選ばれた子、選ばれなかった子14
『青州の黄巾残党が蜂起。
その報を耳にした
少し前に反乱を一つ鎮圧したばかりで疲労も残っているのだが、そんなことは全く気にならない。
ずっとこの時を待っていたのだ。
(十四年……綝と再会してから十四年だぞ。私はもう待たんからな)
そういう気持ちで曹操の前に出た。
その顔を見た曹操は無言でうなずき、夏侯淵にすべて任せる形で出陣を許可してくれた。
十四年前、青州黄巾党が降伏した時、夏侯淵は息子が自分の元に戻ってくることを疑っていなかった。
が、降伏兵のどこを探しても綝はいない。少年兵が多いわけではないからすぐ見つかると思ったのに、一向に見つからなかった。
「それは徐和様の息子の徐林殿でしょう」
降伏兵の一人がそう教えてくれた。
流星錘を使う少年兵ということで、間違いないだろうという話だった。
「徐和様は降伏反対派の筆頭でしたからな。部下も多く連れて行かれましたし、今頃は青州に戻ってどこかに潜んでいることでしょう」
(人の息子を勝手に連れて行くな!!)
夏侯淵のそんな苛立ちは、徐和の部下だったという別の降伏兵から話を聞いてさらに倍加した。
「これは青州黄巾党の中でも極秘になっていることですが、徐和様は徐林様を暗殺者として使っていらっしゃいました。幼い頃に拾われてからずっと、そのように育てられたのです」
(暗殺者……)
夏侯淵は戦で息子と相見えていたからその強さを知っている。
ただまさか、それが暗殺者として鍛えられた結果だとは思わなかった。
(徐和という男、許せん!!)
実はこの時に徐和の元部下は、
「ですが私生活での徐和様は徐林様を実の息子のように大切にされておられました。徐林様も徐和様によく懐いておられましたし」
とも言っていたのだが、そんなことは耳に入らない。元来、人間の耳とはそういうものだ。
(しかし賊の、しかも暗殺者か……)
こうなると、立場的に息子のことを公にすることがためらわれた。
賊軍でもせめて将兵ということなら納得もできるが、暗殺者はさすがに倫理上問題があり過ぎる。
特に子供たちに対して厳しく潔癖な妻はどう思うだろう。
生きていることを知らせてやりたい一方で、どんな反応をされるか不安だった。
(あれは激しいところがあるからな……恥に思って殺せなどと言いはしないだろうか……母に子を殺せとは言って欲しくない……)
そう思った夏侯淵は、主君である曹操にだけ相談した。
「ふむ……なるほどな。まずは情報を得て善後策を考えよう。降伏を拒否した黄巾残党には間者を忍び込ませている」
さすがに曹操はこの辺り抜け目ない。
降伏兵の幾人かに降伏拒否を装わせれば簡単に間者を作れるから、それで残党の動向を探ろうとしていた。
夏侯淵ももっともな話だと思った。
綝の意志はどうか、徐和との交渉は可能か、最悪身柄の拘束は可能か、まずはそんな情報を知りたい。
(理想は揉め事なく綝が帰ってきて、しかも公のために戦ってみせることだ)
それが叶えば全て丸く収まるように思う。
綝はまだ若いし、暗殺者という過去が広まっても今の本人さえ善と思われれば受け入れてくれる人も多いのではないか。
が、そんな夏侯淵の希望は叶うどころか、そもそも情報がほとんど入って来なかった。
一体どんな手を使ったのか、複数いた間者は一人残らず始末されたのだ。
しかも断片的に得られた情報からすると、綝自身がそれを実行したらしい。
宗教組織という特殊な集団とはいえ、夏侯淵にはその手法が想像もつかなかった。
曹操もまさかこうなるとは思わず、喉を唸らせていた。
「むぅ……とりあえずだが……残党を叩けるようになるまで待つか。今は潜んだ敵をあぶり出してまで叩く余裕がない」
夏侯淵もそれで仕方ないと思った。
時は乱世だ。群雄たちの階段を走り登らなければならない曹操に余裕などない。
が、まさか十四年待つことになるとは思わなかった。あまりに長過ぎる。
ただそれを急かす余裕が夏侯淵にもないほど、曹操の将兵は転戦に次ぐ転戦の歳月を送ってきた。
青州黄巾党を降した後、袁術を退け、
大きな出来事を書くだけでもこれだ。合間に反乱や賊の討伐、様々な調略も行っている。
戦に次ぐ戦、乱世とはいえ心休まる間もない。
夏侯淵にできることといったらその嵐の中で己の軍務に食らいつきつつ、徐和の組織が自然崩壊することを願うくらいだった。
(しかし結局は崩壊もせず、蜂起か)
それならそれでいい。少なくとも綝の居所は分かる。
後はなんとか生け捕りにしてゆっくり話をするだけだ。
(綝は私のことを憎んでいるようだったが、それでも実の父と子だ。きちんと話せば思いは通じるはずだ)
五歳までしか育てられなかったとはいえ、自分は息子のことを愛している。
それさえ伝われば、きっと親子に戻れると信じているのだ。
そんな決意の中で出陣の準備をしている夏侯淵のところへ、副官がやってきた。
「曹操様より伝令です。後詰めとして
于禁・臧覇は共に曹操軍きっての有能な将だ。しかも夏侯淵とはこれまでも共同作戦を実施しているので、連携の不安もない。
三軍で当たれば残党相手にまず負けはないだろう。曹操が気を遣ってくれたのかもしれない。
「ふむ……戦力的には十分過ぎるほどだな」
「そうですね。今回はどっしり構えて正面から攻めれば十分に思えます」
「いや」
という二文字だけを聞いて、副官の背筋には悪寒が走った。
それから何をしたわけでもないのに胃の腑から吐き気まで湧いてくる。
「最速で現場に着く」
予想された先の台詞を耳にした副官は、自身の顔色が悪くなってくるのを自覚した。
それから控えめに抗議する。
「あの……その必要があるでしょうか?」
副官の質問に、夏侯淵は質問を返した。
「今回の蜂起で最も重要なことは何だと思う?」
「え?えー……味方の損害を少なくすることでしょうか?」
「違う。奴らの蜂起を奴らだけで完結させることだ。野に潜んだ黄巾党を合流させず、我が軍の青州兵を動揺させないことを第一の目標とすべきだろう」
副官は言われてその通りだと思った。
特にこういう宗教絡みだと、他への波及が一番厄介になる。
「確かに……おっしゃる通りです」
「だから最速で大打撃を与え、一日でも早く鎮圧する。時間をかけるのが一番良くない」
その理屈に納得した副官は、かなりしんどい行軍になることを覚悟した。走る前からまた吐き気が強くなってしまう。
夏侯淵の兵たちはもともとそういう作戦を強いられることが多かったのだが、今回もそのつもりで望まねばならないようだ。
「了解いたしました。兵たちには限界まで走る覚悟をしておくよう伝えます」
「限界まで?はっはっは、何を言う」
夏侯淵は副官の言うことを笑い飛ばした。やけに明るく笑うのが逆に副官の恐怖を誘う。
「限界というものはな、超えるためにあるんだよ。兵たちには限界を超えて走るため、とりあえず食事は消化の良いものにしておくよう伝えておいてくれ」
副官は鬼上官の指示を聞きながら、この吐き気の中でも食べられるものは何だろうかと考えていた。
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