第7話ヴァンパイアキラーの講義②

「ん? ああ、そうか。巧人、どうして僕が"VCキラー"ではなく"ヴァンパイアキラー"と名乗っているか、わかるかい? そう、僕が標的とするのは、他者の血を求めた"ヴァンパイア"だけだからだ。哀れな"ウイルス感染者"ではなくてね。今後彼女が"ヴァンパイア"に成り下がらない限り、僕の血が彼女を喰らうことはない。どうだい? 安心しただろう」


 にっこりと無邪気に笑む顔には、先程までの剣呑さはない。

 嘘ではない。そう直感した俺は、素直に「疑ってすみませんでした」と頭を下げた。

 彼は気分を害した風もなく、「いーや」と小さく吹いてから、俺の淹れた茶を飲む。


「例えば僕が巧人の懸念通り、見境なく食い散らかす狂犬だったならば、警戒するに越したことはないからね。キミ達"警察"には、国民を守る義務がある。巧人は職務を全うしただけだ。そんなことより、ああほら、せっかくの美味い茶が冷めてしまうよ」


(……思っていたより、変人ではないのかも)


「……いただきます」呟いて、湯呑を持ち上げた俺に、

「召し上がれ」彼が応える。


 いや、淹れたのは俺だけども。そんな突っ込みを緑茶と共に飲み込む。

 うん、美味い。さすがよく分からないけど、高そうな茶葉。


「……モレッティさんて」


「充希でいい」


「……充希さんて、いくつなんですか」


 彼は軽く肩を竦めてから、


「ええと、今年で三十六だったかな」


「そうですか、三十……さんじゅうろくっ!?」


(俺より八つも上じゃないか!)


 驚愕を隠すことなく絶句する俺に、彼は呆れたように息をついた。


「キミともあろう者が、忘れたのかい? "感染者"はいくつ歳を重ねていようと、十から二十を過ぎた程度の頃まで風貌が巻き戻る。多少、個人差はあるがね。今時、小学生でも知っているだろう?」


「! それは、そうですけど」


 それは"V-2"感染者の話だ。

 "ゼロ-ウイルス"保持者がどうかなんて、知るわけあるか!


「っ、俺の知る限り、日本において"ゼロ-ウイルス"の情報は殆ど周知されていません。むしろ、上がどれだけ掴んでいるのかすら」


「おや、それは失礼した。僕は特段、秘密主義という性分ではなくてね。訊かれれば答えるし、必要ならば手を貸す。今まで訪れた、どの国でもだ。……渡した"情報"が国際的に共有されているかまでは、気に留めていなかったからね」


 充希は湯呑をカウンターに置き、


「さて、それならお勉強の時間だ、巧人。しっかり学んでレポートに纏めたら、ボスに提出するといい」


 茶化したウインクを飛ばして、充希が続ける。


「まず、大前提として、僕は"V-2"保持者と同じくウイルス感染者だ。ただなんの悪戯か、僕に付与されたコードは多くの友に見られた"ヴァンパイア化"ではなく、異質なモノだった。超人的な身体能力、長命、そこは皆と変わらない。だが僕は血に飢えなかった。代わりに友を惹きつけ、破滅を与える身体にされた。僕の血は"V-2"を殺し、ただの人間に戻す。"0"に戻すんだ。だから、"ゼロ-ウイルス"」


「……"V-2"を持たない人間が貴方の血に"感染"したら、どうなるんです?」


「なにも起こらない。不思議なもんだろう? まあ、だからこそどの国も手を焼いているんだが」


 おかしそうに口角をつり上げ、くつりと笑う。

 外見年齢には些か不釣り合いな表情だが、実年齢を知ったせいか、違和感よりもその瞳の冷たさに背筋が伸びた。


「僕の血が"殺す"のは、あくまで"V-2"だけだ。だから安心するといい、巧人。僕の側にいても、キミはキミのままだよ。あの彼のように、僕の血に唆されることもないし、痛苦の淵で絶命することもない」


「須崎……あの、充希さんが求婚された路上の男の死因は、やっぱり"ゼロ-ウイルス"を摂取したからですか」


「そうさ、彼の摂取した僕の血が、彼の"V-2"を攻撃し、改変された遺伝子を元に戻そうとした。急激な変異は壮絶な痛みを伴い、まさに命がけ……それもまた"V-2"感染時と同じだが、なんせ二度目の"変異"だからね。耐えられないのさ、残念ながら。幸運の女神が微笑む確率は、宝くじで一等を当てるよりも遥かに低い」


 ……つまり、ほぼ確実に絶命するということか。

 理解すると同時に、小さな疑問が湧き上がってきた。


 なぜ政府は、世界は、こんな"危険人物"の自由を容認してきたのだろう。それどころか時には"国賓"として迎え入れ、時には、膨大な金額で雇い入れ。


 いや、答えは聞かずとも明確だ。

 治療方法が存在しない今、"VC"は駆逐されるべき悪。それが、共通認識だから。

 腹の奥が、黒く冷え行く感覚。


(……犯罪率でいうのなら、"VC"も"N"もそう大差ないってのに)


 果たして"悪"なのは、一体どちらか。


「……巧人は本当に、"VC"が好きなんだな。いや、"人"が嫌いなのかな」


「え?」


 俺の答えを待つことなく、楽し気に笑んだ充希が再びソファーに身を落とした。


「"VC"を保護すべき立場であるキミにとって、僕はとんだ危険因子だろう? しっかり"監視"しておくといい。後悔しないようにね」


 これで話は終わりだ。そう示すかのように、充希はソファーに並べられたクッションで遊び始めた。

 監視。そう、俺の任務のひとつ。わかっている。今や俺の"眼"は俺のものではない。八釼の、そして、この国と共にある。


 猫のように転がる彼を見遣りながら、俺は立ったまま冷めた緑茶を口に含んだ。

 動揺、だろう。これは。

 先程の、彼の言葉が脳裏で反芻される。


『巧人は本当に、"VC"が好きなんだな。いや、"人"が嫌いなのかな』


(……八釼さんですら、こうも簡単には気付かなかったのに)


 彼の言葉は真実だ。だが、それが全てというわけでもない。

 とはいえ訂正する気もない。むしろ、そう思ってくれていたほうが、好都合か。


「どうだい巧人。キミの茶は美味いだろう?」


 ごろりと腹ばいに回転した充希が、頬杖をついて尋ねる。

 いや、だからなんでアンタがそんなに得意げなんだ。

 俺はどこか毒気の抜かれた心地で、「言っておきますけど」と肩を落とす。


「高い茶葉を使えば、誰が淹れたって美味いですよ」


「そんなことはないだろう。コーヒーは同じ豆を使っていても、人によって味が変わる」


「コーヒーと緑茶は違うんです」


「そういうものか?」


「そういうもんです」


 その気になれば国一つ難なく動かせる"ヴァンパイアキラー"。そんな彼とするには、あまりにも腑抜けた会話だろう。


 だがこの時俺は、自分で思っていたよりも取り繕うことに必死だったようで。

 本当に気に掛けるべき彼の言葉は別にあったのだと、後に知ることになる。

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