第5話特異機動隊本部にて②

 エレベーター内でセキュリティーカードを通し、最上階のボタンを押す。

 降りて、閉じられたガラス扉の横。一部の隊員にしか通達されていないセキュリティーコードを入力し、カメラを覗き込んで虹彩認証を受ける。

 甲高い電子音が響き、扉が開く。


「どうぞ」


 俺達の動きに合わせ、頭上のカメラが動いた。

 歩きながら視線で追っていた彼が、


「"連れ"の管理はあのカメラで?」


「それと、赤外線センサーによる感知で」


「ここから出る時は、今と同じ手順を?」


「ええ」


「なるほど。先程よりも随分と強靭な"おり"だ」


 肩をすくめて茶化す彼の背後で、八釼が顔を強張らせた。

 無理もない。今しがた会ったばかりでは、嫌悪を滲ませた糾弾に聞こえるだろう。


 だがおそらく、彼はただ現状を楽しんでいるだけだ。

 俺は嘆息交じりに、


「職業柄、いつ攻撃的な"VC"の襲撃を受けるかわかりませんからね。見ての通り、ここで働く隊員の多くは"N"ですから、安全面に対しては万全を期しているんです」


「だが決まった者しか入れないのだろう?」


「有事はシェルターとして活用されますが、まあ、その辺の詳しい説明までは勘弁してください。いくら"貴方"の質問とはいえ、すでに喋りすぎなくらいですから」


「それもそうだな。巧人はもう少し、危機感を持った方がいい」


(いや、だからアンタが訊くから"接待"してるんでしょうよ……!)


 上司の手前、笑顔で奥歯だけ噛み締めて、俺は階奥に設えられた応接室の扉を開いた。

 通常の二部屋分の広さを有するそこには、シンプルながらもモダンなデザインのローテーブルを中央に、ダークブラウンのソファーが客人を待っている。


 壁に飾られた大判の絵画には、天使が一枚。国家機密ゆえ、口が裂けても言えないが、この天使には赤外線センサーによる録画と録音装置が組み込まれている。

 入室した二人がそれぞれ腰掛けたタイミングを見計らい、


「お茶の用意をしてきます」


 告げて扉を閉めようとすると、


「お茶ならさっき十分に楽しませてもらったからね。不要だよ。それよりも手早く要件を済まそうじゃないか」


 ……阻まれてしまった。

 ちろりと横目で八釼を見遣ると、いくな、と訴える眼で小さく首を振られてしまった。

 いやいや、お茶も出さんでいいんですか先輩。

 思ったが、俺は嘆息交じりに頷いて、開いていた扉を閉めた。


 あの彼の要望はともかく、配属時から語れないほど世話になっている先輩が、こんなにも必死に引き止めているのだ。

 いける筈もない。


「……では、俺はここで」


「なぜだ? こっちに座ればいい」


「いえ、それは勘弁してください」


「ふん? それはもしかして、キミの仕事場におけるルールというやつか?」


「ええ、まあ。そんな所です」


「わかった。よし、では"交渉"に入ろうか」


 膝上で両手を汲んだ青年が、にこりと人の良い笑みを浮かべる。

 八釼はこれでもかと背を正して、「……では」と低い声を発した。


「本来は総理大臣が直接ご挨拶に伺うべきところですが、いかせん全てが急なため間に合わず申し訳……」


「ああ、そういう堅苦しいのはいい。単刀直入にいこう。僕がこの国に滞在するにあたって、"キミ達"の望む条件はなんだ?」


「……人々の混乱を避けるため、貴方様が来日されている旨の発表は控えたいと考えております」


「なるほど。つまり、"大人しく"していろということか」


「ですが、貴方様はかの"ヴァンパイアキラー"。そうもいかないでしょう。我々とて、貴方様の行動を制限するだけの"材料"を持ち合わせておりません。なので、ご相談を」


「ほう?」


「衣食住に関する面につきまして、こちら側で面倒を見させていただきます。もちろん、われわれ特異機動隊による護衛も。代わりに貴方様の"お仕事"につきましては、世間にバレぬよう内密に活動頂きたい。また、治療薬開発の為に日夜励んでいる研究チームに、少量で構いませんので血の提供をお願いしたく」


