第29話バーベナの告白②

 そして母も。奇声をあげ、常人とは思えぬ動きで荒ぶったかと思うと、パタリと突っ伏し動かなくなった。頭の下でジワリと滲んだ赤色が、和紙を染め行くように白を侵食していく。

 追うようにして、父もまた。


「……とうさっ、おかあさん」


 二十六年前、真っ白な雪が降りしきる日に私を抱きとめてくれた人達は、真っ赤な血だまりに倒れ逝ってしまった。


 事件の詳細と犯人の顔を知ったのは、それから一週間後のことだった。

 私は病院にいて、まだその身に起きた現実を受け止めきれずにいた。頭はぼんやりしていて、誰が話していても、言葉は耳をすり抜けていくだけの意味をなさない音になっていた。


 出された食事もほとんど手を付けられず、いつ寝ているのかもよくわからない。部屋にテレビはなくて、私はただベッドの上で、目を開けて呼吸するだけの存在になっていた。

 わかっているのは、自分たちが"通り魔的吸血事件"に巻き込まれ、"VC"に噛まれた両親が死んだという事実だけ。


 入院時から対応してくれている心療内科の先生も、看護師も、「ゆっくりでいいですから、頑張りましょう」と励ましてくれるだけで、事件のことは口にしない。

 スマホは手元にあったけど、ネット検索はおろか、メールも通話も出来なくなっていた。


 ベッドに横になりながら、ただの電子記録媒体となったスマホのアルバムフォルダを開く。ぽつぽつと点在する、もういない、父と母の姿。


 ――もういない?


 途端、私は無性に腹がたって、部屋を飛び出した。勢いのままナースステーションに駆け込むと、何となく記憶にある看護師さんがいた。


「事件のことを教えて!」


 看護師さんは何か言っていたけれど、私は初めて言葉を知った子供ように同じ言葉だけを繰り返した。

 喉が痛い。けれども、衝動は収まらない。

 暫くすると先生が来て、じっと私の目を見た。私も先生の双眸を見据えて、もう何度目かもわからない言葉を告げた。


「事件のことを教えて」


 先生は小さく頷くと、私を診察室へ促し、私の求めるまま事件の詳細と犯人の顔を教えてくれた。

 若い、男だった。銀の髪は耳を少し隠す程度に短く、スーツを着込んだ姿は"VC"であるという点を除けば、平凡な風貌だった。


 横浜市内に勤務する会社員だという。

 いたって真面目で、人付き合いも良く、とても"吸血事件"を起こすような人には思えなかった。周囲はそう口を揃えて、驚いていると。


「まず、栃内さんは生きてください」


 先生が諭すように言う。


「それがあなたをその身を呈して守った、ご両親の意志です。犯人への復讐心でも、なんでも構いません。とにかく、今は生きてください」


 ただし、と。先生はモニターに映された男へと視線を流した。


「ご覧の通り犯人は逮捕され、少なくとも数十年は塀の中です。忘れろとはいいません。いえ、忘れることはできないでしょう。けれどもあの塀を越えなければ、復讐も不可能です。なにより、"N"であるあなたの方が、先に死ぬ確率が高い。ですのでどうか、いずれ時が来たら、貴方の"命"を生きてください。今はその時まで、その守られた命を、繋ぎましょう」


 退院後、当時勤めていたアパレル会社を退職した私は、貯金を切り崩しながら、一年ほど先生の元へ通った。両親の死によって支払われたお金には、手を付ける気にならなかった。


 過ぎた時間の影響か、治療の効果か。気づけば人らしい日常生活を送れるまでになっていた私は、新宿に拠点を移し、再就職をした。

 理由は単純。生きていくにはお金が必要だったし、何より私は大切な人の命を奪った"VC"なんかと、日常を共になんてしたくはなかったからだ。


 私の決めた会社は、秘密裏に"VC"は"VC"だけのフロアにて仕事をさせる、『ホワイトアウト企業』だった。雇ってもらえたのは、"通り魔的吸血事件"の被害者を雇用したという、会社の"実績"になるからだというのは理解していた。

 理由はなんであれ、雇ってもらえるのなら関係ない。ともかく働き口を確保した私は、家を探し始めた。


 家賃が安くて、それなりに安全そうなアパート。そうして見つけたのが、鐘盛さんのアパートだった。

 空いていた部屋は、大家である鐘盛さんの隣。そういう事情もあったから、鐘盛さんはよく気にかけてくれたんだと思う。

 朝の挨拶から始まり、食事の差し入れやらお菓子のお裾分け。体調不良になれば看病をしてくれて、弱音や愚痴を聞いては、「しっかりなさい!」と背を叩いてくれた。


 気付けば休日には鐘盛さんの家で一緒にご飯を食べ、共に出かけるようになっていた。

 鐘盛さんと一緒いると、妙に心が安らぐ。張り詰めていた糸が緩んで……知らずに忘れていた、父や母と過ごしていた時の感覚。


「あの、鐘盛さん。私、迷惑じゃないですか?」


 アパートに越してきて二年目の大晦日。鐘盛さんの家で炬燵こたつに入りながら、私は世間話のように切り出した。

 対面で、ミカンを剥いていた手が止まる。けれどもそれはほんの一瞬で、鐘盛さんは顔を上げずに言った。


「迷惑をかけいるのは、あたしのほうよ。図々しくもね、紗雪ちゃんのこと、娘みたいに思っちゃってるの」


「え……?」


「ごめんなさいね。嫌だったら、ちゃんと言ってちょうだい。でもそうでないのなら、これまで通りお節介を許してくれると嬉しいわ」


 鐘盛さんは剥いたミカンの半分を皮の器に乗せて、私に「はい」と寄こした。


「あら、もうすぐ除夜の鐘ね」


 テレビを見遣って、鐘盛さんが笑む。

 こんなに沢山を共に過ごしているのに、鐘盛さんが私に過去を尋ねたことはない。

 どうして越してきたのか、どうして一度も、家族に会いに行かないのか。


 今だってそうだ。訊こうと思えば訊けるだろうに、ワザと話を打ち切る。語る必要はないと、示してくれている。

 ――私のために。


「……鐘盛さん」


 私はミカンをひとつ頬張って、心を決めた。


「私の話を、聞いてくれますか。こんなおめでたい時に話す内容じゃないと思うし、そもそも上手く説明できる自信もないんですけど……」


 誰にも話す気はなかった。打ち明ける必要も、ないと思っていた。

 でも、私を"娘"と言ってくれたこの人には、全てを知って欲しいと思ったから。

 除夜の鐘が響きだす。鐘盛さんはそれでも私を見つめて、瞳をゆるりと和らげた。


「……ゆっくりでいいから、聞かせてちょうだい」




「なるほど、そうしてキミ達は"家族"になったのか。そして彼女が、キミをこれまで生かした」


 穏やかながらも的確な充希さんに、私は小さく苦笑を浮かべて「そうですね」と首肯した。


「このとき私は初めて、心から"生きよう"と思えました。ずっと、いつになったら両親は許してくれるのかと、そればかり考えていましたから」


 父と母はその身を壁にして、私を守った。「にげて」と絞り出した母の声を、何度夢の中で繰り返したか。

 戒めだと思っていた。追いたい気持ちを捨てきれないでいる、娘への。

 けれど私には、そこまでして生かされる意味がよくわからなかった。


 だって、心はとっくに死んだから。

 臓器だけを動かす生に、何の意味があるのか。

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