第20話もう一人の"家族"③
「……でも、やはり一度家に帰られてはどうですか? 必要なモノもあるでしょうし」
「必要なモノは、全部揃ってるんです」
栃内はベッド横の、テレビ台に視線を流した。上部の棚部分には、通勤に使っていたのであろう黒い鞄が収められている。
事件に遭遇したあの時、彼女の側に横たわっていた鞄だ。
「大事なモノは、持ち歩くタイプなんです」
曇りガラスの窓から差し込む温かな日差しが、彼女の赤い眼をきらきらと輝かせた。
俺は思わず、言葉に迷う。そんな俺を見かねてか、丸椅子で優雅に足を組んでいた充希が、穏やかな声色で言葉を紡いだ。
「まだ、ということは、いずれは教えてくれるのだろう?」
「……はい。出立するときには、全てお話します」
「だ、そうだ巧人。僕はここまで話してくれた彼女の意志を尊重したい。だがあのご婦人に何も出来ないでは、あまりにも心苦しい。ということで、だ。ご婦人には彼女の言葉を届けたうえで、僕達と共に"出立"の時まで待ってもらうよう、
「えっ?」
目を丸くした栃内が、小首を傾げ瞬く。
「私、通話が制限されているってお伝えしましたっけ?」
「いいや? だが"捜査中"はそうした制限がつきものだと、巧人が」
(おいおいおいおい!)
なにサラリと内部事情暴露してんですかアンタ。てかそれよりもフォローしないと!
顔面にへらりとした笑みを張り付けつつ、必死に思考を巡らせる。
と、俺がそれらしい言い訳を口にするよりも早く、
「そうでしたか」栃内が納得したように頷いた。
「野際さんを除いたら、犯人と最後に接触したのは私です。だからもしかしたら、犯人の"突然死"に関して何か疑われているのかと心配していたんですが……。これまでの被害者さんも皆、同じような制限がされていたんですね」
「え、ええ、そうです。仕事柄こうして入院中の方と接する機会も多いですけど、皆さん退院直前まで、外部との情報のやり取りを制限されていますよ。肉親への連絡すら、許可を得る必要がありますし。ですから栃内さんが特別疑われているとか、そういう事はないと思います」
「良かった」栃内が頬を緩めて、息をつく。
彼女の"勘違い"に便乗する形になってしまったが……なんとか誤魔化せたようだ。
まったく、"本業"に関わる不用意な発言は慎んでほしい。そんな非難を込めて充希を睨むと、あろうことかパチリとウインクを飛ばしてきた。
は? どういうことだ?
それではまるで、上手くいったと合図するような……。
(…………あ)
見抜いていたのか? 彼女の不安を。
それとも、もう一人の"母"である鐘盛に連絡したくとも出来ないという、彼女の葛藤を察して……?
「……わかりました」
了承を呟いた俺に、栃内の疑問の目が向く。
「電話の件、警察の方と交渉してみます。今回は私も関係者ってことで話がしやすくなってますし、栃内さんのご両親の件は、警察も把握されている筈です。鐘盛さんが現在の保護者代わりだと納得してもらえればおそらく――」
「本当ですか!?」
「!」
食い気味に声を上げた栃内に思わず瞠目すると、彼女ははっとしたように「あ、ごめんなさい」と頬を染めた。
どうやら随分とヤキモキしていたらしい。それもそうか。
だって彼女にとっては、鐘盛が、唯一の"心配をかけたくない相手"なのだから。
俺は苦笑気味に「いえ」と告げてから、眉根を寄せた。
「出来る限りのことはしますが、ご期待に添えられるかはわかりません。なので、許可されたらラッキーくらいの気持ちでいてもらえると有難い、というのが本音なのですが……」
「ええ、勿論。勿論です! 駄目で当然です。……でも、交渉してくださるってだけで、嬉しいんです」
「これはこれは巧人、"相談屋"の腕の見せ所だな」
「……善処します」
「もう、充希さんったら! プレッシャーかけないであげてください!」
「おっと失礼。いやなに、せっかく花も綻ぶ麗しき笑顔を見せてくれたんだ。なんとしてもその期待に応えたいと思ってしまってね」
ご機嫌に笑みながら、充希が俺を見遣る。
「僕に出来ることは何でもしよう。好きに命じてくれ」
……よくもまあ、いけしゃあしゃあと。
果たして今行われたこの流れの、どこからどこまでが充希の予定調和なのか。
