短編 劉禅2

劉禅リュウゼン様、太子としての抱負などはございますか?」


 劉禅の執務室において、許靖は劉禅にそう尋ねた。


 劉禅は数えで十三になっている。そして今出た言葉の通り、太子になっていた。


 つい先日、劉備は曹操の支配地になっていた漢中かんちゅうを攻め落とし、自らを漢中王と称した。それ以前に曹操が王となっていたことに対抗して、自分も王となったのだ。


 もちろんそれは、将来的に帝となるための布石でもある。


 そして劉禅は王の後継者であるから、太子となった。太子として指名することで、内外へ正式に後継者を宣言したのだ。


 つまり、劉禅は将来的な帝としての地位を固めたことになる。


 そんな劉禅は、地位に似つかわしくない軽い返答を返した。


「抱負なんて、特にありませんよ。許靖殿こそ太傅たいふになられて、何か抱負を持たれましたか?」


 許靖はそれまで鎮軍将軍という役職にあったが、これも劉備が漢中王になるのにあわせて王の補佐である太傅という役職に変わっている。


 許靖も劉禅に負けず劣らず、軽い口調で答えた。


「別にありませんね。そもそも太傅などという役職は実務上、空席でもいいくらいなものです。出世といえば出世ですが、劉禅様と同じで別に何も変わりませんよ」


 劉禅は肩肘張らないこの老人の姿勢に笑みをこぼした。


 もし『国のため、太子として』などという大きな話で説教されても、自分は曖昧にうなずいて聞くだけだ。


 そんな自分を分かってくれるこの老人が、劉禅は好きだった。


「あぁ、しかし……」


 許靖は思い出したように言葉を足した。


「劉備様からは、劉禅様と国の話をしてこいと言われましたよ。そういえば、それでここに来ていたのでした」


「そうですか。私はてっきり、良い茶葉を差し入れに来てくれただけかと思いました」


 劉禅は冗談を口にしてから茶に口をつけた。


 奥方が茶道楽だという許靖の持ってくる茶はいつも美味かったし、今日もそうだ。


 許靖もその香りを楽しみながら笑った。


「私としてはそれでいいのですが、主命は果たさねば」


「ええ、そうしてください。ですが、私は相変わらずですよ。どうも世をどうするというような大きな話はピンとこない。それよりもこうやって飲む茶が美味かったり、陳祗チンシ殿と手慰み程度に音楽を楽しんだり、碁を打ったりするだけで人生に満足してしまいます」


 許靖はあらためて劉禅の瞳を見た。


 そこにはやはり、道端に咲く名も無き小さな花があるだけだ。ある意味でぶれない男ではあった。


「劉禅様はそれで良いのですよ。そういった方だからこそ、劉備様の思い描く国の初期における帝として相応しいのです」


 許靖は『帝』という単語を自然に使った。劉備はつい先日王になったばかりなのだが、もう帝と言っている。


 少し気が早い気もするが、劉禅もそのことは聞いていた。


 曹家が漢帝国の現皇帝を廃して自ら新たな帝となる時、ここ益州では劉備が漢帝国の後継として帝に推戴される。


 だから劉禅はその二代目の帝ということになるはずだった。そして、劉禅は劉備の思い描く国についても聞いていた。


「帝は実権を持たず、象徴として存在し、民に寄り添うことを業とする……父上が思い描いている国はそういうものですね。それはよく聞いていますし、私自身よく考えてみるのですが……」


「悩むところがありますか?」


「悩むというか、いくら考えても明確な答えが出てこないのです。民に寄り添うとは、どういうことでしょうか?一体、私は何をすればよいのですか?」


 劉禅が日々思い悩んでいることがそれだった。


 実際、答えはないことだろう。寄り添うという述語には、具体的に何をするという内容は含まれていない。


 ただ、それでも許靖は明快な口調で回答した。


「民に寄り添うということ。それは……」


「それは?」


「劉禅様自身が決められれば良いのです」


「………………」


 劉禅は目の前の男を急にうろんげな瞳で眺めた。えらく適当なことを言ってくるものだと思った。


 しかし、許靖の目は真剣だった。


「劉禅様が呆れられるのはもっともですが、考えてもみてください。劉禅様は生まれながらにして実権を持たぬ帝という宿命を背負わされました。そのくらい、自分で決める権利を持たれてもいいのではないでしょうか?」


