第15話バーベナの決意②

「どうして」


 みっともなく焦りを滲ませながら尋ねると、栃内は「うーん」と逡巡してから、


「そうですね……"本当の自分に気づいたから"、ですかね」


 赤い双眸が、窓際に飾られた花々を閉じ込める。


「目が覚めて、自分が"VC"になったって理解した時、"こんなのは私じゃない"って思ったんです。今までの"私"は殺された。これから待っているのは、私の身体を基にした"誰か"の人生だって。……でも、昨日充希さんとお話して、もう一回考えてみたんです。そしたらやっぱり、私は"私"でした。思考も、感情も、この身体で得るも失うも、全部"私"次第なんです」


「……なるほど。キミは強いな」


「お二人程じゃありませんよ。……私は"吸血"事件に遭遇しても、被害者に駆け寄るなんて出来ませんし」


「けど……っ!」


 俺は微かな躊躇いを振り切り、


「……警察の方から聞きました。栃内さん、最初の女性を吸血し、逃走中だったあの犯人を呼び止めようとして、噛まれたって。……だから俺は間に合ったんです。こんな言い方は良くないとは思いますが、あそこで栃内さんが足止めしてくださったから、犯人を逃さずに済んだんです。新たな犠牲者を生まずに済んだのは、紛れもなく、栃内さんの勇気のおかげです」


 その後の聞き込みで、複数人の目撃者が『止まって……!』と叫ぶ声を聞いたと証言したらしい。

 栃内本人も、一人目の被害者の"吸血"現場を目撃し、逃げた彼を追いかけ自分から声をかけたと話していると。


 俺が聞いた悲鳴は、栃内の吸血現場を目撃した誰かのものだ。そのおかげで須崎を逃さずに済んだ。

 彼女が行動を起こしていなければ、須崎は間違いなく逃亡し、新たな事件を起こしていただろう。


 ――生き血を味わった"吸血鬼"は、輸血には戻れない。


 刑務所で半強制的に"更生"しなければ、この言葉の通りなのが現実だ。だからこそ、"吸血"を行った"VC"は、一秒でも早く捕らえる必要がある。


 ――新たな悲劇を生む前に。


 面食らったように目を丸くしていた栃内が、ふと頬を和らげた。


「野際さんは、優しいですね」


「え……?」


 その場凌ぎの慰めだと思われたのだろうか。紛れもない、真実なのに。

 戸惑う俺から引き継ぐように、充希が口を開く。


「あまり立ち入ったことを訊くのもなんだけどね。キミのご両親は、今後についてなんと?」


「あ……私、両親はもう亡くなってて。五年前に起きた"VC"による通り魔事件で、噛まれたんです。私を守って。……二人とも"変異"に耐えられずに、その場ですぐに死んじゃったのに……私は何が違ったんですかね」


「簡単さ。キミは僕と出逢う為に生き残った。運命さ」


「ふふっ、そうみたいですね」


(……両親のことも話してくれた、か)


 栃内紗雪、三十一歳。両親は五年前に神奈川で起きた"VC"による通り魔事件で死亡。事件のショックから、当時勤めていたアパレル会社を退職。

 約一年間の精神科への通院を経て、拠点を東京に移し、半年後にここ新宿にて再就職。


 勤務態度は良好。現在、恋人はなし。……姉弟も、なし。

 脳裏で本部から送られてきた調査報告書と照会しながら、「……あの、失礼ですが、恋人は……?」と尋ねると、「いません」と綺麗な笑顔が返ってきた。


 ……すべて報告書通り。彼女は、随分と俺達に心を開いてくれている。

 すかさず「なら何も問題はないじゃないか。やっぱり僕の"アモーレ"に……」と食いつく充希を、「あまり困らせないであげてください」と叱咤する。


「立ち入った事ばかりお聞きしてすみません。仕事上、"VC"化によってご両親や恋人との関係が悪化してしまった方々を、たくさん見てきたもので……。何か、お手伝い出来たらと」


「わかってます。充希さんも野際さんも、悪戯な好奇心で訊いてるんじゃないって、話してて凄く伝わります。……充希さんの言った通り、本当に、お二人に出逢う為に生き残ったみたいです。私」


