呂布の娘の嫁入り噺26

 呂布が家族を呼び寄せたのは、当初の予定である五年よりもやや早い四年と少しが経った頃だった。


 龐舒たちが暮らしている村に、その旨をしたためた文が届いたのだ。


 龐舒はそれに目を通すと、駆け足で自分の部屋へと入って行った。


 そしてバッタンバッタン大きな音をさせていたかと思うと、物がギュウギュウに詰められた行李こうりを抱えて帰ってきた。


 そして鼻息荒く、魏夫人と玲綺へと告げる。


「よし、じゃあ出発しましょうか」


 その一言に、二人は苦笑するしかなかった。


「……龐舒ちゃん、それはさすがの私でもあきれちゃうわよ?」


「あのねぇ……ちょっとそこらへお出かけってわけじゃないんだから。ここを完全に引き払って徐州じょしゅうまで行くのよ?片付けも挨拶もしないといけないのに、即日出られるわけないでしょ」


 呂布のもとに行くということは、そういうことになる。基本的に帰って来る予定はないのだから、準備にもそれなりの日数を要するだろう。


 しかも呂布がいる徐州は并州から直線距離にしても千キロ前後ある。それなりの旅を覚悟しなければならない。


「お父様も奪うならもう少し近く土地を奪ってくれればよかったのに。道を調べるだけでも大変だわ」


 別に本気で不満がっているわけではないが、玲綺は冗談半分にそんなことをぼやいた。


 その言葉通り、今の呂布は他人から奪うことによって一州の主になっていた。


 奪われたのは劉備だ。


 呂布の歩んだそこまでの道のりはなかなか冒険性に富んでいるので、少々長くなるが書き記しておきたい。


『人中の呂布、馬中の赤兎』


 と言われた黒山賊との戦いの後、陣借りをさせていた袁紹は呂布のことを疎むようになった。


 理由は色々言われている。


 呂布が増長したからとも、兵が略奪を行ったからとも言われるが、特に袁紹に対して自らの兵を増やすことを求めたというのが大きいだろう。


 これが自分に忠実な臣下ならば喜ばしかったろうが、要求してきたのは虎並みに警戒せざるを得ない豪傑だ。押さえられる程度の力である内には飼いがいもあるが、そこからさらに力を持とうとされても恐怖でしかない。


 強い力は欲しいが、制御できない力は要らないのだ。袁紹はそれを天秤にかけ、最終的には呂布の暗殺を決めて刺客を放った。


 が、そこはこの豪傑だ。帳の中から刺客の存在に気づき、上手く逃れて袁紹のもとを去った。


 それから呂布は同郷の群雄を頼ることにした。名を張楊チョウヨウといい、かつては丁原の麾下でもあった男だ。


 ただし、この張楊の所には長安で朝廷を牛耳る李傕リカク郭汜カクシから呂布の討伐命令が届いていた。


 この二人からの命令ということは、その擁する帝からの命令という形になっている。しかも賞金付きだ。


 呂布もそれは知っていたが、あえて堂々と振る舞った。あまつさえ、


『殺すよりも生け捕りにした方が多く褒賞をもらえるぞ』


などと、おどけてみせた。


 張楊は悩んだが、結局呂布を傷つけることはしなかった。


 この男は使用人が謀反を企てた時にも泣いてゆるしたというから、そのあたりの人格を読み切った呂布の勝ちということだろう。


 これを聞いて焦ったのは李傕、郭汜だ。


 どこかの群雄が呂布を始末してくれるのを期待していたが、それは諦めた方がいいと理解した。ならば、あの豪傑と敵対関係にあり続けるのは正直恐ろしい。


 討伐命令は取り下げ、形だけだが潁川えいせん太守という地位を与えて和解を計った。


 そうして公的な罪を解かれたことの影響もあるのか、呂布はその後、とある反乱の神輿みこしとして担がれることになる。


 曹操が治めている兗州えんしゅうにおける反乱だ。


 首謀者は曹操から一郡の守備を任せられていた腹心の陳宮チンキュウと、曹操の親友であったはずの張邈チョウバクという群雄だ。


 腹心、親友の二人が曹操への反乱を決め、その旗印になってくれるよう呂布へと依頼してきた。その強さに頼ったのだ。


 呂布はそれを受け、またたく間に曹操の重要拠点である濮陽ぼくようを攻め落とした。


 曹操はその時、東隣りの徐州へと遠征に出ていたから不在だった。その上兗州えんしゅうは曹操が治め始めてから日が浅いので、民心も懐いていない。


 呂布は兗州の大半を支配下に置くことに成功し、州牧(長官)として陳宮と張邈から推戴された。


 ちなみにこの陳宮、張邈、呂布による兗州強奪によって、相当数の民の命が救われることになった。


 というのも、曹操は遠征先の徐州において大虐殺を行っていたからだ。


 曹操の父と弟が徐州の兵によって殺されており、その報復だという。


 だとしても、これによって殺害された人数は数万から数十万人というからあまりに度を越している。曹操という、稀代の天才ゆえに生じる歪みが顕現してしまったのかもしれない。


