第31話バーベナの告白④

「終わったつもりがまた、生き残ってしまった。それだけでも絶望的なのに、心底嫌悪している"VC"になっているなんて……。"罰"、だと思いました。両親や鐘盛さんの愛を裏切って、一人だけ楽になろうとしたから、罰が下ったのだと」


 私はそっと掌を開いて、視線を落とす。


「真っ白な手……。いまだに、自分の身体だとは思えないんです。目覚めて最初にこの手を見て、ああ、"私"はもういないんだ。この身体で息をしているのは、"私"じゃない"誰か"なんだって感じました。この眼を通して見えるものは全て、その"誰か"が見ている景色。この身体に何が起きようと、"私"には関係ないって」


 そこまで話して、私は思い当たった違和感の正体に気づき、思わず「ふふっ」と笑みを零した。


「なんだか懐かしい感じがすると思ったら、前に、同じような話をしてましたね」


 すかさず充希さんが、穏やかに首肯する。


「ああ、確か僕たちがこの部屋を訪れた、二度目の時だ。キミは言った。"私は私"だと。思考も、感情も、その身体で得るも失うも、全部"私"次第なのだと。僕はね、その言葉を聞いて確信したよ。キミは僕を頼ってくると。そう、まさに今夜を予感したんだ」


 やっぱり。充希さんは、初めから気づいてた。


「充希さんって、けっこう意地悪なんですね」


「おや、嫌われてしまったかな?」


「いいえ。けれど……私は良くても、野際さんは、怒るような気がします」


 充希さんが"ヴァンパイアキラー"だと知ったのは、二人が初めて会いに来てくれた時。

 野際さんに花を任せた充希さんが、こっそりと小さな紙を渡してきたのだ。

 なんてことない雑談を口にしながら、唇に人差し指を立てて"秘密"だと合図する。そうして受け取った紙を開いた私は、少し不格好な字で書かれていた内容に、息を呑んだ。


『僕はヴァンパイアキラーだ。僕の血はVCを殺す』


 心臓が、強く跳ねた。

 死んだのだと思っていた"私"が、期待に、目を覚ます。


 翌日には、心は決まっていた。私は死ぬ。死ねるのだ。

 途端、視界が開けて、気力が溢れてきた私は死ぬための準備を始めた。

 会社を辞め、鐘盛さんに連絡して、最期の我儘を許してもらう。

 部屋の中身を処分してほしい、と告げた私に、鐘盛さんは驚いていた。電話をする前から、混乱させるってわかっていた。鐘盛さんが私の"お願い"を、断れないってことも。


 けれどもまさか、野際さん達に会いにいくとは。

 それだけ、心配させてしまったんだと思う。それは毎日交わす電話からも、痛いほど伝わって来た。

 だけど鐘盛さんは一度も、"会いたい"って、"帰ってきてほしい"って言わなかった。結局、私は最後までその優しさに甘えてしまった。


 充希さんの告白を、野際さんは知らないようだった。彼は日々、まるで線を描いて導くように、"生"への道を促してくれる。

 その温かな懸命さが、とてつもなく心地よくて、愛おしくって、苦しかった。


「私も、怒られちゃいますね。意地悪なのは、私も一緒ですから」


 野際さんがバーベナの水を変えてくれるたび、充希さんは小さな紙を枕下に忍ばせた。


『急ぐ必要はない。楽しめるのなら、いつまでも』


『必要になったら呼んでくれ。連絡先を書いておこう』


 本心を、秘密裏の文通を。告げる機会はいくらでもあったのに、ずっと隠していたのは私も同じだ。

 そうして今日まで、彼を騙し、裏切り続けていた。


「本当は、もっと早く決断するつもりだったんです。けど、"また"が楽しみになってしまって」


「……ここを出てからも、いや、出てからの方が、好きに会えるだろう? なぜ決断を変えない」


「楽しみだと感じることが出来たのも、死ぬと決めた私だからです。充希さん、私ね。この身体になってから、自分の姿もろくに見れないんです。鏡に映る"VC"を見るたび吐き気がして、呼吸さえ疎ましくなって……この手で首を絞めてしまいたくなるんです。そんなんじゃ死ねないって、わかってるのに。だからお願いして、洗面台にある鏡に目隠しをしてもらいました。"VC"になった、自分の姿を見ないように」


 でも、と。私が洗面台へと視線を流すと、充希さんも追うようにしてその先を確認した。


「……目隠しを、とったようだね」


「今日は特別な日ですから。だって、身寄りのない私に葬式はないでしょう? "死化粧"は自分でしなくちゃ。それにきっと、野際さんは"死後"の私を見るでしょうから。その時に、少しでも伝わってくれればいいんですけど。――私にとってこの"死"は、こんなにも"幸せ"なんだって」


 鐘盛さんと出会わなければ、充希さんと野際さんが、会いに来てくれなければ。

 私はきっと、その身を奈落に投げ捨てたまま、人知れず心臓を引き裂いていたに違いない。

 こうして綺麗なワンピースを纏うことも、唇に美しい花の色を乗せることもなく。

 ああ。こんなに身も心も満たされているのは、いつぶりだろう。


「私は、すっごく幸せです。こんなに幸せでいいのかなって、ちょっと不安になるくらい。……死ねることが"幸せ"なんて、他の人には理解出来ないかもしれないですけど、それでも私にとっては紛れもない事実」


 私はとびっきりの感謝を込めて、充希さんに微笑んだ。


「向こうで父と母に会ったら、お二人のこと、たくさん話そうと思ってるんです。楽しくて、親切で、私を救ってくれた"恩人"なんだよって。それから三人で、祈りますね。充希さんが、野際さんが……これからもずっと仲良く、幸せでありますようにって」


 都合の良い、独りよがりで身勝手な計画。裏切ったくせに調子のいいことをって、疎まれても無理はない。

 それでももう、私にできることはこの世にはないから。

 見守るなんておこがましい。だからせめて、感謝を込めた祈りを。

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