第12話ブラックメール②

(……いったい、何を考えているんだ)


 なぜ日本に来たのか、なぜ俺の側を指示したのか。なぜ、俺にそこまで拘るのか。

 知らねばならないことが多すぎて、だからこそ、慎重になる。


 国の実情を話したのも、信用を得たと思わせて、防御の皮を一枚でも剥ぐ為だ。

 仮に彼が他言したとて、異国からきた彼一人の言葉を信じる人間は、そう多くないだろう。他国とて、知った所で何をするでもないとわかっている。


 だから話した。充希にはああ言ったが、俺の首が飛ぶ確率は、"V-2"感染者が生き延びるそれより遥かに低い。

 つまりこの会話は、得体の知れないこの男の懐を探る為の、手段の一つでしかない。


「……"VC"となったウイルス感染者の退院は二週間後です。入院中は精密検査に加え、輸血のトレーニングや必要な手続きの説明を行います。俺はその間に出来るだけ信用を得て、退院直後の"復讐"または"自殺未遂"を未然に防ぎつつ、彼らの生活面のサポートを行います」


「自殺未遂? この国は確か、"VC"による安楽死を認めた国の一つだろう?」


「正当な手続きを踏み、政府指定の機関による調査および数か月に及ぶカウンセリングを受け、"やむなし"と判断されれば……ですから。……絶望に苛まれた状態で、そう悠長に構えていられる人間がどれほどいるか。結局、いまだに"自殺"または"自殺未遂"の件数の方が、遥かに多いんです」


 充希が納得の表情を浮かべたのを確認し、


「……充希さんも言っての通り、退院したとて、彼らの日常がそのままそっくり戻ってくる訳じゃありません。今回、犯人は既に死亡していますから、彼女自身が加害者となる線は薄い。心配なのは"自殺未遂"あたりなので、慎重に精神面の向上を計りつつ、退院後の生活に備えた準備をサポートする予定です。仕事面や住まい、必要であれば、コミュニティの紹介も」


「ふむ、ならば僕は彼女とより親密な関係を築けばいいのだな。願ってもない」


「……充希さん。あなたの"アモーレ"探しとやらに口出しをする気はありませんが、もう少し状況を弁えてもらえませんか? 今回は"お笑いコンビ"ってことで納得してもらえましたけど、前回のように、相手を刺激することになる場合もありますし」


「うーむ、しかしなあ」


 充希は芝居がかった動作で腕を組み、


「あれはただの条件反射ではなく、これまでの経験から選び抜いた最善策なのだよ。相手がうっかり僕の血を望んでしまったら、全てが終いだろう? ならば初めから好意を持っていると伝えたほうが、確率も上がるに違いない。何事も、興味を持ってもらえなければ、次に繋がらないだろう?」


(……一理ある)


 やめさせるつもりが、上手く説き伏せられてしまった。

 ここで食い下がってでも止めさせなければ、後々苦労すると見えているのに、否定の言葉が出てこない。

 おまけに「僕もね、必死なんだよ」と弱々しく笑まれてしまっては、もはや、俺に否を唱える道はなかった。


「……わかりました」


 俺は嘆息交じりに肩を落とす。


「上との交渉内容には、充希さんの自由も含まれていましたからね。そういう理由があるのなら、俺もそうとして対応するようにします」


「恩に着るよ、巧人。やはりキミを選んで良かった。……彼の件については、横取りをしてしまってすまなかった」


 横取り……? 微かな引っかかりを覚えつつも、俺は須崎と対峙していた場面を思い出していた。


 あの時、充希が声をかけてこなければ、きっと彼はまだ生きていただろう。

 俺の銃に装填されているのは、対"VC"用の弛緩弾だ。よほど運が悪くない限り、治癒力の高い彼らが致命傷を負う事はなく、輸血と簡単な処置のみで回復する。


 須崎は俺に撃たれていても、数時間後には警察病院の薄暗い病室のベッドで、拘束されていた筈だ。回復後は言い訳の余地もなく、"VC"専用の拘置所へ移される。

 それがこれまでの"通常"だった。だが、今回は違う。


 死んだからだ。彼が。

 "吸血"行為を働いた己の罪の重さを知ることも、更生の機会も与えられずに。


「……訊いてもいいですか?」


「勿論、何でもどうぞ」


「あの時……充希さんが噛まれた後に口にしていた薬剤は、やはり血性サプリメントですか?」


「ご名答。だが、ただの血性サプリメントではない。あれはね、私の血を使った特注製さ。知り合いにちょっとばかし変わった研究者がいてね、彼から自分の血をサプリメント化させる機材を借りているんだ。僕はね、他者の血を受け付けないんだよ。だから自分で定期的に輸血用の血液も保管しているし、ああいう"いざという時"の為にサプリメントも常備している」


「……充希さんも、"人"の血を求めないだけで本質は"VC"と同じだと言ってましたよね。あの程度の噛み跡なら、サプリメントで血清を補充しなくとも、三十分もすれば治癒していたんじゃあ」


「巧人、重要なことを忘れているな」


 さながら教壇に立つ教師のように、充希が人差し指を左右に揺らす。


「言ったろう。僕の血は彼らを惹きつける。即座に血を掃わなければ、新たな犠牲者を出すまでだ」


 そうか。だから充希は即座に傷を治癒した後、自身に残った血も綺麗にハンカチで拭いとり、密閉袋にしまい込んでいたのか。

 芳醇な血の香りに誘われた新たな"VC"が、衝動のまま"吸血鬼"と化す前に。


(……本当に、ただ無作為に"VC"を殺してる訳じゃないんだな)


 須崎は他者の血を求める"吸血鬼"と成り下がった。

 だから狩られたのだ。"ヴァンパイアキラー"に。


(ん? ということは、もしかして充希が声をかけてきたのは偶然じゃなくて……)


「あの彼、可哀そうだと思うかい?」


 静かに落とされた問いに、思考が途切れる。

 見つめる紫の瞳は、まるで監査官のそれだ。何に査定を下そうとしているのかなんて、微塵も読み取れない。

 俺は一度瞼を閉じてから、口を開いた。


「いいえ」


 言葉に強い意志を乗せて、真っすぐに見つめる。


「彼は二人もその牙にかけた、殺人犯です。"VC"である以上、彼もまたウイルス感染者という点においては同情の余地がありますが、己の意志で他者を噛んだ結果命を落としたという過程については、何一つ哀れむつもりはありません。……そうですね、唯一心残りがあるとしたら、被害者への償いをさせられなかったことぐらいです」


 余韻を残すことなく消えた音。大通りから届く微かな走行音だけが、途切れては次を紡いでいく。

 充希はたっぷりの間を置いてから、深い笑みを浮かべた。


「……いいねえ、巧人。そうこなくっちゃ」


 ご機嫌な指先がマグカップを持ち上げる。

 揺蕩たゆたうコーヒーの白い湯気が、ぐにゃりと歪んだ。


「キミとはコーヒーの趣味も合いそうだ。即席の"相方"だが、これからよろしく頼むよ。これはコンビ結成の祝いに」


 充希は祝杯の如くマグカップを掲げると、残りを一気に煽った。空のカップを受け止めて、机上がコツリと乾いた音を鳴らす。


(……趣味も何も、ただ手軽で美味そうな機械選んだだけなんだけどな)


 まあ、確かにカプセルは好みの味を調達しているけど……。それだって何となくだ。これが"合う"って言ってるのか?

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