第25話哀しき復讐と未練⑤

「……傷」


「ああと、これは自分でやった傷ですから」


「……」


 どこか不満げな表情をした彼女は、ちらりと目だけで充希を見た。


「……わかりました」


 苦言を呑み込むようにして了承を示した彼女は、ぐっと顎先を上げると、


「事件の被害者として、こちらへの"報告"を必要とする事項はありますか?」


 あくまで"隊員"ではなく、被害者である"相談屋"として。

 俺の立場を重んじた問いに、俺は「そうですね」と考える素振りで、


「この自分の"うっかり"でつけてしまった傷以外、怪我はありません。ご報告するようなことといえば、彼は先日の"加害者"である須崎の友人だったそうです。ウチの事務所への"脅迫"も彼が。動悸は逆恨み……の一言でまとめるには少々複雑ですが、大筋としてはこちらとしては身に覚えのない怨恨ですね」


「……左様でしたか。ご協力、感謝します」


「"警察"を呼び出してくれた友人が待っているので、早めに解放頂けるとありがたいのですが」


「……わかりました。あちらのナイフは念の為、こちらで預からせて頂きます。詳しい"聞き取り"は後程に。行って頂いて構いません」


「ありがとうございます。充希さん、栃内さんの所に行きましょう。きっと心配されていると思いますし――」


「……その前に」


 振り返ろうとした俺を、彼女が小さく静止した。

 ジャケットの内ポケットから隊員証(警察手帳と似た形状だ)を取り出し、絆創膏を抜き出す。と、一歩を踏み込んで、


「……あまり、無茶をしないでください。"先輩"」


 首筋に、そっと貼り付けられた感覚。小さな呟きを残し指を引いた彼女は、どこか寂しげに瞳を伏せると、背を向けて隊員たちへの指揮に戻っていった。

 頼もしい背中に胸中で別れを告げた俺は、今度こそ充希に振り返り、


「いきましょうか」


「ああ。……彼女もまた、熱烈な女性のようだな。それに随分と用意がいい」


「ええと……面倒見がいいんですよ。本当、ありがたい限りですね」



 栃内の病室に戻ると、部屋前には別の警備員が立っていた。

 江宮と一緒に来たのだろう。俺達のことは心得ているようで、「相談屋です」と告げると中に入れてくれた。


「野際さん! 充希さん! よかった、ご無事だったんですね……!」


 駆け寄ってきた栃内の瞳は潤んでいる。

 やはり随分と心配をかけてしまたようだ。当然か。"普通"の人ならば、あんな襲撃現場に立ち会うことなど人生で一度あるかどうかだ。


「警備員を呼んで頂いて、ありがとうございました。助かりました」


「すまなかったね、せっかくの花見だったというのに」


「そんな、いいんです。本当に、お二人が無事で……?」


 栃内が不自然に言葉を切った。途端、みるみるうちに青ざめて、


「野際さん、その首……っ!」


「あ、と。違います。"吸血"ではありません。うっかり自分でしまって。本当は絆創膏なんて必要ないくらいなんですけど……驚かせてしまって、すみません」


「いいえ……ごめんなさい。私の方こそ、もしかしたらなんて馬鹿なこと……。"吸血"だったら、こんな……戻ってなんてこれないのに」


 震える手をもう片方の手で押し込めて、栃内は無理やり安堵を引き起こすようにして息をついた。

 充希が「仕方ないさ」と肩を竦める。


「強烈な記憶は無意識にも刻まれる。ましてや、自身が経験したとなれば尚更だ。それはさておき、見てくれ! この通り、幸いにも団子は全て無事だ。あいにく下は

降りるには難しいが、幸い、ここにはバーベナがある。少々元気がなくとも美しさには変わりない。気分転換にも、仕切り直しといこうじゃないか」


 いそいそと丸椅子を並べ始めた充希に、気を取り直したような顔で栃内が「そうですね」と頷いて加勢する。

 彼女の気が紛れるのなら、俺に止める理由はない。


 窓際に置かれた花瓶に向かって三人で横並びに座り、団子と共にとりとめもない会話を舌に乗せる。

 ささやかながらも穏やかな"花見"。

 そうしてついに、それぞれが最後の一本を手にした時だった。

 響いた声はふと漏れ出たようで、確かな決意を含んでいた。


「……あの人は、"N"だったのに。どうして、あんなことを……?」