 いかがでしょうか。先程までとは打って変わり、国を背負う強固な瞳が青年を捉えた。

 ただの一般人なら、即座に怯んで頷くであろう重圧。

 が、青年は呑気に「うーん」と逡巡し、ぐるりと弧を描いた双眸を戻して、優雅に足を組んだ。


「国民を守るのは"国"の義務だ。そしてその方針は時々によって変わる。ただの"渡航者"である僕が、国政に口を挟むつもりはないからね。出来る限り表沙汰にならぬよう善処しよう。それと血の提供についても、喜んで協力させてもらう。一刻も早い"ウイルス撲滅"は、僕の願いでもあるからね」


「……そうですか」


 あからさまな安堵を浮かべて微笑んだ八釼を、前のめりになった彼が「ただし」と制した。


「条件を変えてもらおう。まず、衣食住の提供は必要としない。僕はやりたいようにやる。つまり、滞在中における"自由"を保障してほしい。つまり、"護衛"も不要だ。自分の身は自分で守るのでね」


「! しかし、"万が一"の際に何もしていなかったでは、国の沽券こけんに関わります。これまで数多の"国"を渡り歩いていらした貴方様なら、お分かりでしょう?」


「もちろん。それと、衣食住はともかく護衛という名の"監視"を拒否されては、キミの進退に関わりかねないということもね」


「!」


 八釼が目を見張る。図星。これで完全に主導権は、彼のものだ。


(……やはり一筋縄ではいかない、な)


 思いながらも俺は沈黙を保ち、見守るに徹する。

 意地悪気に口角をつり上げた彼が、「そこでだ」と背をソファーに埋めた。

 おもむろに右腕を上げ、指をさした。俺だ。

 楽し気に細んだ紫の瞳とかち合う。

 は? え? ちょっとまて、かんっぺきに嫌な予感が――。


「巧人は表向き、"VC"向けの相談屋をしているのだろう? なら滞在中の間、彼の元で世話になりたい。これなら巧人という"護衛"の"監視"付きだ。どうだね。この条件で手を打たないか」


(いやいや、勘弁してくれ! 要人の護衛ってのはともかく、こんな厄介な相手を四六時中相手にするなんて――)


 心中冷や汗。

 無言ながらも必死に目で拒否を訴えようとして、八釼を見る。

 と、彼は眉間に深い皺を刻んで、難しい顔のまま床を見つめていた。


 考えているのだろう。そう、考えてくれているのだ。

 俺一人の犠牲で成り立つ、きっと他の誰からなら即座に頷くであろうこの"取引"の是非を。


(……そういう人だもんなあ、八釼さん)


 誰よりも真摯で、部下思いで、けれどしっかり策士で。

 この人が居たから、今の俺がある。そしてきっと、これからも。


「……貴方様のご提案は、あまりに部下の負担が大きい。本件は一旦持ち帰らせて頂いて、また後日ご相談を――」


「いいですよ、八釼さん。その条件、飲みましょう」


「! だが、それではお前が」


「大丈夫です。二十四時間体制での護衛は経験がありますし、それに報告義務が少し増えるだけでしょう? 本人も"監視"されている自覚ありっていうなら、やりやすいですし。持ち帰って上と揉めている間に好き勝手されても困りますし、俺も、かの有名な"ヴァンパイアキラー"には興味があります」


「っ、しかし」


 八釼の迷いを遮るように、彼が笑顔で起立した。


「そうこなくては。交渉成立だな。後は上手いこと説得しておいてくれ」


 差し出された右手。八釼の「本当にいいのか」と問う瞳に、俺は大きく頷いた。

 八釼はそれでも迷いを見せたが、腹をくくるかのようにきつく目を閉じてから、ゆっくりと手を差し出した。

 傷ひとつない、やや節ばった掌に、歴戦の痕を残す肉厚な掌が応える。


「……くれぐれも、良識ある行動をお願いします」

「なあに、そう釘をささんでも悪いようにはしないさ。巧人、キミは良いボスをもって幸せだな」

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