第33話ヴァンパイアキラーとの契約①

「これが全ての真実で、彼女の遺した記録だ。気分はどうだい?」


 かんさわる愉悦を含んだ問いに、俺は「……最悪ですよ」と呻いた。

 双眸から溢れる涙が鬱陶うっとうしい。乱雑に掌で拭って、そのまま目元を覆った。

 これは、彼女の死を悔んだ涙じゃない。

 安堵、羨望、嫉妬。これまで必死に見ないふりをしていた己の本分ほんぶんが、圧倒的な強制力をもって眼前に叩き付けられたからだ。


 自覚してしまった。いや、させられたのだ。この憎ったらしい"ヴァンパイアキラー"に。

 ――俺は、彼女の死を肯定し、うらやんでいる。


「……あなたの標的となるのは、"ヴァンパイア"だけじゃなかったんですか」


「他者である僕の血を求め、口にした時点で、立派な"ヴァンパイア"だ」


「……最初からわかってたって、どういうことですか」


「僕もね、彼女と同じカフェにいたのだよ。あの時ね。昼食をとっていたのさ。……大きな通りが遮っているというのに、吸血が起きた瞬間、彼女の反応は誰よりも早かった。僕よりもね。そしてあまりにもただならぬ様子だったから、店を出た彼女を追ったんだよ。だが巧人も知っての通り、あの日僕は身が重くてね。追い付けはしなかったが、走りゆく彼女の横顔に『死への渇望』を感じた。そして彼女が噛まれた瞬間、確信したよ。理由はなんであれ、彼女は死にたがっているとね。それも只の死ではなく、吸血を所望していた。……巧人から彼女の過去を聞かされて、全てが繋がったよ。実に貴重な情報だった。さすがの僕も、初めての国で特定個人の身元調査は難しいからね」


 つまり充希は初めから、彼女が"死"を望んでいると察知していた。

 俺は、一言も聞いていない。


「……っ、どうして隠していたんですか」


「隠してたわけじゃないさ。訊かれなかったから、話さなかった。それだけだ。"取り調べ室"にまで連れ込んでおいて、何も問いたださなかったのはキミ達だろう?」


(っ、たしかに、そうだけど)


 充希の指摘は正しい。確かに俺も、上も、誰一人として充希を"取り調べ"ようとは考えなかった。

 とはいえ、"訊かれるまでは話さない"と決めたのは充希だ。意図的だろう。

 俺は苛立ちを微塵も隠すことなく、充希を睨んだ。


「彼女の未来を思案する俺は、さぞ滑稽こっけいだったでしょう。お得意の話術でいいように話しを合わせておいて、腹の中で笑ってたんですね」


「いや、それは違うさ。確かに僕は、彼女が死を望んでいると察していた。そして彼女は運悪く生き残ってしまった。美しく善良な"VC"としてね。巧人も覚えているだろう? 僕らが初めてこの部屋を訪れた日を。彼女にあてがわれた現実は、あまりに残酷だった。だから僕は教えたのさ。"僕"の存在をね。だが、あくまで教えただけだ。素性の知れない相手の夢のような甘言を信用し、こうして本当に死を決断するかどうかは、僕にも最期までわからなかったさ。それこそ彼女が"ヴァンパイア"と化すその瞬間まで、僕ではなく巧人の手をとり、新たな"生"を歩んでいく道があったのだから」


 それに。充希は、ほらとでも言いたげに、指先で宙に丸を描いた。


「よく思い出してくれ。僕は一度も巧人に嘘はついていない。おまけに最初から、可能性は告げていたよ。言っただろう? 彼女は僕を頼ってきそうな気がすると。これは今すぐにでも指輪を用意して、永遠の愛を誓いあうべきだと思わないかと」


「!」


(あれは、彼女の死を想定して……!)


