第6話ヴァンパイアキラーの講義①


 カードキーを通し、オートロックの分厚い扉を開くと、期待に浮足立った背中が靴を脱いで奥へと歩を進めた。


 左右で整列するノブ達には目もくれず、真っすぐ向かった王座のそれへと手をかけ、迷いなく開け放った扉の先。青年が「素晴らしい!」とその瞳をいっそう輝かせ、振り返る。


「とても素敵な家じゃないか。おまけにまるで住み始めのように綺麗だ。巧人は随分と掃除が上手いんだな。いつからここに住んでるんだい?」


「……今日、というか今からですね。それと、どちらかというと掃除は得意じゃない方です」


 あまりの場違い感に恐縮しながら部屋を覗き込んだ俺は、その内装を見て更に胸中が重くなった。

 なんだこれ。いったい何処のモデルルームだ。


 マンションとは思えぬ広々としたメインダイニングには、映画館と見間違えそうな壁掛けのテレビ。

 囲むソファーは高級ながらも上品な白さでどことなく安心感があり、たっぷりと置かれたクッションにダイブすれば、十分気持ちよく寝れるだろう。


 独立型のアイランドキッチンに、四人掛けのダイニングテーブル。揃えられた家電はどれも人気シリーズの最新型で、傷一つなく光源を反射している。


「なんだ、ここは巧人の家ではないのか?」


 ソファーに腰掛けクッションの一つを抱きしめながら、彼が不思議そうに首を傾げた。

 俺は窓際に寄り、狙撃者や密偵が好みそうな建物をチェックしながら答える。

 ……周囲の建物、全部下じゃねえか。


「いえ、間違いなく今日からここが俺の家ですよ。職場の都合上、これまでも新宿に住んではいましたが、ワンルームタイプのアパートを借りていました。さすがにあの家で男二人は手狭でしすし、わざわざ上が用意してくれるって言うのだから、お願いしたんですがね。……そりゃ、多少豪華になるとは思ってましたけど、正直、ここまでとは」


 いやでも、同居相手は国賓級の超VIPだ。そう考えれば、当然の処遇なのだろう。

 西新宿の、高層マンション。監視システムは勿論、二十四時間体制で警備員も立ち、カードキーに登録されたフロアにしかエレベーターは停止しない。

 プライバシー保護もばっちりだ。


「まさか、こんな高級マンションに住む日が来るとは思いませんでした。……この観葉植物、水あげときゃいいのか?」


「おや、日本の警察はそんなに薄給なのかい?」


「役職にもよるでしょうけど、少なくとも俺にこの部屋は釣り合いませんね。……個人経営の"物好き"な相談屋が住むにも不自然すぎますし、それらしい"設定"を考えないと」


 宝くじが当たった? いや、それよりも金持ちのパトロンがついたという方が現実的か。

 ああでもないこうでもないと思考を巡らせていると、「ああ、それなら」と彼が手を打った。


「"VC"のアモーレを探すために世界中を飛び回る僕はとある石油王の友人で、一人でも多くの"VC"と出会おうと"相談屋"のキミを雇った。ついでに滞在中の身の回りの世話も依頼したが故に、こうして共に"城"で暮らしている。こんなストーリーでどうだい?」


「……石油王ってちょっと非現実的すぎないですか?」


「なーに、想像し得る"現実"を超えたくらいが丁度いいのさ。疑った所で、真偽を探る手段も持たないだろう? そういう場合、案外すんなりそういうものかと受け入れてしまうものだからね」


(……そういうもんなのか?)


