第24話哀しき復讐と未練④

「なぜそんなにも彼を愛しているというのに、こんな簡単な"悪"に気づかない? キミの愛おしい彼が"吸血"さえしなければ、彼はまだ生きていた。キミがこうして身を費やすことも、光ある世界を失うこともなかった。全てはキミが彼の"吸血"を止められなかったがために起きた"悲劇"だ。そうだろう?」


「違う僕は……っ! 僕は蓮の"吸血"の場にいなかった! 止めようにも止められるわけーー」


「そう。キミは彼の"吸血"の場に、いなかった。もう一度言おう。いなかったのだよ、キミは。彼のどこにも。キミは彼の"未練"にすらなれなかった」


「!」


「一度でも"吸血"を行えばどうなるか、彼は知っていた筈だ。キミとは引き離され、高い塀の中。キミの曲など歌えない。仮に出てきたところで、キミが待っているともわからない。"人間"というのは、彼らと違ってもろいからね。それでも彼は"吸血"を選んだ。衝動的な一度だけでは止まらず、自らの意思で、数度」


「――っ!」


「理解したかい? キミは彼を止められなかった。キミが彼の"未練"になれていれば、彼は"吸血"を思い留まった。死なずにすんだのだよ」


 硬直したまま全身を震わせる青年の額に、驚愕とも絶望ともとれる汗が伝う。

 だが充希はにこりと、場違いなほど無邪気な笑みを浮かべた。


「さて。キミの愛おしい彼を殺した"ヒト殺し"は、誰だろうね?」


「……あ」


 青年が、か細い声を漏らしたその時、


「――そこまでだ!」


「!」


 とどろいた怒号に、視線を投げる。清だ。三階の手すりを両手で掴むと、全身のバネを使って軽々と乗り越え、俺達のいる一階に難なく着地した。

 あっという間に距離を詰めた清によって、俺の拘束していた青年の手首が奪い取られる。


「テメエは傷害および銃刀法違反の容疑で逮捕する。詳しい話は、警察署でゆっくり聞かせてもらうかんな」


 細い手首にかけられた手錠が、カチャリと金属音を響かせた。


「って、おい?」


 清が疑問の声をあげたのは、青年が抵抗したらからではない。逆だ。

 脱力した彼は清が引っ張り上げるも立つことすらままならず、青ざめた唇は「ぼくがぼくが殺したどうしてぼくはぼくだけだっていってたのにぼくはまもれなかったころしたのはぼく」と壊れた機械人形のようにわなないている。


 どこを映しているでもない、虚ろな視線。

 青年の明らかな異常に眉根を寄せた清は、


「おい、コイツに何をした」


 睨みつけるような眼光を受けた充希は、困ったように肩を竦め、


「僕なりに巧人の援護をしただけさ」


「だから、何をしやがったんだって聞いてんだよ!」


「なに、友好的な対話によって彼の"思いこみ"を正しただけさ。まさかそうも"壊れて"しまうとは……彼の愛は随分と根を張っていたようだな。僕からすれば、羨ましい限りだ」


「……話をしただけで"こう"なったってことかよ」


「そうなるな。ああ、少しばかり僕の脚が"お転婆"だった場面もあったが、彼を構築する歯車を狂わせるほどの効力はなかったさ」


「……おい」


 本当か。そう問う懐疑的かいぎてきな視線が、俺に向いた。

 ゆっくりと立ち上がった俺は、静かに頷く。


「嘘はないよ。俺が保証する。拘束されてた充希さんを解放させるのに少し協力してもらったけど、まだ彼に変化はなかったし……"そう"なったのは、充希さんが話をしてからだ。後でこの周辺のカメラを確認してくれれば、分かるはずだよ。どこかには残っているだろうし」


「……テメエに言われなくても、確認するに決まってんだろ」


 納得してくれたらしい清は、懐から白いハンカチを取り出すと、片手で器用に青年のナイフを掴み上げた。


「これだけか?」


「ああ、あっちのは俺のだ」


「見りゃわかる。どーせコイツには使ってねえんだろ」


 吐き捨てるような確認に、「ああ」と苦笑交じりで首肯する。と、清は舌打ちをして、


「そんなんだから、いつまで経っても戻ってこれねーんだよ」


 俺は俺なりに、今の"任務"を気に入っているのだけれど。

 そんな本音を口にしては更に怒られてしまいそうで、俺は肩を竦めるに留めた。


「……事務所に届いてた手紙の件も、彼だった。後の事はよろしくな」


「……優秀な俺サマがトチるワケねえだろ。ぶん殴るぞ」


 俺との会話を切り上げた清は青年の腕を掴むと「オラ、立てってんだよ」と力任せに引き上げ、片腕を担ぐようにして出入口へと向かっていった。

 そのタイミングを見計らったかのように、遠くからサイレンの音が近づいてくる。青年の耳にも届いているだろうに、その後ろ姿から変化は読み取れない。


(……ひとまずは、これにて一件落着か)


 一度も振り返ることなく、二つの背が自動ドアの向こう側へと去っていく。

 半透明のドアが再び外界とを隔てた刹那、共に見送っていた充希がおもむろに口を開いた。


「すまなかった、巧人」


「へ!?」


 これまで聞いたことのないしおらしい声に、思わず驚愕の眼を向けると、充希が「どうした?」と首を傾げた。


「いえ、そんな真面目なトーンで反省されている充希さんは初めてだったので……ちょっと、ビックリしました」


「僕の謝罪は常に真面目なんだがね。それはさておき……今回は、僕にはつぐない方がわからない」


つぐない? ああ……彼のことは優秀な精神科医が治療に励んでくれるでしょうし、特別、上に謝罪は必要ないかと――」


「違うさ、巧人。僕がつぐないたいのは、キミだ」


 俺を見上げる、痛まし気な双眸。そっと伸ばされた指先が、掠めるようにして俺の首筋に触れた。


「……こんな傷をつけるつもりはなかった」


 引かれた充希の指先に、微量ながら血の紅。俺の血だ。首筋にナイフを押し当てた時に、切ってしまったのだろう。

 そう気づいた途端、首筋がずきずきと痛みを訴え出してきたが、血が多少滲む程度の軽微な傷だ。問題ない。清が何も言わなかったのが、何よりの証拠だ。


「ちょっと切っただけなんで、大したことないですよ。それに、俺が勝手にやったことです」


「だがそのきっかけを作ってしまったのは僕だ。他の誰もでもない、僕が巧人を傷モノにしてしまった。責任をとらせてもらいたい。僕は巧人になにをすればいい?」


「……そうですね。誤解に誤解を重ねそうなので、出来ればその言い方を止めてもらえると助かります」


「誤解? 僕は事実を述べているまでだが?」


「わかりました。わかりましたから」


 どうやら外では迎えが到着したようで、どこか好奇の混じった喧騒と共にスーツ姿の"仲間たち"がぞろぞろと入って来た。

 正確には、自身を持って"仲間"と言えるのは、その中で指揮を執る女性隊員のみだ。


 彼女は江宮奈美えみやなみ。余分の少ないスーツはバランス良い体躯を強調し、彼女が指示を飛ばす度に、後頭部で結い上げられた黒髪が揺れる。

 ふと、彼女の双眸が俺達に向いた。途端に下がり気味の目尻にくっと力を入れ、


「その方たちは私が対応します。アナタは上階の方々の聞き取りをお願いします」


 俺達に話しかけようとしていた若い隊員が、頭を下げて階段へと駆けていく。

 江宮は静かな足取りで俺たちの眼前まで歩を進めると、俺の首筋に視線を留めて顔をしかめた。

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