「まぁ……言われてみれば……そうかもしれませんが」


「別に好き勝手にしろと言っているわけではありませんよ。それこそ国の大事、民の大事には違いありません。ですから、よく見て、よく聞いて、よく感じて、よく考えてから決めねばなりません」


 劉禅は凡庸だが、決して馬鹿ではない。だから許靖の言いたいことは理解できた。


「……分かりました。これからも考え続けてみます。ただ、私はこのことについて許靖殿に尋ねてみたいと思っていたことがあるのです」


「なんでしょう?」


「私はこの益州の前の主であった劉璋リュウショウ様こそが、民に寄り添っていらした為政者だと思うのです。様々な話を聞き、そう思いました。許靖殿はどう思われますか?」


 許靖は即答できなかった。


 劉璋は間違いなく民思いの為政者であった。ただ、あまりに民を思うあまり、三万の兵と一年分の食糧があるにも関わらず早々に降伏を決めている。


 劉備の思い描く国は千年、二千年と続いていく国だ。それを考えた時に、帝の取る行動としてどうなのか。


 劉禅は意地悪な質問かもしれないと思いながらも、その矛盾について許靖に聞いてみたかった。


 許靖はすぐに口を開けなかった。やはり、簡単なことではない。


 茶をすすり、二度、三度、呼吸をして、それから視線を何処か遠くに飛ばしながら、己の思うところを口にした。


「私の知る限り、劉璋様ほど民に寄り添っていた為政者はありません」


 劉禅はその回答に、大きくうなずいた。


 もちろん、これが正解だと言い切れるわけではない事もよく分かっている。許靖はよく見て、よく聞いて、よく感じて、よく考えるよう言っていた。


 だから自分は許靖の言葉も一つの考えとして捉え、それから自分自身で考えなければならない。


「重いですね、父上の思い描く国の帝という仕事は……」


「心中、お察しします」


 許靖は本気でこの太子に同情した。ただ、この国の初期における帝として劉禅以上の最適解がないのも事実だった。


「……許靖殿。我らの国は、この乱世を生き抜けるでしょうか?」


 劉禅はふと、そのことを聞いた。聞かれても確たる答えのない、未来の話だ。


 許靖もいい加減な希望的観測は言わなかった。


「さて、どうなりますことやら」


「順当にいけば、魏に負けますね」


「国力を順当さの基準にするならば、そういうことになります」


「まぁ、そうなったらそうなった時のことですが。私は父上の国と命を共にするだけです」


 劉禅は笑いながら手刀で自分の首を刎ねる真似をした。


 その腕が突然、許靖に掴まれた。


 ちょっとびっくりするほどに強い力だった。


「なりません。国と命を共にすることなど、絶対にしてはなりません」


「許靖殿……」


「生きるのです。どれだけの屈辱にまみれようとも、生きなければなりません」


 劉禅はこの穏やかな老人の初めて見せる表情に気圧された。気圧されながらも、許靖の言うことの理由に検討をつけた。


「……私の血が残っていれば、国が息を吹き返す可能性もありますからね」


 しかし、許靖はその考えに首を横に振った。


「そんな事はどうでもいい。いえ、それが劉禅様の生きる理由になるのなら、それも大切にされれば良いでしょう。ですがそんな事とは関係なく、あなたは生きなければなりません」


「それは……なぜ?」


「なぜ?なぜもくそもありません。あなたが生まれたからです。人は、生まれたからには生きなければならないのです」


「生まれたから……」


「そうです。もしそれで不十分なら、生きるべき理由をよく考えて、挙げてみてください。本当にきちんと考えられれば、いくらでも挙がるはずです。


あなたが死ねば悲しむ人がいる。

あなたが死ねば困る人がいる。

あなたが死ねば迷惑する人がいる。

生きていればこんなことができる。

生きていればこんなものが見られる。

生きていればこんなものが聞ける。

生きていればこんなものが食べられる……


生きるべき理由がお父上の思い描いた夢だというのなら、それも良いでしょう。しかしそんなものが無くとも、あなたは生きなければなりません。だから絶対に生きると、今この場でそうお誓いください」


