第17話優しきホームズごっこ
こうして二日後の再訪を約束した俺達は、翌日、久しぶりに朝から相談所を開けていた。
とはいえ、元より繁盛しているとは言い難い店だ。充希は家に用意されていた小説本の一冊を片手にソファーで寛いで、俺はカウンター席で本部から受けった資料を確認しながら、コーヒーを味わっていた。
栃内は順調に回復しているようだ。自傷行為もなし。このままいけば、予定通り一週間後には、退院できるだろう。
仕事は彼女の言葉通り、円満に退職していた。珍しいパターンだ。
退院後は、いったい何をして過ごすつもりなのか。浪費家ではないようで、暫く働かずとも問題ないくらいの貯蓄はあるようだから、心身のケアも兼ねてのんびりするのかもしれない。
(……残り一週間か。そろそろ、あと一押しがほしいな)
日々の様子からして、まだ不安定な部分はあるが、前を見据えてくれているのだと感じる。
ただ、"大丈夫"だと確定するだけの、裏付けがない。彼女には"未練"が見当たらないからだ。
近しい人や、大切なモノ。
そういった、"手放せない"なにかがあれば、それは"生"への執着となる。
「……充希さん」
「おや、寂しくなったかい?」
「違います。栃内さんから、何か大切なモノとか聞いてませんか?」
「そうだな」
顎に指先をあてて考え込む素振りをした充希は、
「僕が思うに、彼女の一番は、亡くなられたご両親ではないかな」
「それは……そうなんですとも。そうではなくて、今あるものでです」
「ああ、僕のあげたバーベナは、なかなかに大切にしてくれているな。少し萎れてきているが、まだ世話をしてくれている。これはつまり送り主である僕にも、同じだけの愛情を向けているいう可能性も……!」
「やっぱり充希さんも思い当たりませんか……。あと一週間で、探らないとですね」
彼女が退院するまでに、なにか一つでいいから、確証がほしい。
課題事項を定めた俺は、栃内について記された経過報告書を捲って、次の用紙に目を走らせた。
「……これはまた、面倒な」
思わずこぼれた恨み言に、充希が疑問の目を向けてくる。
俺は書かれた文面を追いながら、
「封筒の差出人ですが、わからないことがわかりました」
「ほう? ということは、わかったこともあるということか」
さすがは数多の場数をこなしてきたヴァンパイアキラー。話しが早い。
「そうですね。まず、差出人はおそらく男性のようですね。それと、九割がた"N"です」
「根拠は?」
「日本では、"VC"として目覚めた患者のDNAと指紋を採取し、データベース化してあります。今回の封筒についた指紋は、どれも一致しませんでした」
「なるほど。つまり、あの封筒に触れた全てが"N"か」
「そういうことです。そして付け加えるのなら、過去に犯罪歴のある者もいません。いま、今回の事件の関係者に近しき人物からあたっているようですが……時間がかかるでしょうね」
仲間が犯人を突き止めるのが先か。犯人が、仕掛けてくるのが先か。
「手紙はあの一度きりです。さほど執着がないともとれますが、あれが"警告"だった場合、既に行動に移している可能性が高いと考えます」
「巧人は、"警告"が有力だと?」
「可能性として考えられるのなら、警戒しておくに越したことはありません。なんせ俺は、護衛ですから」
これで全部だと報告書を戻した俺は、ファイルに収めてカウンター下に滑らせた。帰宅時に持ち帰るまで、目の届くところにないと落ち着かない。
充希は本を伏せ置くと、すっかり冷めたコーヒーを飲み干して、空のカップをカウンターに運んできた。
「ただでさえ巧人は忙しいというのに。このまま"悪戯"で終わるよう願うよ」
ちょっと、驚いた。
それが顔に出てしまったのだろう。「僕はいま、何かおかしなことを言ったかな?」と首を傾げる充希に、俺は慌てて「いえ、その」と口を開く。
「ホームズごっこなんて言ってたから、てっきり何か動きがあるのを楽しみにしているのかと……」
しどろもどろ伝えた俺に、充希は心底心外そうな顔をして、
「とんでもない。巧人の懸念通り本当に襲われでもしたら、巧人はその身を挺して僕を守るだろう? 怪我でもしたらどうする。キミは僕達と違って、かすり傷一つ治すのにも数日を要するのだぞ。僕はまだこの国を去る予定はないし、巧人以外と組むつもりもない。立場上、僕を守るなとは言えないが、巧人には健康でいてもらわないと困る」
「……お気遣い、ありがとうございます」
「なにを言う。当然のことだ」
呆れたような視線で見上げてくる充希から、カウンター越しに空のマグカップを受け取る。
(……本当、なんで俺なんだ?)
最初の仕事に居合わせたからか? にしては、執着が強すぎる。
とはいえ俺には何もない。金も、権力も。これといった特殊事項といえば、せいぜいこの仕事くらいだ。それだって、俺が"使えなく"なれば、代わりがいる。
「……おかわり、いりますか?」
「ああ、是非そうしてくれるとありがたいな」
カウンターの椅子に腰かけた充希が、嬉し気に頷く。
俺は新しいマグカップをサーバにセットして、その間に使用済みのカップを洗う。
「……俺に取り入っても、メリットないですよ」
カップを水きりに置いて、出来上がったコーヒー入りのマグカップを充希の眼前に置いてやる。
ありがとう、と呟いた充希は、カップを左手で持ち上げひとくち味わうと、
「……例えばこうして美味いコーヒーを口に出来るのも、僕からすれば充分"メリット"になり得るのだけどね」
「誰にでも出来ることです」
「巧人からすれば、そうなのかもしれないね」
どうして俺なんですか。
そう問うたなら、充希はなんと返してくるのだろう。
疑問は今にも胸の内を突き破りで、だからこそ俺は、慎重に腹底へと押し込んだ。
尋ねるには、今はまだ、早すぎる。そんな予感がするからだ。
「……あ、そうだ」
ふと思い出した俺は、戸棚から目当ての包みを二つほど取り出した。
「よかったからコレ、コーヒーのお供に」
「なんだい? これは」
「チョコレートです。以前、手助けした依頼人が持って来てくれたんですけど、俺、あまり甘いモノは得意じゃないので」
「……客に出すために、取っておいたのではないのかい?」
「ああ、いえ。せっかく俺にと持って来てくれたモノですし、ちょっとずつ消費していたんです。なので完全に俺の私物ですよ」
「……あっはは!」
突如、充希が声をあげて笑い出した。
「いやっ、すまない……っ! あまりにも、あまりにもでね」
「はあ……?」
狼狽える俺に片手を上げながら、充希は息を整えて目尻に浮かんだ涙を拭った。
「巧人は本当に、優しいな」
その言葉が今の爆笑と、どう繋がるのか。
尋ねるのも面倒で、俺はひとまず「……ありがとうございます」と告げた。
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