第9話バーベナの目覚め②

 そんな俺達のやり取りから顔見知りだと察したのか、栃内は俺を見て、


「あの、この方は?」


「ええと、すみません。怪しい者じゃなくてですね」


「ところで麗しき鳥籠とりかごのキミ。僕の"アモーレ"になる気はないかい?」


「え?」


「すみませんこんなでも怪しい者じゃないんです! 本当に!」


(挨拶代わりに口説くな! ってかホント手当たり次第だな!?)


 思わず立ち上がってフォローをいれると、


「こら巧人、病室でそう大声を出すもんじゃない」


 おまっ、アンタのせいだよ!

 喉元で必死に押し留めて、悪戯に脚に絡みつく子猫を叱るような顔をする充希を睨め上げる。

 拳を握るくらいは許されるだろう。

 ぎりりと奥歯を噛んでいると、


「……あっはは! あ、すみません私ったら」


 思わずといったように噴き出した栃内は、可笑しそうに頬を緩めたまま俺を見て、


「わかりました。野際さん、お笑い好きですね? それでプライベートで漫才コンビを組んでて、彼が相方さん。当たりました?」


「えっと……」


 訊ねられた俺が答えるよりも早く、


「惜しい! 確かにコンビではあるが、僕達はコメディアンではない」


 充希は自信満々に胸を張り、


「僕の花嫁探しをね、手伝ってもらっているんだよ。何を隠そう、僕はとある石油王の友人でね。つまるところ、お金には苦労させないし、望むものは何でも手に入る。だからどうだい? この不自由な鳥籠を出たあかつきには、ぜひ僕の"アモーレ"に」


「ほらやっぱり、当たりじゃないですか。その"石油王の友人"っていうのが十八番のネタなんですね。でもお二人とも、見たところ歳の差が少しありそうですけど……つい最近結成したって仲ではなさそうですし、元々のお知り合いだったんですか?」


「うーむ、ネタでないのだけどなあ。まあ、いい。僕と巧人が知り合ったのは、つい昨日さ。コンビを組んだのも昨日だね」


「もー、わかりました。そういうことにしておきます」


(……完全にお笑い好きの素人コンビにされてしまった)


 クスクス笑う栃内は随分とお気に召したようで、それ以上の追求はなく、充希の"求婚"もネタとして受け流している。

 結果オーライ、と思っておこう。下手に勘ぐられるより遥かにマシだ。


「うむ、笑った顔は一段と美しいな! どうだい、やっぱり僕の"アモーレ"に……」


「はい、そこまでにしておいてください。すみません栃内さん。まだ目が覚めたばかりだというのに、付き合わせてしまって……」


 栃内が首を振る。


「いえ。むしろ、ありがとうございました。……目が覚めたら、目に映るもの全てが真っ白になっていて、自分が自分じゃないような気がしてたんです。お二人のおかげで、あ、やっぱり私だって思えました」


 伏せた瞼の奥に、複雑な光。

 いま、彼女が望む言葉なんだろう。憐みか、慰めか。

 慎重に観察しながら再び椅子に腰を下ろし、思考を巡らせる。


 ほんの数秒間の出来事だ。いつもならなんてことない、むしろ、こちらの戸惑いを演出する為にも、必要な"溜め"になるというのに。


「"V-2"の有無が影響を及ぼすのは、身体の変化のみだ。心は変わらない。現状に何を思ったとて、それは紛れもないキミ自身の声だよ」


「っ」


 充希の発言に、栃内が「……そうですね」と首肯した。

 くそ、相変わらず余計なことを。思ったが、今はこの自由人を咎めている場合ではない。

 彼女から伝わる、落胆の気配。俺は即座に口を開き、


「目覚めたら"VC"になっていた。誰だって動揺します。仕事柄多くの方の"目覚め"に立ち会いましたが、中には絶望にくれ泣き叫ぶ人だっていました。けれど忘れないでください。心臓は、命は、動いているんです。"VC"になったとて、輸血さえしていれば、普通の人と同じ生活が送れます。貴女は、生き残ったんです。この先の人生を、歩んでいけるんです」


 "吸血鬼化ウイルス"は現状、不治の病だが、一度"VC"として目覚めることが出来れば、ガンのように身体をむしばみ命を奪う病気ではない。

 だから俺は、願望を込めて言うのだ。


「今この瞬間も、世界各国で沢山の人達が、治療薬開発に向けて研究に励んでいます。どうか、希望を捨てないでください」


 言葉に、栃内が小さく瞠目した。

 躊躇いがちに視線を落とす。


「……ええ。そう、そうですね。私のこの心臓は動いていて、こうなった以上……人よりも長く生きるのだから」


 片腕を抱き込む仕草には、底知れない未知への恐怖が見て取れる。

 無理もない。"N"による"VC"へ嫌悪は、根強い。

 これまで築いてきた日常も、思い描いていた未来も奪われ、命尽きるその日まで戦い続けなければならないのだ。


 偏見、差別、経験したことのない、血への渇望かつぼう

 恐れるなという方が、無理がある。でも。


 ――俺は彼女を、生かしたい。


「……栃内さん、これを」


 俺は内ポケットから名刺を一枚取り出し、彼女に差し出した。

 反射のように手を浮かせた栃内が、瞳に疑問を浮かべる。


「……名刺?」


「ここに私の事務所と、電話番号が書いてあります。……少し悪い言い方になりますが、こうして出会ったのも何かの縁です。頼ってください。困りごとは勿論、ちょっと誰かと話したくなったでも、寝つきが悪い時でも」


「ほう、巧人も隅に置けないな。中々熱烈なお誘いじゃないか」


「は?」


「"眠れない夜に電話して"なんて、なんともロマンティックで美しい。互いに囁きながらワイングラスを片手に、同じ月を飲むのかい?」


「ちょっ、違いますそういう意味じゃないですから! 本当に、ただ純粋に、些細な事でも気にせず使ってくださいって意味ですからね!」


 誤解だと慌てて両手を振ると、栃内は噴き出して「はい、わかってます」と頷いた。

 良かった。まったく、なんてことを言うんだ。

 誰もかれも、アンタみたいに恋愛脳だと思わないでほしい。


 薄く息を吐き出したその時、扉がコツコツと小さく鳴って、重厚な扉が横にスライドした。

 細く開いた隙間から、警備員が顔を覗かせる。


「時間です」


 感情なく端的に告げ、再び閉じられた扉。


「なんと。楽しい時間はあっという間だな」


 充希は肩を竦めると、心底残念そうに眉根を寄せ、


「そうだ、すっかり忘れていた。せっかくだから贈ったその花を、この部屋に飾ってもいいだろうか?」


「あ、はい。ありがとうございます。後で看護師さんにお願いを――」


「いや、それまでキミに抱かれているなんて、あまりに羨ましい。巧人、すまないがこの花を活けてくれないか? 自分でやりたい所だが、なんせ僕はすこぶる"不器用"でね」


(……確かに。この人に任せて、うっかり花瓶を割られても困るな)


 というか、最初から俺にやらせるつもりで、花を買ってきたのか。

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