 そう茶化して笑む彼女は、純粋に一人の女性で。だからこそ、今後待ち受ける彼女の苦難を思って、心臓が苦しくなる。


 ――吸血鬼。


 これから歩む長い人生の中で、何度もそう、呼ばれるのだろう。投薬の代わりに、輸血を日課としているだけなのに。

 彼女は耐えられるだろうか。いや、耐えてくれるのだろうか。全てに絶望し、死を望んだ姉さんとは違って――。


 ふと、扉が小さく鳴った。数センチだけ開けられた隙間から、廊下に立っていた警備員――清が顔を覗かせる。


「そろそろ時間です」


 それだけ告げて、再び閉じられた扉。


「もうか。つい先ほど来たばかりの気分だ」


「本当に。もうそんなに話していたんですね」


「そうだ、花瓶の水を変えねば。さて、今日は僕が……」


「俺がやりますから、充希さんは大人しくしていてください。栃内さん、すみませんが、この人が余計な事をしないか見ておいてもらえますか」


「ええ、わかりました。ありがとうございます、野際さん。さ、充希さん。もう少し私の話相手になってください」


「僕ばかり役得ですまないね、巧人。店に戻ったら僕がコーヒーを淹れよう」


「……気持ちだけ貰っておきます」


 立ち上がり、昨日俺が置いたままの花瓶を手に取って、水場へと向かう。

 間仕切り用のカーテンは、今日も空いていた。後方からは充希と栃内の、名残惜しそうな会話が聞こえてくる。


 洗面台も綺麗だ。慎重に花を抜き、水を捨てる。

 妙なところはない。けどなんか、何だこの違和感は? 昨日とは、何かが――。


(……あ)


 手が止まる。蛇口から流れ落ちる水の音が、鼓膜で妙に響いた。


(……目隠し)


 洗面台上には、正方形の鏡がついている。そこに、布状の目隠しがついているのだ。

 昨日はなかった。そっと指先で布を持ち上げて確認すると、上部を鏡に張り付けただけの、急ごしらえな仕様だ。

 鏡に損傷はなく、汚れもない。

 つまり、栃内の希望により、急遽付けられたのだろう。


(脱衣の際に気になった? それとも、別の理由が――?)


 内側を清めた花瓶に新しい水を汲み、蛇口を止めた。薄く息を吐き出しながら、抜いていた花を再び活ける。

 考えるのはここまでだ。後は、帰ってからにしよう。

 思考を切り替えて水場から踏み出した俺に、気付いた充希が「助かったよ、巧人」と笑みを向けた。


「ありがとうございました、野際さん。そういえば、このお花ってなんという名前なんですか? 初めてみた花で」


 質問を引き取ったのは、勿論充希だ。


「ああ。これはね、バーベナという名だよ。日本では"美女桜"とも呼ばれている花でね。実に君にピッタリだ」


 ……本当、隙あれば口説くんだな。

 窓際に花瓶を戻した俺は「名残惜しいのは分かりますが、そこまでです」と終了を告げる。


「栃内さん。ご迷惑でなければ、明日もお邪魔してもいいですか?」


「是非! 何のおもてなしも出来ませんが、お二人の負担にならないのなら来て下さると嬉しいです」


「ここに来ればキミと話せる。これ以上の"おもてなし"はないさ」


 椅子から立ち上がった充希が、軽くウインクを飛ばす。


「それじゃあ、さっきのこと、考えておいてくれ」


「……はい、ありがとうございます」


 何のことだ? 疑問を口にする前に、充希は片手で俺の背を押して、


「日本では願い事を叶えるまじないに、"願掛け"というものがあるのだろう? それが叶うまで、一番好きなものを断つ。だから彼女を誘ったんだ。ここを出たら、一緒に"カツ丼"を食べに行かないかとね。なあ?」


 視線を受けた栃内が、笑みを崩さずに「はい」と首肯する。


「おおっと、安心してくれ。もちろん、巧人も一緒にだ。僕が大切な"相方"を、置いて行く筈がないだろう?」


「……それは、お気遣いありがとうございます」


 口だけの感謝に充希は満足げに頷き、


「さて、明日の逢瀬も約束されたことだし、いい加減帰るとしよう」


 西洋の紳士のごとく、優雅に流れた黒い腕。


「では、美しい"バーベナ"。待ち遠しい明日に、また会おう」

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