第11話ブラックメール①


「なあ巧人、今回の彼女は僕を頼ってきそうな気がするんだ。これは今すぐにでも指輪を用意して、永遠の愛を誓いあうべきだと思わないかい?」


「そうですね。無駄になるのを覚悟で用意したいというのなら、今からでも店にご案内しますよ」


「なぜ無駄になると決めつける?」


「少なくとも俺には、貴方のプロポーズは綺麗に流されたように見えました」


「あの時はまだ、僕のことをよく知らなかったからだろう? もう一度チャレンジすればきっと……」


「ほんの数十分で、どの程度の人間性を知れるって言うんですか。……ああ、付きましたよ。ここです」


 オフィスビルから個人商店までひしめき合う、新宿七丁目。大通りから少し入った路地にある、四階建ての雑居ビルを見上げて俺は到着を告げた。

 いかにもギリギリ経営の個人商売らしく、一階上に付けた青色のアクリル看板は薄汚れていて、『"VC専門" 野際相談所』と白抜き文字で書かれている。


 俺は一階の中央扉を開錠し、「どうぞ」と入室を促した。

 下ろしていたブラインドを上げる。人通りの多い場所ではないが、路地に面したガラスはプライバシー程のため、スモークガラスになっている。


 暗がりの部屋に置かれた木製のカウンターとダークブラウンのソファーが、明りを受けてその存在を色濃くした。


「ここが俺の仕事場です。一階はカフェスペースになっていて、普段はカウンターにいることが多いです。事務仕事は主に二階で。相談者の方が来たら、そこのソファーで話を聞くことが多いですが、上にも相談スペースがあります。その辺はケースバイケースですね」


「なるほど、温かみのある素敵な職場じゃないか。三階と四階は?」


「殆ど資料などの荷物置き場ですね。それと、仮眠なんかも。……"部外者"が入ると面倒なんで、一棟借り上げているんです。勿論、俺じゃなくて上がですが」


 コーヒーでも淹れましょうか。俺はそう言ってカウンターを回り、コーヒーメーカーに水をセットする。

 充希は「ああ、ありがとう」と礼を告げながら、対面の椅子席に「よいしょ」と腰掛けた。


 ……そういえば、本来の年齢は三十六だったな。


 受け皿上にマグカップを置いて、コーヒー豆の入った専用のカプセルをセットしたらボタンを押す。

 機体の割には物々しい機械音の後、数秒待てば、本格コーヒーの出来上がりだ。


「どうぞ。味についてのクレームは、製造メーカーにお願いします」


「とんでもない。巧人に淹れてもらったというのに、文句などあるものか。ありがたく頂くよ」


 息を吐くように繰り出される状況錯誤の甘言にも、慣れてきた。

 特に気に留めることなく自分の分を淹れていると、味わうように一口を飲んだ充希がカップを下ろし、「それで、巧人はどうするんだ?」と唐突に尋ねてきた。


「どう、とは?」


「これから彼女をどうやって守る? キミは"VC"のマリアなのだろう?」


(マリア……救いを与える聖母ってことか)


「そんな良いもんじゃないですよ。俺の任務は、"VC"による新たな事件発生を未然に防ぐための諜報活動、及び対処ですから」


「そう。だからこそ巧人は"VC"を守り、保護する。彼らに生きてほしいから。実際、これまで何人もの"VC"が、キミのお陰で命を繋いできたのだろう? マリアと呼ぶに相応しいと思うがね」


 真っすぐな断言に、たじろぐ。

 言い訳探しのカモフラージュも兼ねて、コーヒーを一口含んだ。

 苦い。知った筈の苦味が、喉をざりざりと刺激する。


(……どうにもこの眼は、苦手だ)


 純真で、美しいモノだけを映しているかのような、宝石にも似た煌めきを持つ紫。

 俺は不快感に耐えかねて、小さく口を開いた。


「……俺は、対処療法なんですよ。この国における"VC"の増加を、食い止めるための」


「……と、いうと?」


「有効な治療薬がない上に、長寿をもたらすウイルス。おまけに驚異的な生命力と治癒力が相まって、そう簡単に死ぬことも出来ない。このあいだ本部で充希さんが言っていた通り、このまま打つ手なしでは、いずれ"VC"の数は"N"を上回ります。この国は、それを"最悪の事態"としているんです」


「……"最悪の事態"、か」


「ええ。表向きでは共存なんて謳っていますけど、この国において"VC"は忌むべき"異質"なんですよ。本音をいえば、あの人工島のように全ての"VC"をどこかに囲って、排除したいのでしょう。ですが世界的に人権主義が主体となっている最中、そんな非人道的な策を講じる度胸もない」


 だから、と。俺は自身の胸元へ手を当てた。


「だから、俺がいるんです。吸血行為に及ぶ可能性のある"VC"を見つけ、報告し、"仲間"に監視させる。……危険因子と判断されれば、"吸血"事件を起こす前に"隔離"を行うんです。味方を装った排除者が"マリア"なはずありません。"ユダ"ならわかりますけどね」


 黙って聞いていた充希は「ふむ」と顎先に手を遣ってから、伺うような目で俺を見た。


「なによりもまず、そんな裏事情を僕に話してしまって良かったのかい?」


「まずいですね。充希さんが誰かに口外したら、間違いなく俺の首が飛ぶと思います。おそらく、物理的に」


「つまり僕は今、半強制的に巧人の生命線を握らされたわけか。ふふっ、悪い男だねえ、巧人。まるで共犯者を増やす詐欺師のようだ」


 充希はちっとも堪えてなさそうな笑みを浮かべ、両手を上げた。


「僕がいま聞いたのは、敬愛なる友人の、初めて心を開いてくれた人生相談だ。おまけに一時的とはいえ"相談屋"の一員でもあるのだから、守秘義務は貫くよ。……そうだね、せっかくの機会だから僕も、"相談屋"らしく応じてみようか」


 そう言って充希は机上で両手を組み、三日月眼で俺を真っすぐに見上げた。


「僕の知る範囲では、どこの国も内情は似たようなものさ。ただ、彼らも実行はしない。何故だと思う? 答えは簡単、怖いからさ。単なる"N"が"VC"に勝てるわけがない。猫にだってわかる真理だ。だから彼らは見せかけの好意という仮面を被りながら、あくまで自分たちが強者であるように振舞う。尻尾を哀れに丸めてね。守りたいのは"国"ではない。臆病な自分自身なのだよ」


 小馬鹿にしたように鼻を鳴らして、充希は再びカップを手に取った。

 音楽一つない静寂。上下した喉に合わせて、嚥下音が小さく届いたような気がした。


 ――所詮、何処の国も同じ。


 やっぱりという気持ちと、失望がない交ぜになったような心地。

 何か、決定的な"何か"が起きて、現状が覆されない限り、"VC"に明るい未来など存在しない。


 だから、そう。もし姉さんが生きていたとしても、結局は――。


「話を戻そう、巧人」


 トンと響いた鈍い音に、沈みかけた思考が切れる。

 見れば充希は両肘をカウンターについて、ニッコリと笑みを浮かべた。


「飼い主の思惑がどうであれ、キミはこれから彼女の為に動くのだろう? 無理を言って側に置いてもらっているんだ。巧人の仕事まで制限させたくはない。僕はこの国ではなく、巧人に協力する。既に具体的な方針があるのなら、事前に把握しておいた方が何かと動きやすいからね。僕に出来ることはあるかい?」


 淀みない言葉には、嘘の気配がない。

 だがまだ出会って、ほんの二日だ。互いに"信用"の範疇に収めるには、あまりにも早すぎるだろう。

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