまで対等の関係だ。そうでなければ意味がない。僕が見たいのは、巧人と同じ"世界"なのだから。キミが愛玩動物と成り下がったその時は、僕は躊躇ためらいなくこの手を離し、キミのもとを去る。つまりだね、これまでの"生"における最大限の敬意と愛を持って、キミにこの手をとってほしいと懇願しているのだよ」


「…………」


 この人は、唯一であるその名を背負って戦うことに、疲れてしまったのだろう。

 そうでなければ、こんな小さな島国で偶発的に出会った俺なんかに、固執するはずがない。

 俺は目だけで、ベッドで横たわる栃内を見遣った。

 口角が薄く上がったバーベナ色の唇。まだ柔らかさを残した頬は和らぎ、苦痛も絶望も、悲愴も伺えない。

 その姿はまるで、幸せな夢に浸っているかのような。


(――ああ、ムカつく)


 俺は思わず目元を覆った。

 そうだ。俺はずっと、この表情かおを求め続けていた。

 生きることが"正義"じゃない。地獄は、この世の至るところに存在する。

 彼らが苦痛からの解放を、"救済"を望むのなら――せめて、この世から離れる最期の瞬間は、誰よりも幸せに。

 俺はそう、ずっと望んでいた。


 (……もしあの時に、"マリア"があったなら)


 潰れ、散り、人の形を失って"救済"を得た姉さんも、彼女のように美しく穏やかな眠りの中で、"幸せ"になれただろうに。


「……俺には、どんなメリットが?」


「"僕"という武器を手に入れる。おそらく現時点では、地球上で最も価値のある兵器だ」


「兵器って、自分で言いますか」


「物事を自分にとって最適に運びたいのなら、まず自身の価値を冷静に見極め、把握することだ。例え不本意な評価であってもね」


「……この国に来た目的は、バカンスだと聞きました。俺の側にいると"休暇"にはなりませんよ。俺はこの……"相談屋"の任を、手放す気はありません」


「もちろん、心得ているよ。巧人の"仕事"は僕にとっても都合がいい。なんせ、"VC"との出会いが増えるのだからね。今度こそ、"アモーレ"がみつかるかもしれない。それに……狩りも、しやすくなる」


「しっかり"仕事"する気満々じゃないですか」


「巧人、キミは誤解をしている。僕は"仕事"で"ヴァンパイア"を狩っているわけじゃない。僕にとって"狩猟"と"救済"は、果たすべき義務なのだよ」


「それは……あなたが特別な血を持つ、"ヴァンパイアキラー"だからですか?」


「そうだね。その回答は――巧人の返答次第だな」


 にんまりと三日月をかたどる瞳は、明らかに俺の決断を愉しんでいるそれだ。

 怒ってもいい……のだろうが、怒りよりも諦めがまさった俺は、首に手を当て嘆息した。

 ここまで用意周到にお膳立てされてしまえば、返答など決まっている。

 いや。本当はずっと前から、俺の心はとうに答えを出していたのだろう。


(世界に名立たる"ヴァンパイアキラー"と組むだなんて、なにが起きるがわからないもんだな)


 まあ、これまでの過去において、一度も想像通りになったことなどないのだけど。


「俺は、生きなければならないんです」


 唐突に切り出した俺を、少し驚いた眼が映した。が、直ぐに真剣みを帯び、無言で先を促す。


「……アナタの推察通り、俺は自分で"死"を選べません。生きて、生きて、生き続けなければならないんです。許されるのはきっと、"V-2"が地上から消え、あの人を……姉さんを地獄へ叩き落した"N"の男が死んだのを、見届けてから」


「……巧人の姉君は"VC"か。だがなぜ姉君を"吸血"した"ヴァンパイア"ではなく、"N"を恨む? 牙を与えた"ヴァンパイア"よりも深い罪を、"VC"である姉君に刻んだと?」


「金に困っていた"VC"に、その男が"吸血"を依頼したんですよ。自分の婚約者を噛んでほしいと。……別の女性に心惹かれていたそうです。その女性の気を引きたいがために、自身を、"婚約者を吸血によって奪われた哀れな男"に仕立てようとしたみたいですね」


「……なるほど。"吸血"によって婚約は解消、自身は悲劇のヒーローとして、憧れた女性を手にできる。よくもまあ、なんとも欲深い」


「けれども姉さんは、"VC"として生き残った。男の悪事は暴かれ、今はまだ塀の中ですが、いずれは出てくるでしょう。……姉さんは、死にました。五年前に、ビルの屋上から飛び降りたんです。事故で死んだ両親や、俺や……帰りたいと望んだ日々の写真を"おもり"にして、俺に"生きてね"と遺し、この世から飛び立った。……あなたの言葉を借りるのなら、俺は姉さんの"未練"になれなかった。だからこそ、せめて姉さんの遺した願いは……何が何でも叶えようと、決めたんです」


「なら僕は、巧人がその"選択"を全うできるよう、僕が成し得る最大限の手助けをしよう。パートナーとして、キミの背は必ず守る。悪い条件ではないと思うが?」


「……護衛対象がボディーガードの背を守るってのも、おかしな話ですけどね」


「なに。共に無事であれば、問題あるまい」


「まあ、そうですけど……」


 めちゃくちゃだ、と思うのに、納得してしまう自身もいる。

 そう、俺は矛盾的だ。直そうとも思わない。

 ここまで足掻いたのだから、そろそろ、いいだろう。

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