第8話バーベナの目覚め①
被害者が目を覚ました。
そう連絡を受けたのは草木も眠る丑三つ時で、俺達は朝を待ってから早速と面会に向かった。
千葉県の幕張にある、鈴ノ宮総合病院。医院長から看護師、そして患者まで全て"VC"であるそこは、まさにキャッチコピー通りの『"VC"による"VC"の為の医院』だと言えるだろう。
そこに、彼女はいる。
「へえ、驚いた。ここの医院長はロボット犬がご趣味かい?」
関係者入口でお座りをしていたそれを見て、小走りに近寄った充希が「よしよし、初めましてだね」と身を屈めて頭を撫でた。
「AIが搭載されたケアロボットです。基本的には心療内科にいますけど、身体が空いている時は患者の案内をしてくれます。ああ、頭以外は触らないでくださいね」
「怒るのかい?」
「いいえ。ただ充希さん、何をするかわからないから」
「随分と物騒な物言いだね?」
「今朝、電子レンジで卵と牛乳を同時に爆発させたのは誰ですか。忘れたとは言わせませんよ」
びっくりした。いやもう、ビックリ通り越して、普通にテロだと思った。
寝起きテロ。犯人は警護対象者。勘弁してくれ。
「今時そんな古典的なことする人いるとは思いませんでした」
殆どの機能が使われることなく、一晩でお役御免となった電子レンジに想いを馳せる。
今頃、"部下への融資"という名目で真新しいレンジと交換されているのだろう。報告を受けた八釼も、眼を丸くしているに違いない。
そんな裏方事情など露知らず、充希は幼子のように頬を膨らませて立ち上がった。
「さすがの僕でも、こんな愛らしい子犬で卵と牛乳を温めようとはしないさ」
うん、まあ、それはそうでしょうとも。
俺が言っているのは、そういう事ではない。
けれども説明するのも面倒なので、俺は気に入りのMA-1のポケットからスマホを取り出し、
「行きましょう。ただでさえ短い面会時間が、更に短くなります。"チロ"、案内してもらえるかな。患者の名前は――」
「
他の職員と同じく、"VC"である警備員の横。重厚な個室の引き戸から顔を覗かせると、ベッドの背を少し上げていた彼女が驚き眼でこちらを見た。
紅色の瞳。色素の薄い肌。肩上の、確かダークブラウンに染められていた髪は一本残らず銀の色に変わり、報告書よりも若さを巻き戻した面持ちが、彼女の身に起きた"現実"を色濃く証明している。
首元に巻かれた包帯に隠された吸血痕は、既に殆どが塞がっているに違いない。
左腕から伸びたチューブが、吊るされた透明な薬剤を彼女の身体へと運んでいる。
「……刑事さん、ですか? にしては、恰好が……」
明らかな不安を見せる彼女の警戒を少しでも和らげようと、俺は人当たりのいい笑顔を向けた。
「突然お邪魔してすみません。新宿で"VC"専用の相談屋をやっている、野際巧人って言います。目が覚めたと聞いて居ても立ってもいられず……。もっと早くにお助けできず、申し訳ありませんでした」
脚を揃えて深々と頭を下げると、
「あ! 意識を失った後、搬送されるまで対処してくださった方がいたと聞きました。あなただったんですね」
張りつめられていた、疑心と拒絶の気配が消え失せる。
俺はあくまで"たまたま居合わせた相談屋"の顔で、
「それで一応"関係者"ってことで、こうして面会が許されたみたいです。本当は見舞いの品も持ってきたかったのですが……持ち込みは禁止されてしまって。その、なんか色々捜査中だとか」
伺うように言うと、栃内は眉間に苦悶を写した。
「……私を噛んだ犯人が、亡くなったそうです。突発的な心臓発作だったそうですが、こうして"被害者"である私が生き残ってしまったので、本当に"事故"だったと確定づけるにも、こちらの調査が必要なのだと言っていました」
告げる彼女の声色には、隠しきれない憎悪。自身を"変えて"しまった犯人への怒りに、赤い眼が更に色を濃くしたように見えた。
常ならば、被害者が犯人への復讐心に呑まれぬようフォローするのが定石だが、いかんせん今回は犯人が死んでいる。
行き場をなくした感情にのまれ、自暴自棄になってもおかしくはない。しっかりと彼女を守らねば。
「その、少し話をさせてもらっても?」
首を傾げて伺うと、栃内は「是非。話し相手も呼べなくて、退屈してたんです」とベッド横の椅子をすすめてくれた。
が、即座に、
「あ……ごめんなさい、私ったら。……"VC"の側に寄るなんて、落ち着きませんよね」
すっかり忘れていたと苦笑する彼女に、俺は「まさか」と首を振って椅子へと歩を進める。
「先ほどお伝えしました通り、私は"VC"専用の相談屋です。……"VC"を恐れる"N"の方々が多いのは知っていますが、私は"VC"も"N"も、同じ"人"だと思っています」
「……そう、でしたか」
おそらく彼女は、"VC"を恐れる"N"だったのだろう。無理もない。というか、大半がそうだ。
複雑そうに視線を落とした彼女の横で、簡易な丸椅子の横に立った俺は「座ってもいいですか?」と再び重ねた。
頷く彼女に礼を告げて、腰掛けた刹那。勢いよく扉がスライドした。
「やあ、初めましてお嬢さん。気分はどうかな? なんて、訊くまでもないか。どんなに美しくても、籠に閉じ込められた鳥は不自由なものだろうからね」
ノックもなく無遠慮に開いた扉から入ってきた充希が、これまた躊躇のない足取りで、呆気にとられている彼女へと近づいた。
手には花束が一つ。鮮やかなピンクの花弁が目を引くそれは、小さな花が球体のように寄り集まっている。
「これはちょっとしたプレゼントだ。本当は薔薇が良かったんだが、香りの強い花はまだ刺激になるだろうからね」
パチリと飛ばされたウインクに、花束を受け取った栃内が「え? あ、はあ」と戸惑いを見せた。
(……持ち込みは禁止って伝え忘れてた)
まあ、"国賓"の私的な好意では、上も咎められないだろう。部屋外に立っている警備係が許したのが、いい例だ。
というか、なにが『いきなり多人数で押しかけて、彼女を怖がらせてはいけないからね。僕は少し経ってから入るよ』だ。
ただ花を買いに行きたかったが為の、口実じゃないか。それならそうだと言ってくれれば。
(……"警護対象"なんだから、一人で勝手にうろつかないでくれ)
わかっている。自由奔放の代名詞でもある充希の言葉を鵜呑みにして、警備係がいるから大丈夫だろうと迂闊に了承してしまった俺の失態だ。
そう頭で理解はしていても、どうにも納得いかなくて、充希を非難の眼で見遣る。
直後、気付いた充希が肩を竦めた。どうやら意図は伝わったらしい。
「すまなかったよ、巧人。ちょっとした"うっかり"だ」
「……今後は絶対に"うっかり"させませんからね」
「巧人はしっかり者だなあ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます