第18話もう一人の"家族"①
お昼は簡単にパスタをソーセージと一緒に茹でて、市販のソースをかけて食べた。充希はあまり馴染みがないようだったが、随分と気に入ったようで、興奮気味にナポリタンをお代わりしていた。
事態が動いたのは、再びコーヒーを手に、それぞれの時間を過ごしていた時だった。
突如開かれた扉に、ピンポンと鳴り響く電子ベル。来訪者だ。
「ごめんください。開いてます?」
覗き込むようにして顔を覗かせたのは、白髪混じりの小柄な女性だった。
歳は七十辺りだろうか。背が少し曲がっているが、華やかな色みのリップと派手過ぎずも小綺麗な身なりが、快活さを印象付ける。
"VC"ではない。だがウチに来るということは、"VC"関連だろう。
手元の資料をカウンター下へ滑らせながら、俺は「ようこそいらっしゃいました。中へどうぞ」と笑顔で促す。
いつの間にか充希はマグカップを手にソファーから立ち上がっていて、カウンター席の端へと移動していた。
「ようこそ野際相談所へ。まずは肩の力を抜いて、ゆるりと寛いでくれ」
わが物顔で告げる充希に、女性は「もしかして、あなたが所長さん? 随分お若いのね。てっきりこちらの彼が所長さんかと……」
「あ、いえ、私がここの所長です」慌てて訂正する俺に、
「僕はしがない助手といった所だな。まだ見習いもいい所だが、所長が貴方の為にこだわりのコーヒーを淹れている間の、話し相手くらいは出来る。ミルクと砂糖はご利用で?」
「あらあらまあまあ、それじゃあお願いしようかしらね」
「だそうだ、頼んだよ所長」
女性を中央のソファーへ案内し、隣り合って充希も腰を下ろす。
いや、普通は対面だろ。というか、こだわりも何も俺はカプセルをセットするだけで……。いや、もう何も言うまい。
ごく自然と身軽にさせられた俺は、カウンターを回ってコーヒーメーカーに来客用のコーヒーカップを置き、カプセルをセットした。
機体がごうごうと湯気を上げ仕事をこなしている間に、足元に設置されている小型冷蔵庫から牛乳を取り出し、IHコンロに置いたミルクパンで簡単に温める。
左手で鍋を軽く揺すりながら、右手でカウンター下から木製のトレイを取り出した。
「コーヒーを用意するのは、所長さんなのね」
「機械は苦手でね。上にある所長のデスクには小さな電動シュレッダーがあるんだが、実はつい先ほどそいつをいじったら動かなくなった」
「は!? なんだって!?」
壊したのか!? どうやって!? というか、
「聞いてない!」
「それはそうだろう。今初めて口にしたからな」
「何をしたんです!?」
「いやなに、助手らしく溜まっていたゴミを捨てようと、ダストボックスを外しただけだ。裁断口を持ち上げたら、不幸なことにコードが切れた」
「お心遣いは感謝しますがどんだけ勢いよく引っ張ったんですか…………っ!」
なんてことをしてくれる。あいつ結構付き合い長かったんだぞ。
ショックに項垂れていると、頭上に「……すまん」と弱々しい謝罪が飛んできた。
「巧人は忙しい身だろう? 何か少しでも役に立てれればと思ったんだが、その考えが誤りだったな。……これからはちゃんと、大人しくしている」
罪悪感に下がる眉尻。いつも真っすぐに向け来る紫の瞳が、弱々しく床をさ迷う。
確かに、久しぶりに纏まった時間が取れたからと、俺は事務所に来てからちょこまかと動いていた。簡単にだが掃除をしたり、栃内の資料を読んだり、本部に調査依頼を出したり。
その一方で、充希は殆どをここのソファーで過ごしている。お供は小説本と、コーヒーだけだ。
好きにしていてください、と言ったのは俺。何も"出来ない"充希が手持ち無沙汰に暇を持て余す可能性を考慮出来なかったのも、紛れもなく俺だ。
(……単独での仕事生活が染みついてるな)
自身の失態に気づいた俺は、怒りを鎮め、
「いえ、こちらこそ気が回らずにすみませんでした。これからはちゃんと俺からお願いするので、手伝ってもらってもいいですか?」
「それは嬉しいが……二つに分かれてしまった彼は、どうしたらいい?」
「やってしまったものは仕方ありません。新しいモノを買うので、大丈夫ですよ。なので次からはせめて壊したなら壊した時に報告を――」
「さっすが巧人だな! 心が広く、実に慈悲深い! 見苦しい所をお見せしてすまなかったね、シニョーラ。ああ、僕のせいで所長自慢のコーヒーが冷めてしまっては嘆かわしいな。助手であるこの僕が、急いで取りに行ってこよう!」
跳ね上がるようにして席を立った充希が、小走りでカウンターに駆け寄ってくる。
「ふふっ、面白くて素敵な相談所ね、ここは」
楽し気に笑む女性に軽く頭を下げながら、俺は手早くミルクを白い陶器製のミルクピッチャーに移し替えた。
「すみません、騒がしいうえにお待たせしてしまって……」
「いいのよー。ここを出ても家に帰るだけだし、つまらないものだわ。……ここの所長は変人だっていうからどんなもんかと心配してたけど、取り越し苦労だったわね」
「変人……」
「そりゃあね、"N"が"VC"専門の相談屋をするなんて、人によっては"変人"どころか"酔狂"の所業よ。アナタの方がよく分かっているでしょう?」
「まあ、否定は出来ないです」
俺がシュガーポットを並べ置いている間に、慎重な手つきで充希がコーヒーカップをソーサーに乗せた。
「よし、巧人。これでいいな!」
俺の返事を待たずして、トレイを凝視しながら充希が両手で持ち上げる。
慎重に、慎重に。周囲へと神経を張り巡らせながら運ぶ様は、まるで幼子が手伝うそれで、見ているこちらがハラハラする。
「例えばここで僕がうっかり失敗してしまった場合、コーヒーの到着まで数秒から数分へ変わってしまうからね。もう少しの辛抱を!」
「いいのよ、転ばないでね。可愛らしい助手さん」
一歩一歩、すり足のようにして進む充希。問題なくやりと遂げてくれるよう祈った俺は、軽く手を洗いタオルで水滴をふき取り、彼女へと視線を戻す。
「ウチが"VC"専門だって知った上でお越しいただいたのなら、ご依頼内容は"VC"関連で間違いなさそうですね」
俺は名刺を手にソファーへ向かい、彼女の対面のソファーに腰掛け、机上を滑らせながら差し出した。
「自己紹介が遅くなってしまい申し訳ありません。所長の野際です」
「僕は充希だ。そしてこっちがお待たせのコーヒー。それと、ミルクに砂糖。どうだい? 全員無傷で無事に到着だ」
「うふふ、ありがとう充希ちゃん。私は
言いながら鐘盛はコーヒーにミルクと砂糖を混ぜ、スプーンでくるりと回すとゆっくり口をつけた。
「あら、ホントに美味しいわ」
「口に合ったようで嬉しいよ」トレイをカウンターへ戻した充希が、満足気に頷く。
鐘盛は味わうようにしてもう一口を含んでから、意を決したように薔薇色の唇を開いた。
「……人を探しているの。あなた、一週間前にこの近くで起きた通り魔事件の被害者を知っているでしょう? 女性が二人噛まれて、犯人の"VC"が突然、心臓発作で死んだやつよ」
カップを受け止めたソーサーが、カチャリと音を立てる。
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