小覇王の暗殺者14
雲嵐たちが孫策の暗殺を諦めてから、三年の月日が流れた。
雲嵐と許安は十七に、魅音は十四になっている。
暗殺を計画していた時に逗留していた村は去り、北上して長江にほど近い村へと移り住んでいた。
元の村にそのまま住み続けることも考えたが、孫策の部下が独断で殺しに来ないとも限らない。念のための転居だった。
相変わらず腕のある三人は生活には困らない。狩りで十分過ぎるほどの収入を得られたし、許安も家具や細工物を作って生活の糧にした。
特に許安のものづくりは好評で、離れた街からわざわざ買いに来る商人がいるほどだった。
心根が優しく能力もある若者たちを村人は好きになった。しかも狩りの獲物や作った雑貨などをよく分けてくれる。
自然、三人に対する村人の扱いは良くなり、三人にとっても居心地のいい村となった。
時は乱世だが、この三年間の三人は比較的落ち着いた穏やかな時を過ごせている。
「雲嵐、ちょっと待って。
雲嵐が家の玄関を出ようとしている時、許貢がそう声を掛けてきた。
振り向くと、その手に一本の棒が握られている。
「いいけど、何だそれ?」
「杖だよ。陳爺さん、最近足元が危なっかしいだろう?丁度いい長さの杖を作ってみたんだ」
杖はまっさらな棒ではなく、頭の部分が丁の字になっていた。
「そのてっぺんを持つのか?」
「うん。この方がただの棒を握るよりも体重を乗せやすいと思ってさ。握力だって落ちてるからね」
確かに棒をまっすぐ握るだけでは、いざという時の体重の支えは握力任せになる。しかし持ち手が丁の字になっていれば、そこに上から乗る形で体重がかけられる。
雲嵐はその力学的な理屈を理解したものの、杖は受け取らずに自分の持った笹の葉の包みを差し出した。
「そりゃ分かったけど、そういう説明のいることならお前の方が行ってくれよ。俺の用事はこの猪肉を届けるだけだからさ」
雲嵐の用事は最近体が弱り気味になってきた陳爺さんに、精の付くものを差し入れようということだった。
現代においても蛋白質の摂取不足は老人の筋肉量低下、引いてはサルコペニアやフレイルといった運動上の諸問題につながるとして問題視されている。
「いや、僕は急ぎの仕事があって……」
雲嵐は部屋の中を指さした。そこには納期の迫ってきた卓や細工物が散らばっている。
そこへ、部屋の奥から魅音が顔を出した。
「あ、それじゃ私が行ってくるよ。ちょうど毛皮の外套ができたから持って行こうと思ってたの」
魅音は魅音で最近風邪をよく引く陳爺さんを気にして、暖かい衣服を作っていたのだった。
要は、この三人は村の老人の健康を気遣って、それぞれに差し入れをしようとしているのだ。
「お前ら、本当にいい奴らだな」
と、玄関の外から三人とは別の声が上がった。
見ると、この村の村長が立っている。
「お前らが初めて来た時には『戦災孤児なんて泥棒と同じだ』って言って住むのに反対してた住民もいたんだがな。今のこの村にはお前らのことを悪く言う人間なんて一人もいないよ」
雲嵐は村長に頭を下げて挨拶した。
「こんにちは、村長さん。俺たちも受け入れてもらった恩は返したいと思ってるんで」
そう言われた村長は、半ば苦笑いのような顔をした。
「恩を返すって、どう考えてもすでに過剰に返されてんだけどな……」
申し訳なさそうに頭を掻く。
「……それなのに悪いんだが、また頼りにしたい事があるんだよ」
「何でしょう?許安はちょっと仕事が立て込んでますけど、俺と魅音はすぐにでも動けますよ」
即答する雲嵐に、村長は今度こそはっきりと苦笑した。
この俊敏で役に立ちすぎる青年を、婿に貰いたいとすら思った。
「いや、今回は動いてもらうには及ばない。教えてもらえるだけでいいんだ」
「俺たちが知ってることですか?」
「ああ、狩りに関してだ。昨日から長江のほとりにお偉いさんが来てるんだが、その人が狩りをするのに良い場所を探してる。お前たちなら詳しいだろう?」
「ええ、仕事ですからね。それじゃあ、この辺りの良い狩場を地図にして布に書きましょう」
雲嵐は早速踵を返し、布と墨と筆を取ってこようとした。
その雲嵐の背中に村長が礼を言う。
「すまんな。かの小覇王もお喜びになるだろうよ」
その二つ名を聞いた雲嵐の足が、ピタリと止まった。
同じように、許安と魅音の表情も固まっている。
しかし雲嵐はすぐに動き出し、棚から筆を取りながら、背を向けたままで尋ねた。
「へぇ、孫策様がいらっしゃってるんですか」
「そうなんだよ。なんでも北への遠征途中という話なんだが、長江でいったん止まって補給待ちをしておられるらしい。その待ち時間の退屈しのぎに、狩りをされるんだそうだ」
「小覇王の狩りって、なんだか
「はっはっは、確かにな。しかし意外にも孫策様は供回りを数人連れただけの小規模な狩りをされるそうだ。普通お偉いさんの狩りは、家臣たちが大人数で追い込んだ獲物を仕留めるってのが多いんだが」
「よっぽど狩りの腕前に自信がおありなんでしょう。あやかりたいあやかりたい」
「何言ってんだ。お前ら三人、異常な弓の腕前してるくせに」
そんな話をしながら、雲嵐はさらさらと布に地図を書いていった。所々に印と、説明を書き加えていく。
「はい、できました。少人数ということでしたから、少し入り組んだ林なんかも書いてます」
「おお、これは分かりやすいな。それにしてもお前たち……読み書きもできるんだよなぁ」
この時代の識字率は高くはない。村長が感心するのも無理はなかった。
「山賊に誘拐されていた時、字を知ってると高く売れるからって覚えさせられたんですよ」
そういう事にしていた。ちょっと本当のことも混じっているので、過去について聞かれた時にも現実味を持って答えられる。
「それにしても大したもんだ。ま、ありがとな。助かったよ」
村長は片手を上げて帰って行った。
三人だけになった家では少しの時間、静寂が流れた。全員何も言わないし、動こうともしない。
久しぶりに仇の名を聞いて、それぞれに思うところがあった。しかもその仇は自分たちからそう遠くないところにいる。
一番最初に声を出したのは許安だった。
「……さて、さっさと卓を仕上げるか。遠くからわざわざ買いに来てくれるのに、まだ出来てませんじゃ申し訳ないもんな」
そう言って、卓の脚をはめようとする。雲嵐はその天板を支えた。
「手伝うよ」
「ありがとう」
二人はそうしながら、同じことを考えていた。
(そうだ、これでいい……自分たちは、自分たちの日常を続けていくだけだ)
雲嵐も許安も、今の生活で十分幸せだった。
家族がおり、住む家があり、食べるにも困ってはいない。あとはこんな穏やかな日常が出来るだけ長く続いてくれれば、それで満足だ。
魅音はそんな二人の横を無言で通り過ぎて行く。手に外套と杖と猪肉を持って、陳爺さんの家へ向かおうとした。
玄関を出る妹の背中に向かって、雲嵐は声を投げた。
「魅音、つまんないことを考えるなよ」
「ん」
魅音は前を向いたまま、短くそれだけを答えて走って行った。
雲嵐は妹を目だけで見送ると、すぐに卓の天板を握り直した。自分たちの日常に集中しようと思った。
しかし雲嵐には一つ失念していたことがある。
あの妹は、兄の言うことを聞くような妹ではないのだ。
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