第23話哀しき復讐と未練③

「僕を殺せなかったキミだけが、ずっと、永遠に地獄の中だ。……さようなら」


「――まてっ! そんなの許すもんか!!」


 瞬間、青年が充希を放り捨て、俺に向けて駆け出した。と、充希が即座にしゃがみ込み、床に添うようにして左脚を伸ばす。


「!?」


 つまづいた青年が、バランスを崩した。その隙に間合いを詰め、青年の腹部を膝で蹴り上げる。


「――ッ」


 即座にナイフを持つ手を掴み、脚をその背に回して青年を地に落とした。


「――あがっ!」


 俺の体重を乗せ床に沈み込んだ身体から、苦痛が響く。

 掴んだ青年の手首に一層の力を込め、可動域とは反対側へ押し上げると、苦悶の声と共にナイフが落ちた。


 ――確保。


 過った安堵に、どこかのんびりとした充希の声が重なった。


「お見事だね、巧人」


「……よく、わかりましたね」


 俺が長々と告げた充希への"今生の別れ"には、"もう好きにしていい"、"出来れば足掛けしてくれ"という意図を込めていた。

 自決しようとした俺に、青年は分かりやすく動揺していたし、まあ充希に伝わらなくとも隙を見ていいように逃げてくれれば……程度の期待だったのだが。


「助かりました。ありがとうございます」


 あまりに鮮やか過ぎた足掛けに礼を告げると、充希は誇らしげに胸を張って、


「なに、僕は巧人の助手だからね。これくらい造作もない」


「……助手"見習い"ですけどね」


「ああ、そうだったな。だが今回は、大幅なポイントアップになっただろう? 僕がキミのワトソンを名乗る日も、そう遠くないはずだ」


 いや、てかその前に、あなたはウチの社員じゃなくて"本業"があるでしょうに……。


「――くそっ! はな、せっ! はなせよヒト殺しっ!!」


 脚の下で、乗り上げた背が必死にもがく。

 俺は逃すまいと慎重に力を込めて、


「もうすぐ警察がくる。大人しくした方が、キミの為にも……」


「うるさい! うるさいうるさいうるさいっ!! 殺してやる! アンタも! ソイツもっ……生き残りやがったあの女も!」


「!」


 青年が無理やりに首をひねって、憎悪に満ちた目で俺を見た。


「蓮じゃなくてあの女が死ぬべきだったんだ! あの女が噛まれたのに生き残りやがったから! 蓮は……っ!」


 支離滅裂……なんて、錯乱状態の相手に理論を求めるだけ無駄だろう。


「……キミは僕を"ヒト殺し"だと言うけれど、蓮くんは"吸血"で恋人の子を死なせているし、あの女性だって、命こそ助かったけれど、生死をさ迷ったんだ。おまけに一生、"吸血前"の日常には戻れない。蓮くんは、二人の人生を奪った"ヒト殺し"だよ」


「はっ! 蓮の命が、あの女どもの命と同等の筈ないでしょう? そもそも、前提から間違っているんですよ。アイツらが噛まれにきたから、蓮は噛んだ。仕掛けてきたのはそっちなのに、いざ噛まれたら被害者面ですか。汚い女どもだ。……ああ、そうか。その女どもの血が汚かったせいで、蓮は心臓発作を起こしたのか」


(――コイツ)


「それは、違う。あり得ない」


 手首を握る指先に、ぎりりと憤怒が籠る。


「! いっ……」


「キミにとってあの男が大切だったのは、わかった。だが彼が行った"吸血"は、殺人と同等……いや、それ以上の犯罪だ。人格がどうであろうと関係ない。彼は非道なる身勝手な加害者で、彼女たちは被害者だ。俺を逆恨みするならともかく、彼女達を悪のように言うのは許さない」


「いた……っ! お、折れ、る……!」


 どうして。どうして何もかもを奪われた側が、さも悪のように言われてしまうのだろう。

 脳裏に、「あの女が悪いんだ」と喚いた、思い出したくもない醜男の影が浮かぶ。


(……これだから、人間は嫌いだ)


 善も悪も、身勝手で押しつけがましい。

 嘘も裏切りも、自身の利益の為なら、息を吐くように平然とこなす。


(俺達はただ、支え合って、当たり前の日常を当たり前として、過ごしたかっただけなのに)


「――キミは随分と、彼を愛していたのだな」


「……っ」


 歌うような声に、思考が途切れる。顔を上げると、慈愛を滲ませた双眸で充希が青年を見つめていた。


「つまるところキミは、愛する彼への忠心ゆえ、正義の名の下に"報復"を行おうとしているのだろう? 牙の代わりに刃を持ち、その身を捧げて。キミに主観を置くのなら、確かに彼は悲劇的にも"吸血"を行ってしまった、哀れな青年になる。僕も巧人も、噛まれた女性たちさえも、彼を死に至らしめた"悪"に違いない」


「……どうやらあなたは、理解力が高いようですね。やっとまともな会話が出来そうです」


「ちょっ、充希さん……!」


 驚愕に声を上げた俺に、充希さんは片手だけを俺に向けた。

 静止の合図。反射的に口をつぐんだ刹那、


「それはどうだろうか。僕はね、いま猛烈もうれつに腹が立っているのだよ」


「!」


 温度の低い、剣呑な笑み。息をのんだのは、俺だけではないはずだ。

 おそらく俺と同じ表情をしているであろう青年に双眸を固定したまま、充希は鼻で笑うような仕草をして「そうだな」と話を続けた。


「キミのその理論を拝借するのなら、今の僕はまさにキミと同じだ。愛する者を傷つけられ、実に深い不愉快と怒りを覚えている。分かりやすくいこう。キミのとっての彼が、巧人なのだよ。そう、今まさにキミに乗る彼だ。確かにこの世で今、一番キミの心情と近しい感情を抱えているのは、僕かもしれない。が、僕とキミは、違う。僕にはキミの行動において、理解出来ない部分が多すぎるのだよ」


 例えば、だ。ゆっくりと歩を進めて来た充希が、青年の落としたナイフを踏みつけた。

 俯く表情の先で、黒い靴底がざり、と鈍い音を立てる。


「僕は確実に相手を仕留めたい場合に、不慣れな武器を選ばない。失敗要因を増やすだけで、結果には結び付きにくいからね。……こんな紛い物なんかが、彼らの"牙"の代替えになるとも思えない。僕ならば――そうだな」


 充希の顔が青年に向いた。面白い遊びを思いついた幼子のような笑みだ。

 俺達との距離を詰め、眼前で歩を止めた充希は、青年の視線に合わせるようにしてしゃがみ込んだ。


「教えてくれないか。彼への愛の証明として"悪"を討ち取ろうというのなら、なぜ、一番の"悪"を狙わない?」


 え、と。小さく漏れ出た声は、青年のものだった。

 彼は理解に苦しむように数秒の間をおいてから、疑念に掠れた声で、


「……一番の"悪"は、蓮を救えなかったコイツでしょう? それともやっぱり、あの女の血が――」


「違うさ」


 充希は道を教える善人のごとく、純真な眼で人差し指を青年に向けた。


「キミだよ。彼が死んだのは、キミのせいだ」


「なっ……!?」


 俺の下で、青年の身体が強張った。

 そんな彼の衝撃などお構いなしに、心底不思議そうな顔で充希が言葉を続ける。

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