 突然の詰め寄るような言葉に、劉禅は辟易とした。


 そしてそれと同時に、この乱世を生き抜いてきた許靖の人生の凄まじさを垣間見たように感じた。


 だから劉禅は、素直にうなずくことにした。


「……分かりました。絶対に生きると誓います。たとえどんな屈辱に塗れようとも、絶対に生き抜いてみせます」


 劉禅の誓いに安心した許靖は、ようやく握っていた腕を離した。


 その時になって初めてかなり強く握っていたことに気づき、主筋の太子に謝罪した。



****************



 その後、劉禅は父の崩御に伴い、齢十七にして皇帝に即位した。


 在位期間は西暦にして二二三年からニ六三年のおよそ四十年間であるから、かなり長い方だと言って間違いはない。


 その四十年間、劉禅は自ら国を主導せず、諸葛亮を初めとした力のある他の者たちに国政を担わせた。


 だから史書において、劉禅が能動的に取ったと思われる政治活動の記録は非常に少ない。


 ただその中に、劉禅の意思が強く感じられる行動が大きく二つある。


 一つは『政治は諸葛亮に任せ、自分は祭祀を行う』という宣言を公に出したこと。


 そしてもう一つは、魏軍が首都に迫る中、猛反対する廷臣もいる中で、最後の抗戦をせずに降伏する決定を下したこと。


 この二つは歴史的に見てかなり重大な出来事であるように思えるが、それに加えて劉禅の人柄が滲み出ているようで興味深い。


 なんにせよ、劉禅の降伏によって蜀漢という国の滅亡は決定した。



****************



(私は今日、死ぬかもしれないな)


 劉禅は大げさでなく、そう感じていた。


 魏への降伏後、劉禅は益州から遠く離れたゆう州の安楽あんらく県という地に移されていた。


 安楽県は劉備の先祖たちが住んでいた土地だった。劉禅はそういう先祖代々の地で、自由はないが悪くはない生活を送れている。


 元々が小さな幸せを愛でつつ生きたいという劉禅であるから、その生活自体には何ら不満はなかった。


 が、それも今日までのことかもしれないと思うのだ。


司馬昭シバショウ、か……)


 劉禅はその名を心の中で繰り返した。


 ただの名なのに、不思議と暗いものを感じる。


(宴を催すということだが、ただの宴ではあるまい。魏の臣の中でも特に陰謀の多い男だということだからな)


 あらかじめ、宴を催すから家臣を連れて来るようにとの連絡を受けていた。


 しかし、ただ宴をする意味がない。


 今さら司馬昭が劉禅と交流を深めても得はないし、様子を知りたいなら使用人として忍ばせている間者に聞けばいい。当然、監視くらいはしているはずだ。


(と言うことは、私を殺しにかかっている)


 そう考えるのが妥当だろう。


 魏は降伏した蜀漢の勢力を大人しくさせるために、旧主である自分を優遇している。しかしそれが落ち着けば、殺してしまった方が面倒が少なくていい。


 その分だけ無駄な支出が減るし、反乱の旗印として使われる危険も無くなる。


(どんな言いがかりをつけて処刑しようとしているのか……)


 劉禅は心の芯を緊張させながらも、出来るだけにこやかな表情で宴の場に入った。


 広い部屋に豪勢な酒食が用意されており、奥には多くの楽器とその奏者が並んでいる。


 司馬昭とその家臣たちは劉禅よりも先に席についていた。


「ようこそおいでくださいましたな、安楽公」


 安楽公、というのが今の劉禅の称号だ。司馬昭はそれを呼びつつ、親しげに劉禅の手を握った。


 劉禅もその手を優しく握り返し、こちらも親しげな笑顔を見せた。


「本日はお招きくださいまして、ありがとうございます。しかも私のような魏にご迷惑をかけた者に対し、これほどの素晴らしい宴をご用意いただけるとは。その懐の深さに感服しております」


「いやなに。そのような過ぎたことは忘れ、本日は楽しみましょうぞ」


 劉禅は司馬昭に誘われるままに席につき、そして促されるままに杯を重ねた。


 家臣たちは豪勢な酒食を楽しんでいたが、劉禅はこのような値の張る食事よりもただの家庭料理の方が好きだった。しかし、できるだけ美味そうに食べ、酒にも酔って見せた。


 酔態を演じつつ、司馬昭の顔を眺める。


(私に許靖殿のような人物眼があれば何か分かったかもしれないが……無理だな)


 劉禅は、まだ幼い日に自分の本質をひと目で言い当ててくれた男のことを思い出していた。


 凡庸な劉禅はやはり人を見る目も凡庸で、顔を見ても何一つ分からない。


 司馬昭が何を考えているのか、何を口実にして自分を処刑しようとしているのか。知りたくても、何も分からなかった。


 宴もたけなわになってきた頃、司馬昭は音楽を奏でていた者たちに対し、手を上げて合図を送った。


 それと同時に、急に曲調が変わる。それまでは明るい宴向きの曲だったのに、突然民謡のような曲に変わった。


 その瞬間、劉禅とその家臣たちの顔がハッとした。その曲は、益州で暮らしていた者ならば誰でも知っている曲だったからだ。


(あの日、桃園で陳祗チンシが奏でてくれた曲だ)


 劉禅はそれを思い出し、胸が熱くなった。


 他の家臣もそうだ。陳祗はこの曲を『故郷の曲』だと言っていた。


 国破れ、故郷から遠い地に移されて聞く故郷の曲に、誰もが涙を流し始めた。


 が、劉禅はそれにぐっと耐えた。耐えるどころか心を無理矢理に締め上げて、涙を浮かべることすら避けてみせた。


 そしてニコニコと笑ってその曲を聞き続けた。


 曲が終わってから、すぐに司馬昭が尋ねてきた。


「安楽公、いかがでしたかな?この曲は益州の人ならば皆好きだと聞き、奏でさせてみました」


「それはもう、素晴らしい演奏だとしか表現できません。生半可な褒め言葉では、奏者の方々に失礼になりそうです」


「ありがとうございます。しかし益州から遠く離れた地に住まわされ、蜀の地を懐かしく思い出すこともあるでしょう?」


 一瞬、司馬昭の目が光った気がした。しかし劉禅はそんなこと全く気がつかない風を装って答えた。


「いえいえ。ここは楽しいことが多いので、蜀を思い出すことなどありませんね。この料理だってそう、この酒だってそう、この演奏だってそうです。蜀のような田舎では、これほどの良いものは望めませんので」


 劉禅は相変わらずのニコニコ顔でそう答えた。


 そんな劉禅の顔に、家臣たちのきつい視線が注がれた。


 当たり前だろう。人間らしい情のある者ならば、当然ここは涙を流しながら故郷が恋しいと言うべき場面だ。


「……ふん」


 司馬昭は小さく鼻を鳴らした。


 劉禅の返答と家臣たちの様子を見て、明らかに鼻白んだようだった。


 何か思い通りにならなかったからだけではなく、劉禅という存在をひどく矮小なものに感じたようだった。


 劉禅はそんな司馬昭を気にした様子もなく、静かに立ち上がった。


「失礼、ちょっと厠へ。あまりに上等な酒なので、つい飲み過ぎてしまったようです」


 そう言って、頭を何度も下げながら廊下へ出ていく。司馬昭はその背中へ、ひどく下らないものへ向ける視線を投げかけた。


 そして小声でつぶやく。


「あれでは諸葛亮が支えきれなかったのも仕方ないな……」


 そんな劉禅は厠に入るなり、耐えに耐えていた涙を溢れさせた。涙は堰を切ったように流れて止まらない。


 流々と泣きながら、涙が衣服に付かないよう細心の注意を払った。


 泣いていたと分かったら、むしろ警戒心を抱かせてしまう。もし故国を想っていることが言動に出てしまえば、それを理由に叛逆心をでっち上げられるのだろう。


れ者を装わなければ)


