第30話バーベナの告白③
「……ならば」
充希さんの瞳が、私を映す。
「なぜ、キミは僕の血を求める」
月明りを瞬かせる、宝石みたいな双眸。なんていったっけ。そうだ、確か、アメジスト。
この瞳は既に全てを見透かしている。そう感じるには十分なほど、確信めいた色が強い。
となるときっと――この問いは、野際さんのため。
そっか、この二人は。"家族"ではないけれど、"特別"の関係。だからこうして、"心"を大切にしたいのだろう。
なにも知らない彼は、いまごろ温かな布団の中。私は微笑ましい気持ちを胸に、優しい彼を想って答えた。
「私は、"VC"が憎いんです」
私にとって二度目の吸血事件となったあの日、出先から会社に戻る前にと、私はよく利用するカフェで遅い昼食をとっていた。
この店は大通り沿いに面した位置に、カウンター席がある。右から三番目の席が、私のお気に入りだった。
時折スマホを弄りながら、アイスティーとクリームパスタを咀嚼する。と、ふと見遣った窓の外に、小さな花畑を見つけた――ように、空目した。
(っ、間違えた)
女の子だった。ようやく顔を覗かせ始めた春を切り取ったような、淡くも主張する薄紅色の花が描かれたワンピースを着ている。
アッシュピンクの、柔らかく波打つ髪。見える肌の色は、私とそう大差ない。
"N"だ。無意識化に判断しながら、私はアイスティーのストローを咥えた。
彼女は大通りを挟んだ向こう側で、スマホを両手で握りしめながらキョロキョロと周囲を見渡している。
待ち合わせ、なのだろう。彼女は意中の相手がいないとわかると、建物側へ数歩後退し、手中のスマホへと視線を落とした。
(……へんなの)
大通り沿いとはいえ、平日のこの辺りの人通りは極端に少ない。目立ったショッピングモールもなければ、写真映えするモニュメントもない。
どちらかと言えば、社会の歯車として躍起になっている私みたいな人間が、疲れた顔で通り過ぎて行くような道だ。
こんな場所を指定するなんて、彼女の待ち人は会社勤めの人なのだろうか。
雰囲気からしてデートだろうな、と憶測を立てながら、私は野次馬心で観察する。
(……可愛い子)
肩下まで伸びた髪はしっかり手入れが行き届いていて、化粧も派手すぎず愛らしい。
二十代前半だろうか。まだ時折吹く風は冷たさを残しているといのに、ワンピースから伸びる脚は素肌のようで、細く華奢なヒールが良く似合う。
寝ぐせ隠しにと髪をくくり、ロングパンツばかりの私とは、まるで正反対。眩しいその姿に、双眸を細める。
彼女がこれから歩む人生は、きっと、あの服に描かれた花々のごとく美しく温かいのだろう。たくさんの愛に囲まれて。たくさんの幸福に、愛でられて。
絶望の淵に垂らされた蜘蛛の糸に縋って、"呪い"を抱えながら生きる私には遠く及ばない存在。
羨ましい、のだろうか。どうだろう。なんだか少し、違う気がする。
たぶん私には、自分の"これからの人生"を想像するだけの希望も活力もないのだろう。
ただただ思うのは、どうかあの彼女には幸せになってほしいという、身勝手な願望だけ。
映画のスクリーンのように目だけで追っていると、たっぷりの時間を置いてから、顔を上げた彼女が笑顔を咲かせた。
待ち人が来たのだろう。パスタはすっかり片付いていて、残り僅かなアイスティーは溶けた氷で薄まり、飲めたものじゃない。
(……行こうかな)
勝手な安堵に達成感を感じつつ、私は席を立ちながら彼女の待ち人へ視線を遣った。
刹那、息が止まった。
彼女が愛おし気に笑いかける先には、真っ白で、真っ黒な男。
彼女と同じか、少し上くらいの若い男。否、"VC"は一度外見が若返るから、実年齢はもっと上なのかもしれないけど……そんなことは関係ない。
若い男の"VC"。足元から血が逆流して、心臓を凍らせる。
どうして、そいつは、なんであなたが。
溢れる疑念と混乱、フラッシュバックする、あの日の惨劇――。
「っ!」
瞬間、グラスが倒れた。音に思考を切った私は、慌ててグラスを立ち上げる。
幸い、トレーの上で倒れてくれたので、周囲に被害はなかった。音に気付いたのだろう、店員さんが「大丈夫ですか?」とおしぼりを持って来てくれたので、私は「すみません、平気です。ごちそうさまでした」と逃げるようにして店を出た。
わかってる、"彼"はあの男じゃない。
差別や吸血衝動に苦しみながら、それでも必死に"輸血"で生きる"VC"も沢山いる。
彼もきっとそう。だってほら、証拠にあの子はあんなにも幸せそうに――。
「…………え?」
一瞬だった。開いた口から覗く鋭利な牙が、細く滑らかな彼女の首元に埋まる。
流れ落ち伝う赤い雫。彼女が崩れ落ちるとほぼ同時に、誰かの悲鳴が轟いた。
「――吸血鬼っ!」
気が付いたら、走り出していた。混乱に乱れクラクションを鳴らし右往左往する車体を抜け、彼女を捨てて逃げだした白くて黒い男を追った。
許さない、許さない。ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない……っ!
彼女の幸せを奪ったのも、父と母を殺したのも――私を、噛まなかったのも。
「キミを、噛まなかった」
静かに耳を傾けていた充希さんが、確認するように語る私の言葉を繰り返した。
私は首肯する。
「あのとき私も噛まれていれば、一緒に逝けたのに。……だってね、充希さん。今って子供はもちろん、宗教団体や芸能人にだって"VC"がいるじゃないですか。私の憎しみはちっとも薄れてくれないのに、ふと見渡せば彼らはどこにでもいて、楽しそうに笑っているんです。……地獄ですね。彼らも被害者だと頭では分かっていても、感情は、コントロールできるものじゃないですから」
何度も必死に繰り返した。彼らも、可哀想なヒト達なのだと。
けれど無理だった。
私の心は、的確に、明確に、"VC"という存在を拒否し続けた。
――それは、今も。
「……前に、野際さんが犯人に声をかけた私を"勇気がある"って誉めてくれましたけど、全然違くて。きっと野際さんは、私が正義感から犯人を呼び止めたと思ったのでしょうけど、あの男を追いかけていた時の私は、ちっとも噛まれた彼女のことなんて頭になかったんです。私の心にあったのは、"VC"が憎い気持ちと、今度は自分も噛んでもらえるかもしれないっていう――"希望"に似た感情でした」
そう、確かにあの時、私は彼に希望を見出していた。
彼が私を噛めば、この地獄から解放される。
縋りついていた蜘蛛の糸も、強制的に断ち切られてしまったんだと。ずっと焦がれていた二人の元へ、言い訳を携えて会いにいける。
「きっとあの男も、私に
だから鐘盛さんを思い出したのだ。"置いていった"両親ではなく、"置いていく"彼女を。
きっと悲しむだろうから。きっと、傷を負うだろうから。かつての私のように。
けれど同時に、鐘盛さんなら理解してくれると思った。甘えたのだ。つまり。
彼女の与える無償の愛を幼子のように享受しながら、私は全てを切り捨て、逃げ出した。
この世界から抜けだせたのだと、思ったのに。
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