考えるだけで頭が痛くなるので、俺は思考を放棄した。
事務所へと帰宅後、早速と八釼に交渉を持ちかけると、「そういう事情ならば」とすんなり許可が出た。ちょっと面食らったくらいだ。
ともかく俺は鐘盛に電話をかけ、"今後の詳細は出立の時まで秘密だ"と言った栃内の言葉と、一日に一度だけ許された通話の件を説明した。
鐘盛は、泣いていた。
元より少し掠れた声をさらに嗄らして、絞り出すように「ありがとう」と言った。
「あの子の意志を知れただけでも、じゅうぶん奇跡なのに、また声が聴けるなんて……。本当に、ありがとう」
鐘盛への報告後、程なくして、八釼から連絡が入った。
栃内には、担当医から通話許可の伝達をしてもらったという。
「泣いて喜んだそうだ。本当にありがとうございますってな。許可をくださった警察関係様にも、是非お礼をお伝えくださいだとよ。律儀で優しい人だな、あの女性は」
……良かった。栃内も、喜んでくれたのだ。
そう思うのに、何だこの違和感は。
「腑に落ちない、って顔だな」
事務所二階の扉を開けた途端、一階のソファーで本を片手に寛いでいた充希が肩を竦める。
「……コーヒーのおかわりですか? 今、行きます」
スマホをポケットに押し込みながら階段を降りていくと、充希は軽く笑って
「そういうつもりではなかったのだが……有難く頂くよ」
ほらやっぱり、違わないじゃないか。
一階のカフェスペースへ足を向けた俺は、カウンターを回り、いつもの手順でコーヒーを二つ準備する。
コーヒーカップは客専用。俺達はマグカップ一択だ。
充希はお気に入りのソファーから身体を起こし、カウンター席へと歩を進めると、俺の対面に腰掛けた。最近気づいた事だが、この場を選ぶ時は俺と"実のある"会話をする意思がある時だ。
つまり彼は、先程の問いの答えを待っている。
「……栃内さん、通話許可に泣いて喜んでくださったそうですよ」
「そうか。巧人の手腕と寛大なその上司に感謝だな。あのご婦人も大層喜んでいたようだし、実に上手くいった」
「……ええ、だからです」
先に出来上がった一杯を、充希の眼前に置いた。
「あんなに喜んでくれるくらい"電話"が嬉しいのなら、何故、栃内さんは退院後に鐘盛さんと会わないんですかね。あの口ぶりだとどこか遠い地へ……なんなら海外にでも飛びそうですけど、それにしたって、これまでの挨拶も出来ないほど急ぎの旅なんでしょうか」
新たな一杯が出来上がる。
黒い水面から俺を見上げるのは、なんとも不安げな表情の男。自問自答するには、
対してゆったりとコーヒーを
「そうだなあ。僕が想像するに、決心が鈍るんじゃないか」
「っ、決心」
「結果はどうであれ、彼女はこれからあのご婦人を置いて行くことになるだろう? 大切な相手ならばそれだけ、未練になる。巧人も以前、似たことを言っていたからわかるだろう? おまけにあの"バーベナ"は、置いて行かれる者の気持ちをその身を持って知っているんだ。会ってしまったら、相手を目の前にしたならば。触れた温もりを手放すのは、互いにとって想像以上に難しく、残酷だ」
そしておそらく。充希が茶化すように片目を眇める。
「巧人、キミも彼女にとっては"未練"になりそうだ」
「は? 俺がですか? ……根拠は」
「キミの"人嫌い"を否定するつもりはないがね。今後の為にも、もう少し感性を磨くと良い」
「つまり根拠のない、貴方の勝手な妄想だと」
「言うならば経験に基づく直感さ。……まあ、確かに現時点では、巧人を納得させられるだけの材料はないがね」
ほらみろ。やっぱりただの妄想じゃないか。
俺は呆れ交じりに息をついて、持ち上げたカップに口をつけた。
ほどよく冷めたコーヒーが、舌状に苦味を残して落ちていく。
脳裏には、花のような笑みでこれからを語った彼女の、希望に満ちた顔。
「……でも」
呟いた俺に、充希の視線が向く。
「出来る事なら、足枷にはなりたくないですね。せっかく絶望の淵から、希望を見出してくれたんですから」
「……そうだな」
充希は静かに首肯して、たゆたう湯気を楽しんでから一口を飲み込んだ。
「今は彼女が望む"希望"を掴めるよう、共に祈ろうじゃないか」
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