選ばれた子、選ばれなかった子10
(絶対におかしい……どういう事情があるんだろう?)
桃花は寝台で寝返りを打ちながら、今日聞いた縁談話について考えていた。
突然湧いた中郎将との結婚。しかも嫁入りまで十日と短すぎる。
聞いてもなぜか相手の素性を教えてくれない。
どう考えても何か事情があるはずだ。
(それに、中郎将との縁談が私に回ってくるのはおかしいよね)
実は、夏侯博には実子の娘がいるのだ。
権力者との良縁ならまずそちらへお鉢が回りそうなものなのに、なぜか養子の自分の所へ来ている。
(どういう事情が……)
そう思いながら寝台を抜け出した。
どうも眠れそうにないので、水でも飲んで気持ちをさっぱりさせようと思った。
部屋を出て、水瓶のある台所へ向かう。
その途中の廊下で話し声が聞こえてきた。
夏侯博の娘と住み込みの使用人の声だ。
二人は廊下の先、曲がり角の向こうで話をしているらしい。
そこには長椅子が置かれており、窓からいい具合に夜空が見えるようになっている。
おそらく月見でもしながら話をしているのだろう。
「そういえば聞いた?桃花が中郎将のところに嫁入りすることが決まったらしいわよ」
「ええ、聞き及んでおります」
「中郎将っていったら相当な高級官吏よね?なんで私を差し置いて桃花なのかしら?やっぱりあの子が美人だから?」
どうやら二人は今まさに桃花が悩んでいることについて話しているらしい。
桃花は足を止め、聞き耳を立てた。
「お嬢様、今回の件はお顔とは全く関係ありません」
「じゃあ何?お父様は桃花が可愛いのかしら?」
「いえ、むしろその逆です。嫁ぎ先の男がとんでもない荒くれ者らしく、ご主人様もお嬢様をやる気にはなれなかったのでしょう」
(とんでもない荒くれ者!?)
桃花はそれを聞き、思わず拳を握りしめた。
しかし先を聞くためにバレてはいけない。落ち着こうと、ゆっくり呼吸をした。
「ええ?でも先方は中郎将なんでしょ?とんでもない荒くれ者なんて言われるような人がなれるものかしら?」
「中郎将は武官ですからね。それに、その中郎将という役職もすでに解かれているはずです」
「そうなの?」
「おそらく。先方は今現在ここ沛の地を支配下に置いている勢力の幹部なのですが、この勢力は曹操様に反旗を翻しております」
「それは私も知ってるわよ。曹操様の命令を受けて出陣したはいいけど、仕事が終わっても帰らずに徐州とかこことかを奪って独立しちゃったのよね」
「おっしゃる通りです。そして曹操様は帝を擁し、朝廷を牛耳っておられますから、反対勢力の役職などすでに解いておいででしょう」
「そっか。『中郎将に嫁入り』って聞いたからすごい良縁に聞こえたけど、世間的に見たら逆賊なんだ」
「おっしゃる通りなのですが、この逆賊は戦にめっぽう強いらしいのです。それでご主人様も仕方なく手を結ぼうとされているわけですよ。嫁入りが急なのも戦が近そうだからです」
「あー……そういえばお父様、しばらく前から胃が痛い胃が痛いって繰り返してるわね」
「夏侯氏は基本的に曹操様と親しい一族なのですが、地元豪族としては現支配者をないがしろにはできません。曹操様は袁紹様との戦いで大変動きづらい状況ですし」
「すぐに助けてもらえないから、とりあえず政略結婚して味方の振りしとくってこと?」
「まさにその通りです。もし少し付け足すなら、万が一曹操様が負けることになっても姻戚の繋がりさえあれば夏侯氏の首も繋がりやすいというもの」
「なるほど……どっちに転んでも生き残れるようにするんだ」
「この乱世の処世術ですよ。ご主人様は時に臆病だとか神経質だとか言われていますが、むしろその性格を上手く使っておられると思います」
「そっか……あ、じゃあもしかしてお父様が桃花を養子として受け入れたのも?」
「ええ、『政略結婚の手駒を一つ増やすため』という側面は否定できないでしょう」
「うわぁ、お父様って意外とえげつないのね」
「もし桃花様が可哀想と思われるなら、代わって差し上げたらどうですか?」
「嫌よ、荒くれ者の逆賊に嫁入りなんて」
そこで二人は会心の笑みを漏らしたらしい。そんな雰囲気が桃花のところまで伝わってきた。
そしてそれが呼び水となり、桃花の胸には泥水のような濁った感情が湧き上がる。
ただし、二人に対して文句を言ったりすることはない。当たっても仕方のないことだ。
桃花は足音を立てずに踵を返すと、静かに自室に帰っていった。
そして寝具に顔を深く埋め、くぐもった声でつぶやく。
「嫌い……こんな家、大嫌い……」
つぶやきながら、張飛に会いたいと思った。
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