 劉禅はただそれのみを考えていた。


 あの日、許靖に約束したのだ。どんな屈辱に塗れようとも、生き抜くと。


 劉禅はごく短時間で涙を流し切り、すぐに手洗いの水で顔まで洗った。涙目を何とかせねばならない。


 顔を拭いてから厠を出ると、郤正ゲキセイという家臣がやって来た。


 郤正は劉禅が安楽県に移される時、妻子を益州に置いてまで付き従ってくれた忠臣だ。とにかく真面目で、礼儀正しく立派な男だった。


「劉禅様。先ほどの受け答えですが、あのような事を聞かれたら『先祖の墓も蜀にありますので、蜀を思って悲しまぬ日はありませぬ』とお答えください。でなければ、ここまで付いてきた家臣たちが不憫で……」


 と、そんな説教を垂れていた郤正だったが、劉禅の目を見て考えを変えた。


 聡い忠臣だ。すぐに劉禅の意図を理解した。


「……と、思っておりましたが、どうやら私の方が間違いだったようですね」


「涙目が、まだ分かるか?」


「いえ、普段から劉禅様の顔をよく見ている私ならばかろうじて分かるという程度です。それに、どうせあのような輩には真実は見えませんよ。諸葛亮は劉禅様を支えきれなかったのではない。むしろ劉禅様の下だからこそ、諸葛亮はその全力を発揮できたのだというのに……」


「いや。きっと諸葛亮も『助けようのない阿斗アト(劉禅の幼名)』だと、あの世で笑っているよ」


「まぁ、親しみを込めて笑っているかもしれませんな。あなた方はそれくらい近しかった。しかし、本当にこれで良いのですか?このように痴れ者を装えば、劉禅様の名は歴史に汚名として残されますぞ」


 劉禅は郤正の言うことに笑った。今さら何を言っているのだと思った。


「お前も知っているだろう?私は『道端に咲く、名も無き小さな花』だ。たまたまその場を通りかかった人が見つけてくれて、少しだけ微笑んでくれればそれで満足なのだ。そして、私はすでに見つけてもらっているのだよ。諸葛亮に、許靖に、陳祗に、そして父上に」


「この郤正も見つけておりますぞ」


「そうだった。ありがとう」


 微笑む忠臣に微笑み返し、劉禅は宴の席へと戻って行った。


 席に座り直した劉禅へ、司馬昭は酒を勧めながら尋ねた。


「安楽公。本当に益州、蜀の地が懐かしくはありませんか?」


 劉禅はわざとしおらしい顔を作って答えた。


「いいえ。先祖の墓も蜀にありますので、蜀を思って悲しまぬ日はありませぬ」


 司馬昭は思わず失笑した。


「それは……おそらく今しがた郤正殿に言われた事と、全く同じなのでしょうね」


「すごい!司馬昭様はなぜそれがお分かりになったのですか!?」


 目を丸くした劉禅によって、宴の会場は爆笑に包まれた。


 その笑い声を聞きながら、司馬昭はこの凡庸な男に対する評価を定めた。


(このような痴れ者、殺す価値もない。波風立てるだけ損だな)


 司馬昭は利に聡い。すぐにそう判断を下し、酒をあおった。


 会場からはまだ笑い声が上がっている。


 先ほど劉禅へきつい視線を送っていた家臣たちも、もはや呆れて笑っていた。郤正はその中で頭を抱えてみせている。


 劉禅は部屋に満ちる笑い声の中、許靖との誓いを改めて思った。


(絶対に、生き抜いてみせる)


 その後の劉禅は、誰に傷つけられることもなく六十五年の天寿を全うする。


 前述の通り、帝としての在位期間は四十年と長期に及んだ。


 道端の花にしては、随分と長いこと咲いていたものだと思う。

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