 訊ねられたのは、あの犯人のことだろう。充希が俺に視線を投げる。

 栃内にも関係のあることだ。とはいえ、彼女が望まなければ、話すつもりはなかった。

 彼女もきっと、どこか察していたに違いない。それでも、尋ねた。知ることを選択したのだ。

 俺は団子を咀嚼してから、


「……どこまで話しますか?」


「……全て、知りたいです」


「……わかりました」


 俺は栃内の体調を伺いながら、あの男が須崎の友人だったこと、その"突然死"を嘆くあまり、彼を"見殺しにした"俺を恨んで狙ってきたのだと話した。

 栃内は、冷静だった。俺が話し終えると、窓際のバーベナに視線を流して、


「あの男には、大切なものなんて何もないのだと思っていましたが……捨てていったんですね。自分を、愛してくれる人を」


 彼女の声に怒りはない。どこか噛み締める様な呟きに、充希が「結果としては、違いないがね」と静かに頷く。


「これは僕の仮説に過ぎないが、彼の場合は"置いていく"つもりはなかったのかもしれない。その身になにが起きようが、全ては変わらずそこに在るのだと……盲目的なまでに、信じていた。自身で意識することなく、自然と。なんとも幸福で、残酷なことだ」


 だがまあ、と。憂いだ瞳を伏せて、充希は口端を吊り上げた。


「死んでしまったのだから、"置いていかれた"モノがどうなろうと、あの彼には関係のない話だ。"神"のごとく奇跡的な復活でも遂げない限り、この身がなくなれば全て終いだからね。死者の面影にすがり、それまでの生に意味を与えようとするのは、"置いて行かれた"側の未練でもあるが、身勝手でもである。愛というのは、実に奥深く、厄介だな。だからこそ、愛おしいのだが」


 ゴマ団子を咀嚼して、充希はのんびりと窓を見上げた。


「考え、選択できるのは"生"を持つモノだけだ。己が正しいと思い選んだ道が、そのモノにとって"正しい愛"なのだろう」


 遠い過去を慈しむような瞳。彼も"置いていかれた"経験があるのだろう。そう思わざるを得ない表情だ。

 未だ謎の多い、世界で唯一の"ヴァンパイアキラー"。

 俺には想像できない程の重圧を、迫害を背負ってまで"生"を選ぶ彼には、いったい、どんな"未練"があるのだろうか。


「……おや?」


 何かに気づいた充希が、団子を口で咥えて袋を手に取った。


「お行儀悪いですよ」


「ふふぁんふふぁん……っと、見てくれ」


 串を再び手中に戻し、袋から右手を引き抜いた充希が俺達の眼前でそっと開く。

 柔らかな薄紅色の、花弁がひとつ。


「さくら……」と呟いた栃内に、充希は「ふふっ」と頬を緩めて、


「こんな風に追ってくるなんて、随分と情熱的な花だな。僕らに置いていかれたのが、随分と寂しかったようだ」


「……ただ紛れ込んだだけですって」


「巧人は相変わらずドライだなあ」


 けらけらと笑う充希。「……あの」と栃内が声をあげた。


「その花びら、貰ってもいいですか?」


「もちろん。キミの望むままに」


 充希の掌からそっと花弁を摘まみ上げた栃内は、胸中から湧き上がる感情を抑え込むようにして「ありがとうございます」とその手を胸に抱き寄せた。


 写真を抱え込んだ姉さんの、飛び立つ間際の姿が重なる。


 いま、目の前の彼女の瞼裏まぶたうらに浮かんでいるのは、"置いていく"鐘盛の姿だろうか。それとも、"置いて行った"、家族の姿か。


(……己が正しいと思い選んだ道が、そのモノにとって"正しい愛"、か)


 確かに、充希の言う通りだ。"置いていかれた"人間には、途方のない無力感に反して、無数の選択肢が用意されている。

 あの男は、その中から"俺に復讐する"という選択肢を選び取った。そして俺もまた、紛れもなく自身の意思で、今の生き方を選択した。


 ならば栃内が"鐘盛に会わない"と決めたのも、彼女の選択なのだろう。

 彼女の"愛"がそれを"正しい"とするのなら、俺は、このまま彼女を見送ってあげるべきで――。


 栃内の眉間には、微かな皺。その胸中に隠された真意は見えないが、陽光に透ける桜の花弁は、ほんの一枚でも美しかった。

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