第21話哀しき復讐と未練①

 翌日、顔を出した俺達に、栃内は頭を下げて感謝を述べた。気が付いたら、許可の出た一時間まるまる使っていたと。

 話す表情はやはり喜びに溢れていて、だからこそ尚更、余計なことを言い出しそうになる。


『やっぱり、一度会ったほうがいいのでは』と――。


(ダメだ。彼女が"置いていく"と決めたのだから、余計に苦しませることになる)


「わ、このみたらしのお団子、すごく美味しい」


 延期になっていた、中庭での花見会。俺達の間に座る栃内が、口元に手を添えながら感嘆の声を上げた。


「ちょうど百貨店で和菓子展をしていたんです。すみません、俺あまりそういうのに詳しくなくて……しかもよくよく考えてみたら、栃内さんの希望もちゃんと聞いてないしで、適当に見繕ってきてしまったんですが……気に入って頂けたのなら良かったです」


「もう、野際さん。困ります。こんなに沢山の種類を買ってきてくださるなんて、全部食べたくなっちゃうじゃないですか」


「あ、その、味の好みも把握してなかったので……」


 狼狽える俺に、栃内はふふっ、と頬を緩めて、


「本当、まるでとんだお嬢様にでもなった気分です。……お気遣い頂いて、ありがとうございました」


「ならば麗しのセニョリータ。甘味をより引き立てる暖かかなお茶はどうかな? 実のところこれはだね、ひとつ口にすれば驚くほど団子が食べれるようなるんだ!」


 じゃーんという効果音でも出しそうな充希に、栃内が楽し気に笑む。


「なら、そのお茶があればみたらしだけじゃなくて、餡子も黒ゴマも、桜餅だって楽しめますね」


「そうさ。これで安心して、好きなだけ団子を堪能できるだろう? さ、冷めないうちに」


 そう言ってペットボトルのお茶を栃内に手渡す充希に、俺は呆れ交じりの視線を向ける。


「どうしてあなたに任せるとそう、ただのペットボトルのお茶ですら仰々ぎょうぎょうしくなっちゃうんですかね」


「おや、僕は何か間違えたかい?」


「いや、間違えたってワケではないですけども……」


「ならば問題ないな。さて、巧人はどの団子にする?」


「……じゃあ、俺は黒ゴマを」


「野際さんって、けっこう渋いのが好みなんですね」


「ああと、甘いものはそこまで得意じゃなくて……」


 苦笑交じりに告げる俺に、充希がゴマ団子の入ったパックを向けてくる。


「つまり巧人への贈り物は、甘味以外であるべきということだな。僕は大好きなのだけどね。誰にでも得手不得手はあるもんだ。なんにせよ、甘味が苦手だからといって、巧人の魅力が損なわれることはない」


「……ですから、いちいち仰々しくないですか?」


「そうかい? 僕は心のままに事実を述べただけなのだが……」


 プラスチック製のパックから一本を手に取る俺の横で、栃内がおかしそうに笑う。


「ふふ、本当に今日は晴れて良かったです。すごく楽しいお花見」


「……栃内さんが喜んでくれて、なによりです」


 微妙な心地で告げた俺に微笑むと、栃内は充希に視線を流し、


「充希さんは、どれにされるんですか?」


「そうだな。僕はこの"桜餅"というのがいっとう気になるね。美しい桜を菓子として食べるとは、なんとも興味深い。……だが、桜を楽しむ前にだね」


 物言いたげな充希の双眸が、俺に向いた。


「ちょっとばかり、ここを離れてもいいかな? なに、心配ない。すぐに戻ってくるさ」

「え? やっぱりお茶よりもコーヒーが良かったですか? なら俺が……」


「いや、そうではないのだよ。これは僕が行かなければならないし、僕の身体無しには成し遂げられない」


 充希はすっくと立ち上がると、


「なんだったかな。日本ならではの言い回しが……ああ、そうだ。"花を摘みに行く"というやつだ」


「……ああ」


 つまり、トイレか。確かにそれは、俺には変われない。


(ほんと、いちいち回りくどい……)


 胸中で嘆息しつつ、俺は即座に思考を巡らせる。

 充希を一人にはしたくない。が、患者である栃内をこの場に置いて、充希についていくというのも妙だろう。


 俺達が背にする院内の壁はガラス張りで、ここからでも受付と待合、その傍に設えられたトイレの入り口が確認できる。

 だがやはりせめて……安全確保だけでも。


「……充希さん、場所知らないですよね。案内しますので、すみませんが栃内さんは少しお待ち頂いても――」


「いや、その必要はない。あの受付横にマークが見えるからね。いやはや、なんともわかりやすくて助かる」


「…………」


(アンタ、護衛対象だってわかってんですか!?)


 そんな非難を込めて見つめると、充希は「すぐそこだよ。見えるだろう?」と肩を竦める。

 ええ、はい。わかってるんです。わかってても必要なんですよ!

 そう叫びたい衝動をぐっと堪えて、俺は奥歯を噛み締めながら「……わかりました」と了承した。


「まったく、巧人は心配症だな。では、行ってくるとするか。麗しのセニョリータ、この美しいひと時から離れる無礼を許してくれ。ついで許されるのなら、僕の桜餅が里帰りを望まないよう、しっかり見張っててほしい」


「はい、任せてください」


「いいから、早く行って帰ってきてください」


「もちろんだとも。おおせのままに!」


 意気揚々と中庭を抜け、院内へと戻っていく充希の背を、どこか疲れた心地で見送る。


「すみません、栃内さん。あの人ちょっと……その、色々と危なっかしい人で」


 充希の姿を目で追いながら、謝罪を口にする。栃内は「いいえ」と楽し気に笑みながら、


「お二人を見てると、息が出来るというか……心が晴れるんです。他のことは全部忘れて、ただ純粋に楽しくて……。あ、笑い者にしてるってことじゃないですよ?」


「わかってます。……そう言ってくださると、助かります。良くも悪くも、俺達が"変わっている"のは自覚があるので……」


 その時だった。充希の前に、ひとりの人物が立ちふさがった。白いパーカーを目深にかぶっていて、顔は見えない。が。

 見覚えのある体躯に、ぞわりと肌が粟立つ。


(――まずいっ!)


 充希が不思議そうな顔で立ち止まる。


「充希さん!」


 俺が立ち上がったのと、充希の首にそいつの腕が回ったのは、ほぼ同時だった。

 充希の頬横で、院内の明りを受けたナイフがきらりと光る。

 蜘蛛の子を散らすように、院内の人々が驚愕と恐怖に声を上げ、逃げ惑う。


「――みつきさんっ!」


 隣で悲痛な叫びをあげた栃内に、


「すみません栃内さん。病室前の警備員を呼んできてもらえますか。俺が時間を稼ぎます」


 口早に告げた俺は、院内に向かって駆け出した。

 後ろから「……はい!」と絞り出した声がする。彼女だって怖いだろうに、申し訳ない。

 だが今は彼女を信じて託すしかないし、彼女なら、きっと大丈夫だという安心感があった。


 ――だって彼女は、"吸血"犯を追った人だから。


 院内に通ずる自動ドアをこじ開ける。「キミ! とにかく落ち着いて!」と及び腰で声を張る"本物の"警備員の肩を掴み、


「すみません。いったん任せてもらえますか? あの捕まってる人、ウチの者でして……」


「ああ、巧人!」


 俺に気づき、嬉し気な声をあげた充希をジト目で見遣る。

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