 彼があまりに自信満々に言うので、俺は「……わかりました。ひとまずそうしましょう」と頷いた。

 不都合が出たら、また調整すればいい。願わくば、そうなる前に彼が出国し、お役御免となれるよう。


「今日は仕事場にはいかないのかい?」


「え? ええ、はい。もうすぐ陽も落ちますし、今日は臨時休業ってことで」


「そうか。なら巧人の"守られた城"へ伺うのは、明日だな」


「城……」


 仕事場を揶揄するには大げさな呼称に、思わず繰り返し疑問を浮かべる俺。

 彼は苦笑浮かべてから、申し訳なさそうに眉根を寄せた。


「……家というのは本来、主にくつろぎを与える場だろう? 僕の我儘で、キミから大切な"城"を取り上げてしまった。すまない」


(……確かに。そもそもアンタがあんな提案をしなけりゃ)


 だがそんな恨み言も、しおらしく下がった眉尻と子犬のごとき瞳に、つい、まあいいかなんて。


「……俺っていう"監視"が付くのなら、政府からの提案とそう大差ないんじゃないですか? むしろ、衣食住の提供っていう確約があったほうが、好条件だったんじゃあ」


「この国に来たのは、仕事というより個人的な興味が理由でね。せっかくのバカンスに知らない者が付きっ切りでは、リラックスなど到底不可能だろう?」


「……俺も初対面ですが?」


「巧人はこの国において、僕の最初の"仕事"に立ち会った。"他人"ではなく"戦友"さ」


(つまり俺は、貧乏くじを引いたって訳か)


 例えば須崎が事件を起こさなければ。例えば、俺があの場に立ち会っていなければ。

 どれか一つピースが欠けていれば、こんな厄介事に巻き込まれずに済んだらしい。

 逆に言えば、俺をこの状況に導く全ての条件が"揃ってしまった"ということだ。


「どうだい? 運命を感じるだろう?」


 げんなりとした俺の胸中を読んだかのように、キラキラと笑顔を輝かせて彼が問う。


「これで巧人が"VC"だったなら、迷わず求婚しているのだけどね。残念だ」


「運命の相手は別にいるってことですね。安心しました。ああ、俺は玄関横の部屋を使わせて頂くんで、他の部屋はお好きにどうぞ」


「ドライだねえ、巧人は」


 けらけら笑って、彼は「それじゃあ、その向かいを僕の私室に。それ以外は後々考えよう」とクッションを置いて立ち上がった。

 食器棚から適当にマグカップを一つ取り出すと、蛇口から水を入れ、喉を潤す。


「……あそこにウォーターサーバーがありますよ」


「おや、本当だ。気が付かなかった」


「……お茶、淹れましょうか?」


「いいのかい? 巧人の淹れる茶は美味かったからね。お願いするよ」


 今の俺には彼の"世話役"という任もある。茶ぐらい淹れるさ。

 俺は台所へと向かい、戸棚を数か所開いた。


 見つけたのはパッケージからして、いかにもお高そうな緑茶。

 無遠慮に素手で角を開け、おそらくいい所の作だと思われる急須に目分量で茶葉を入れた。ウォーターサーバーから湯を注ぐと、湯気と共に深緑の香りが広がる。


 蒸らしている間に食器棚から湯呑を二つ選んで、急須を軽く回してから交互に注いでいく。

 俺が淹れているのだから、ご相伴しょうばんにあずかっても罰は当たらないだろう。


 彼は俺の対面に立ち、肘をカウンターに乗せて俺の手元を興味深げに見遣りながら、おもむろに口を開いた。


「神の審判を待つ彼女は、どうなったんだい?」


「一命を取り留めたまま、三時間のボーダーラインを越えたそうですよ。現在、厳重な警備体制の下、意識の回復待ちです」


「そうか。不条理に散る花が減ったのは喜ばしい。が、また新しい"VC"が生まれてしまったな」


 呟く彼の瞳に、怪しい光。思わず止まった急須の先から、最後の一滴が滴り落ちた。

 描かれた波紋が消え失せる様を見届けてから、俺は湯呑の一つを、彼に差し出した。


「……名のある"ヴァンパイアキラー"にとっては、例え被害者でも排除対象ですか?」

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