 この凄惨な虐殺行為によって、腹心であった陳宮の心は曹操から完全に離れてしまった。


 陳宮が張邈と呂布を反乱に誘うに当たり、この虐殺について説いていないはずはない。両者とも、人として何も感じないということはなかっただろう。


 復讐に狂っていた曹操も本拠地を獲られては冷静にならざるを得ない。すぐに徐州から引き返し、呂布との戦になった。


 しかし、正面から当たれば呂布は強い。その騎兵隊によって曹操軍は打ち砕かれ、曹操自身が傷を負うほどに危うい劣勢となった。


 ただし曹操も百戦錬磨の英雄だ。そう簡単に仕留め切れはせず、対陣は長期に及ぶことになる。


 そして、どうやら天の采配は曹操に味方したらしい。


 突如としてイナゴが大発生し、収穫前の穀物が食い尽くされた。兵糧として勘定に入れていた収穫が壊滅したのだから、戦など継続できるわけがない。


 双方兵を引き、曹操はいったん息をつくことができた。決着は翌年に持ち越しとなる。


 この蝗害こうがいによる休戦期間中、曹操という天才が脳まで休めていたはずはない。呂布という虎を倒すための策を考えに考えていただろう。


 そして再開された戦では、今度は曹操が大勝した。伏兵を用い、策によって呂布軍を敗走させた。


 曹操は疑いようもない天才だ。正面切っての力比べなら呂布に分があったわけだが、頭を使えば曹操が強い。特にこの時のように考える時間があれば、なおさら有利になるだろう。


 民にとっては悪魔のような蝗は、曹操という奸雄にとっては天からの恵みとなったのだった。大量虐殺者を肯定する天があるのなら、という話ではあるが。


 敗れた呂布は陳宮と配下の兵を率い、徐州へと逃れた。


 そしてその時に徐州を治めていたのが劉備だ。少し前に亡くなった前任者から頼まれて州牧を引き受けていた。


 劉備の呂布に対する態度は、これまでの他の群雄とさして変わらない。別に厚遇するというわけではないが追い払いもせず、一地方に駐屯させた。


 正直なところ、厄介なやつが来たと思っただろう。呂布の経歴は、ほとんどの人間にとってそういうものだ。


 しかし呂布たちの起こした反乱によって徐州の虐殺は止められたのだから、その現支配者としては無下にもしづらい。


 が、この措置を劉備はすぐに後悔することになる。


 呂布は劉備の遠征中に、その留守をついて本拠地である下邳かひを攻め落としてしまったのだ。


 と言っても、自らの意思で動き始めてそうしたわけではない。劉備の配下に請われて攻め入ったのだった。


 この間の細かい経緯としては史書に複数の説が載せられているのだが、要は劉備の留守を任せられていた張飛と、徐州の旧臣との間に争いがあったということだ。


 劉備自身も徐州を治め始めたばかりであり、旧臣の心をまだ掴み切れていなかったのだろう。それで旧臣たちが城門を開いて呂布を招き入れ、張飛を追い出して下邳を乗っ取った。


 裏切りの代名詞として用いられることもある呂布だが、考えてもみれば必ず誰かに請われてそれを行っている。


 董卓に請われて丁原を殺し、王允に請われて董卓を殺し、陳宮と張邈に請われて曹操の支配地を奪い、徐州の旧臣に請われて劉備の支配地を奪った。


 結局のところ、呂布が強すぎることがその原因なのかもしれない。


 暗殺にせよ反乱にせよ武力がモノを言う行為であり、勝たなければ意味がない。ならばその武力として強い者が求められるのは仕方のないことだ。


 なんにせよ、劉備はひさしを貸して母屋を取られる形となった。


 そして呂布は今度こそ州一つの主となることができた。徐州牧を名乗り、その実効支配に成功している。


 ちなみにこの後の劉備の反応が少し面白い。


 曹操の時は一目散に帰って来て呂布との戦を開始したわけだが、劉備はまずそのまま遠征の戦を続けた。


 後背を突かれることを恐れたのか、勝って新たな拠点を得ようとしたのかはよく分からない。


 が、どちらにせよ劉備は勝てなかった。


 この時の戦の相手は袁術だ。南から攻めて来たところを迎え撃っていたのだが、劉備はそれを防げなかった。


 本拠地を奪われ、戦にも負け、もはや八方塞がりだ。


 しかし、ここで劉備の器の大きさが道を切り開く。なんと母屋を乗っ取った憎き呂布のもとへと降ったのだ。


 自身や家臣の妻子が呂布に囚われていたということもあるだろうが、それにしても肝が太い。呂布には劉備とその腹心だけを殺して支配力を強めるという選択肢もあっただろう。


 しかし、呂布は劉備を受け入れた。


 理由は単一ではないだろうが、実はここで劉備を降した袁術が絡んでくる。


 呂布は徐州の旧臣に請われて劉備の本拠地を奪ったわけだが、この時同時に袁術からも劉備の留守を狙って攻め入るよう打診されていたのだ。袁術らしい搦手だと感じられる。


 しかもそうすれば兵糧を送るという条件も付いていたのだが、これがなかなかにありがたい。蝗害に加え、曹操による虐殺もあった徐州では食糧事情がかつてないほど苦しかった。