 充希の指摘を皮切りに、脳裏では次々とこれまでの充希の言動が再生されていく。

 ああ、そうだ。あれも、これも。確かに充希は、"一度も"嘘をついていない。

 なんなら、全ての種明かしがされた今では、彼女が死を選ぶことを前提として話しているのだとさえ――。


(――くそっ)


 握りしめた掌に、爪がぎりりと食い込む。


「放たれる前の"ヴァンパイア"を狩って、満足ですか」


「……そうだね」


 充希が笑みを深める。光を増した朝陽が、端麗な顔に濃い影を落として、彼の狂気を主張する。


「今、僕の心は想像し得る最大限に満ち足りている。そうさ、とても気分がいい。だが僕の心をこうして掻き立てているのは、美しきバーベナの死ではない。巧人、キミの"解放"を心から喜んでいるからさ」


「!」


 壇上で繰り広げられる空想劇の主人公さながら、俺よりも細い両腕が悠々と広げられる。


「気づいたろう? 巧人。キミと僕は同じだ。"VC"を求め、慈しみ、彼らを哀れんでは"最善"へと導く。愛ゆえに。その"最善"の中には、"死"も含まれているのだろう? なぜなら巧人は、彼らにとって"死"が"救済"になり得ると知っているからだ。おそらく、この国の誰よりもね」


 充希の双眸が、栃内に向く。


「"VC"は、この世界における最大の被害者だ。けれども未だ大多数の人間にとって、畏怖の対象となっている。"吸血"後、運悪く生き残ったとて、その後の扱いに絶望し死を望む者は多い。とはいえやっかいなことに、彼らはその生命力の高さから、単純に"人"と同じ方法では死ねない。自分は"ヒト"であって"ヒト"ではないのだと突きつけられながら、悲惨な末路を辿る"VC"の、どんなに多いことか」


 興奮に高ぶる瞳が俺に向いて、ふと和らいだ。憐みの色を乗せ、恍惚と語る。


「彼女は愛に満ちた"呪い"を受け、望まぬ"生"に縛り付けられていた。僕はその"呪い"を解き、彼女に自由を与えたに過ぎない。結果、彼女は選択した。自身にとっての"幸福"をね。そして僕もまた、"呪い"によって生かされている一人だが……巧人。キミもまた、同じなのだろう?」


「――っ!」


「本心ではその"生"などとっくに見限って、後を追いたいと願っている。だが遺された"呪い"のせいで、生き続けなければならない。これは僕の経験にもとづく勘だが、その愛おしき誰かがキミを置いていったのも、"吸血"絡みなのだろうね。だから君は"VC"を慈しみ、"ヴァンパイア"を憎む。両者は似ているようで、全くの別物だ。その区別が出来る者は実に希少でね」


 それと、もう一つ。

 人差し指をたて、愉悦に弧を描く唇が、謳うように言葉を紡ぐ。


「巧人、キミは今、こうも思っているはずだ。もっと早く僕と出逢えていれば、その愛おしき誰かを"マリア"によってだろうに――とね」


(……くそっ!)


 奥歯をきつく噛み締め、両の拳を握りこめることで、弾けそうな感情を逃す。

 腹の底が熱い。『はらわたが煮えくり返る』とは、正しくこの状態を指すのだろう。

 だが、全身を支配するこの感情は、"怒り"なのだろうか。だとしたら俺は、一体何に、これほどまでの怒りを感じているのか。


 我が物顔で人の本懐ほんかいあばき、雄弁ゆうべんを振るう憎たらしいヴァンパイアキラーにか?

 それとも、奴の並びたてた戯曲を、"憶測"だと一蹴いしゅう出来ない自分にか?


 ともかく僅かでも気を抜けば、首を縦に振ってしまいそうで、俺はただ、必死に理性を手繰り寄せて充希を睨み続ける。

 この部屋で話した言葉、行動。全てが記録として残り、場合によっては"問題あり"として報告されてしまうからだ。


 俺の組織での立場は、『面倒な任務に就かされた哀れな隊員』。八釼も清も江宮も、俺が同じ"正義"の名の下に属していると信じている。信じてくれているのだ。

 だから、駄目だ。俺は充希の問いに頷くわけにはいかない。

 どんな苦難に見舞われようと誇りを持ち、この国の"VC"の為にとその身を投げうって、職務を全うしている隊員達の為にも。


 "VC"の"死"を、"救済"だなんて――。

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