第13話ブラックメール③
つらつらと疑問を並べ立てつつ、立ったままコーヒーを飲み込んだ俺は、なんとなしに出入口付近の郵便受けへ視線を滑らせた。
「ん?」
「どうした? 巧人」
「あ、いえ。封筒が届いているみたいで……珍しいな」
本部からの郵便物は事前に連絡があった後に、ドローンが届けてくれる。
新たな相談の依頼だろうか?
カップを置きカウンターを回った俺は、郵便受けから茶封筒を取り出した。
切手はおろか、まっさらな封筒には宛先も差出人の名もない。
(……直接入れに来たのか?)
セロハンテープで止められた上部をびりりと破る。中から白い用紙を引き出し、開いた俺は、思わず相貌を細めた。
「その顔は家賃の催促……というワケでもなさそうだな」
「……いっそ家賃の催促なら、良かったんですけどね」
俺は嘆息交じりに、用紙を充希へ向けた。
途端、充希が剣呑な笑みを浮かべる。
「おや、随分と熱烈なラブレターをもらったものだ」
「……勘弁してください」
黒のマジックで書かれた、『ヒト殺し』の文字。
ご丁寧に手書きでしたためてくれたようだが、走り書きもいいところだ。
「心当たりは?」
「ありすぎて検討がつきませんね」
「とはいえ、打つ手なしではないだろう? 巧人の後ろには巨大組織が構えている」
確信めいた問いに、俺は「……そうですけど、なんだか人聞きの悪い言い方ですね」とスマホを取り出した。
指定されている番号に、発信する。
「……野際です。事務所に不審な封書が届きまして。カメラの記録を確認して頂けますか? ……はい。現物は今夜そちらに。悪戯だといいんですけど、ちょっとタイミングがタイミングなので。……すみません、お願いします」
これでひとまずは、結果待ちだ。
通話を終えた俺に、充希が楽し気な視線を寄こす。
「巧人はどうみる? この差出人について」
「探偵でも分析班でもない俺には、さっぱりですよ」
「だが思うところはあるのだろう? 根拠も確証も何一つない、空虚の推理で構わないさ。なあに、僕は別に"正解"が知りたいワケじゃない。ちょっとしたホームズごっこさ。不思議な手紙が届くなんて、そう巡り合える事件じゃない」
告げる充希はどうやら高揚しているようで、いつもより鼻息が荒い。
(……そんなに"ホームズごっこ"をしたいのか?)
言われてみれば確かに、日常生活において今回のような手紙が届くなんてケースは、かなり稀だろう。
この任務も長くなってきたからか、俺も感覚が麻痺してきているようだ。
「……まず、大前提として」
俺は背を正した充希の隣に、腰掛ける。
「ウチの事務所の特性上、こうした嫌がらせは珍しくありません。ですが、ここ数年はめっきり減りました。けれども、ゼロではありません」
「苦労をしているな。だが巧人は、そのゼロではない嫌がらせだとは思っていないのだろう? 別の可能性を危惧している。先程の電話で、"タイミング"と言っていたな」
「……今回の吸血事件では、死者が二人出ています。そのどちらかに関わる人物の犯行ならば、これは一種の警告とも捉えられます。随分と恨みをかっているようですから、近々、俺を狙い襲ってくるでしょう」
「だが、どうして巧人が狙われる? 彼を殺したのは僕だ」
「その事実を知る一般人は、存在しません。野際さんが言っていたように、須崎は突発的な心臓発作で死んだというのが"事実"です。……例えば、一人目の被害者を"置いて行った"俺を、"見捨てた"と解釈して恨みを向けていても、不思議ではありません」
「巧人のことだ。"無意味"だと判断したから、置いていったのだろう」
「……今回は、そうですけどね。それだって、彼女の生存を願った誰かにとっては、そう簡単には受け入れがたい話でしょう。止血してくれていれば、すぐに病院に運んでくれていれば。万が一にでも、希望が残っていたかもしれない。そう考えるのは、自然だと思います」
「巧人は優しいな。理不尽な矛先も、その身で受け止めてやるとは」
「まさか。そうした感情を知っているというだけで、受け止めているつもりはありませんよ。現に、もし俺の仮定通りの人物が襲ってきたとしたら、俺は迷わず撃退しますし」
ですから、と。俺は強い要望を込めて、充希の双眸を見つめた。
「差出人の意図は見えませんが、行動を共にしている以上、充希さんは俺に近しい人物だと判断されるはずです。何処で何が狙ってくるかわかりませんから、くれぐれも、単独行動は控えてください」
「おや、ホームズごっこのはずが、お説教になってしまったな」
肩を竦めた充希は、俺をしっかりと見つめ返して、
「わかっているさ。今後巧人から離れる際は必ず、確認をとろう」
「……本当、お願いしますよ」
「約束しよう。自慢ではないが僕はね、確かに力は人のそれより遥かに優れているが、本来の反射神経が研ぎ澄まされたとは言い難い。つまるところ、戦闘向きではないのだよ。特に"コード無し"が相手となるのなら、あまりに分が悪い。僕は"人"を殺したくはないからね」
「……"ヴァンパイアキラー"を名乗るあなたが、それを言うんですか」
「勿論さ。そもそも、僕だって好き好んで"ヴァンパイアキラー"になったワケではない。それまでは虫を殺すのも躊躇う、どこにでもいるただの男だったのだから。……巧人にだってわかるだろう。仕方ないのだよ、与えられてしまったのだから。だから僕は"ヴァンパイア"は狩れど、"人"は殺さない。これまでも、これからもだ」
――つまり充希にとって、"ヴァンパイア"と成り下がった"VC"は、"人"ではないということか。
そう定義づけたのは、充希自身の心を守るためだろうか。
望まずとも、与えられてしまった。押し付けられた俺達は、"許される"時がくるまで、気の狂いそうな地獄の中を生き続けなければならないのだから。
「……俺も、約束します」
俺の抱いたこの感情は、気紛れのような、小さな同情心なのだろう。
「充希さんのことは、俺が守ります」
まっすぐ告げた俺に、充希はにこりと無邪気な笑みを浮かべた。
「巧人がそう誓うのならば、間違いはないな。僕は安心して、バカンスを楽しもう」
バカンス。そうだった。すっかり忘れていたが、充希はこの国にバカンスに来たと言っていた。
「……事務所の休業日でよければ、観光地にでもご案内しますよ。俺がついていける場所に限られてしまいますが」
「それは素晴らしい! 今回はその場凌ぎでのんびりしようと思っていたのだが、あの駅では随分と苦労した。ええと……そうだ、新宿駅。一時はあのまま数年は出られないかと、覚悟を決めたよ」
「それは……大抵の日本人もそうなので、仕方ないと思います」
本当に、充希の目的は"バカンス"なのか。護衛として側に置かれた俺が、しっかり見極めなければならない。
「どこか行きたい所、ありますか?」
尋ねた俺に、充希は「そうだなあ」と逡巡する仕草を挟んでから、「それよりも」とお伺いをたてるようにコテリと首を傾けた。
空のカップを指先で持ち上げる。
「おかわりを頂いてもいいかな? 巧人。今はバカンスの計画よりも、傷心の"バーベナ"をいかに口説き落とすか、相談にのってくれ」
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