 はっきり言って、民にとっては州牧が劉備だろうが呂布だろうが、どうでもいい事だったろう。とにかく食うに困らなくしてくれる人間が一番嬉しい。


 呂布は、


『袁術が食糧を送ってくれることになっている』


という話くらい、徐州の旧臣たちにもしていたはずだ。


 が、袁術は約束を反故にした。食糧を送って来ない。


 実は袁術の側にも食糧の余裕など無かったのだ。


 当然のことながら、呂布もその周囲も怒った。それで袁術の敵である劉備を殺さず、むしろ袁術への備えとなる地に駐屯させることにしたのだった。


 ここまでの事は、呂布が長安を脱出してからわずか四年ほどの間に起こったことだ。人一人の身に起こる事としてはあまりに濃密すぎて、想像するだけでもめまいを起こしそうになる。


 しかしこの時期は呂布という群雄の在り方が特によく感じられ、しかも乱世という世相がよく反映されていて大変興味深い。


 ざっと概要だけ書くつもりだったのに、思った以上に長くなってしまった。要は、呂布が徐州という州一つを領有する身になったという話だ。


「呂布様、長安を出た時にはわずか数百騎の放浪軍だったのに今は徐州牧ですよ?すごいですよね!」


 龐舒は即日の出発を諦め、家の片付けをしながら魏夫人へとそう誇った。


 確かに個人の武勇を元手にここまでのし上がれる人間はそういないだろう。しかも今回は誰か上の人間に引き上げられたわけではなく、自らの手でよじ登った地位だ。


 魏夫人もそれはすごいと思うが、そもそも夫の出世をさして望んではいないので龐舒ほどの興奮はない。


 しかし喜んではいた。


「あの人があの人らしくいられたなら、私は幸せよ」


 妻として、家族のために無理をさせていたのだと思うと申し訳なかった。


 加えて曹操の大虐殺の話も聞いていたから、それを呂布たちが止められたという事実は嬉しかった。


「それに、徐州の人たちはたくさんが死なずに済んだんでしょう?それだけでもあの人がこの世に生まれた意味になったことだと思うわ」


「あぁ……呂布様はそのために人の世に落とされたのかもしれませんね」


「え?落とされた?」


「だって、呂布様は鬼神か龍神かの生まれ変わりですよ。僕はずっとそう信じてるんです」


 魏夫人はキョトンとしてから、下を向いて肩を震わせた。喉の奥からクックと小さな笑い声が漏れる。


「……龐舒ちゃんにとってのあの人がよく分かったわ。そんなふうに思ってたのね」


 龐舒は笑われても気にしない。むしろ笑われるべき話だと思っている。


「こういう与太話を真面目に言えるくらい呂布様はすごいんです。結局五年待たずに呼んでもらえるような地位に登られたわけですし」


 魏夫人は龐舒の言うことに、片付けの手を止めた。


「……実は私、そのことが少し気になってたの」


「え?どのことがですか?」


「あの人、予定よりも早く私たちを呼び寄せたわけじゃない?でもこういうご時世だし、普通なら少しでも状況を落ち着かせてから呼ぼうと思うものじゃないかしら。五年が延びるならともかく、早まったっていうことが気になってて……」


 魏夫人は頬に手を当てて不安げな声を漏らしたが、龐舒の気分を盛り下げるほどの話ではなかった。


 相変わらずの明るい声で魏夫人の心配を否定した。


「きっと、呂布様も早く奥様に会いたいんですよ」


「やだもぅ、大人をからかうもんじゃないわ」


「僕だってもう大人ですよ。……ここ片付いたから、自警団の引き継ぎに行ってきますね」


 龐舒は軽い足取りで玄関を出ていった。そして駆け足で村の集会所へと向かう。


(そう、僕はもう大人だ。一人前の強い男だって認めてもらえるように、あれからまた死ぬほど鍛えたし。だから呂布様と会ったら、玲綺とのことを……)


 龐舒の舞い上がり方には、そういう理由もあった。


 呂布からは以前、


『もし玲綺を嫁にしたければ、まず俺を倒してみろ』


と言われている。


 それはどう考えても無理だが、それでも強い男だと認めてもらえる程度には強くなったつもりだった。玲綺も龐舒が強くなれるよう、鍛錬に協力してくれた。


 龐舒は駆けつつ、目の前の空間に呂布の幻影を思い浮かべた。


 その幻影は戟を振るい、龐舒の脳天を割ろうとしてくる。それを横っ飛びにかわしてから、側面へと突きを繰り出した。


 が、幻影であっても師は甘くない。龐舒の一撃を弾きつつ、間合いを詰めて腹を蹴り上げてきた。


 本当に蹴られたわけでもないのに、龐舒の体は後ろに激しく飛んだ。それと同時に、ありもしない苦痛が腹から湧き起こってくる。


「いたたた……」


 龐舒は半ば本気でそれを痛いと感じていた。しかし、辛くはない。


 師と再会すれば、この幻痛は本物になるはずだ。


 そう思えばむしろ、本物の痛みをすら龐舒は望んでしまうのだった。

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