呂布の娘の嫁入り噺9
明けて翌朝、龐舒は日課の素振りをいつもより多く行った。今朝は朝食の準備をしなくてよかったからだ。
(朝からこんな豪勢な食事……)
目の前に並んだ朝食の品数を数え、ちょっとした罪悪感すら覚える。
屋敷付きの使用人たちが作ってくれたのだが、どうやら主の丁原と同じものを用意するよう言われているらしい。
部屋には家族四人分の膳が並べられ、龐舒と魏夫人だけが席についていた。呂布と玲綺はまだ起きておらず、部屋には他に給仕の使用人たちがいる。
向かいに座る魏夫人も、龐舒と同じような顔つきで膳を眺めていた。
「あの……私たちの朝食は雑炊くらいでいいので……」
給仕の使用人へ遠慮がちにそう伝えた。というか、そもそも給仕など不要だ。
しかし使用人たちもこれで飯を食っているわけで、そう言われても困ってしまうだろう。
「こうするよう命じられておりますので……」
と、曖昧な笑顔で答えるのみだった。
魏夫人と龐舒は困った顔を見合わせた。
「食べきれないほどあるけど、もったいないとか思っちゃうのは貧乏性なのかしら?」
「僕ももったいないって思います。つい無理して食べちゃいますね」
「龐舒ちゃん、私が太っちゃっても馬鹿にしないでね」
「奥様は太っても可愛らしい感じだから大丈夫ですよ」
「またすぐそうやって……」
「そうやってすぐお母様を甘かやさない」
と、そこへ玲綺が起きてきてピシャリと言い放った。
「お母様。太るのが悪いとは言わないけど、無理して食べても食品の無駄遣いの解決には一切繋がらないわよ?むしろ残した方が『あ、多かったんだな』って分かる分だけ有用なんだから」
龐舒も玲綺の言うことに納得した。
「なるほど、確かにそうだね。無理して食べるのは体に悪いだけじゃなく、食品の無駄遣いも助長してしまうってことか」
魏夫人も二人の言うことは分かるのだが、感情として単純に割り切るのも難しい。
「それでも私はもったいないって思っちゃうけど……それより玲ちゃん、今日は起きるのが遅かったわね」
玲綺は普段、朝食前に日課の素振りを行う。
洛陽への旅のため昨日までは休んでいたのだが、今朝からは龐舒と同じようにまた再開になるものと思っていた。
しかし玲綺が起きてきたのは龐舒どころか、魏夫人も食卓についてからだ。
「昨日の夜、なかなか寝付けなくて」
「あぁ、私もその気持ちは分かるわ。こんな豪邸だと逆に落ち着かないわよね」
「ううん、
ふぅ、という玲綺のため息が、龐舒の胸を締め付けた。
別に喉も肺も異常はないと思うのだが、なぜか息苦しいような気がする。
魏夫人が、龐舒のそんな症状を和らげるような事を口にしてくれた。
「でも玲ちゃん……現実問題として、虎賁中郎将のご子息とはちょっと難しいんじゃないかしら?袁燿様は袁術様のお世継ぎというお話だし」
「そうなの……これは身分違いの恋なの……はぁ……」
と、玲綺はまた悩ましげなため息をついた。
不思議なことに、色恋沙汰は障害があればあるほど気分を盛り上げることが多い。生物としての生殖競争において、他に勝ろうとするための闘争本能が働いているのかもしれない。
今回の場合は身分違いの恋、というのが逆に玲綺の心を燃え上がらせているのだった。
三人がそんなことを話しているところへ、呂布も起き出してきた。
「身分違いの恋?何の話をしている」
「おはよう、お父様。昨日話してた袁燿様のことよ。私、あの方に一目惚れしちゃったの」
普通なら年頃の娘が父親へ話せるようなことではないが、玲綺はあっさりとそう言った。
これが玲綺という娘の性格だったし、呂布という父は忌避する気にもならないほど大きい。
ごく自然に己の恋心を明かした娘は、再びこれみよがしなため息をついた。
「……袁燿というのは、袁術の息子だったな」
その呂布の確認には、龐舒が答えた。
「そうです、虎賁中郎将の」
その役職名を言えば、呂布も無理だと言ってくれると思ったのだ。
しかし、呂布の反応は龐舒の期待したものではなかった。
「中郎将くらいなら何とかなるかもしれんな……」
「「ぇえっ!?」」
つぶやくような呂布の言葉に、龐舒と玲綺の驚きが重なった。ただし両者の声の調子はまるで違う。
「おっ、お父様!それどういうこと!?」
「いや……なんでもない。それより寝過ごした。今日は軍の演習だから、早く食べて早く出るぞ」
そう言って、すぐに膳のものに手を付け始める。
玲綺はもっと問いただしたそうだったが、父の食べる様子を見ると確かに急いでいるようだ。出勤の邪魔をしてまで聞くべきではないと思い、それは帰ってからにすることにした。
龐舒もそんな呂布を見ていたが、その横顔からは玲綺が感じたものとはまた別のものを感じていた。
(呂布様……なんだか様子がおかしいぞ。よく見ると目の下にクマもあるし、昨日はあれからほとんど眠られてないんじゃないか?)
玲綺と袁燿に関するモヤモヤはいったん仕舞っておいて、師のことを心配した。
昨晩も何か悩んでいたようだし、今朝の表情もどこか暗いように感じられる。
呂布は普段から表情の動きが小さく、感情の変化が分かりづらい男だ。しかし、龐舒には不思議と感じられるものがある。
「呂布様……あの……」
「なんだ?」
「今日の演習、僕もお供させていただけないでしょうか?」
龐舒は遠慮がちな口調でそれを頼んでみた。
昨晩は言われた通り部屋を出たが、やはりそばにいたい。それが師にとって役に立つことかどうかは分からなかったが、龐舒は呂布を放っておけないと思った。
呂布は食事の手を止め、龐舒の方を向いた。
その目は昨晩のものとはまた少し違っているようではある。昨晩までは迷うような目だったが、今朝は迷い自体は晴れているように見えた。
「……いいだろう、よく見ておけ」
「はいっ」
師の言葉に、いつも通りの元気で歯切れの良い返事をした。
龐舒は厳しく鍛えられているものの、軍の経験は全く無い。演習でそれを見られる事も嬉しかった。
ただし、師がよく見ておけと言ったのは軍の動きなどではない。
龐舒がそれに気づく時、この国の乱世はさらに一歩近づくのだった。
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