第194話 かしましい

「……でかい食料庫だな。本当に一年分の食料があるのか」


 兵は感嘆の声を上げながら、うず高く積まれた食料の袋を見上げた。


 兵の言う通り、確かに相当な大きさのある食料庫だった。三万の兵と城内の民が一年食べていける量の食料なのだ。当然それは大変な体積になった。


 声を上げた兵のすそが引っ張られる。


 振り向くと、他の兵が首を横に振っていた。潜入作戦の途中に無駄口をたたくな、という意味らしい。


 兵は笑って答えた。


「大声じゃなけりゃ大丈夫だって。今さっき警備の兵は倒したじゃないか。後は火を点ける場所を見繕って、ボッと燃やして退散さ」


 軽率な兵ではあったが、このくらいの性格をしていた方が危険な潜入作戦には向いているかもしれない。少なくとも、恐慌状態に陥ることはないだろう。


 が、今回この性格は残念ながら悪い方に作用してしまった。兵の声を聞いた者たちがいる。


「あ、ほんとに来た来た~。花琳ちゃんはすっごいねぇ。男に生まれてたら最強の武将になってたんじゃないかなぁ。人中に花琳あり、なんてね」


「ちょっと芽衣さん、飲み過ぎじゃない?完全にふらついてるけど」


「そうですよ。というかあのお酒、この食料庫のものですよね?勝手に飲んじゃって、怒られてしまいますわ」


「その時は連帯責任ということで、罰を分け合おう」


「「え~?」」


 その声を聞いた兵たちは殺気立ち、剣の柄に手をかけた。声のした方へと灯火を向ける。


 しばらくすると、食料庫の奥から女が現れた。芽衣、凜風、翠蘭の三人だ。


 兵たちは三人を見て、どうやら守備兵ではないこと、三人の他には誰もいないことを確認すると、安堵の息を漏らした。


 しかも一人は酔っ払っているのか、足元が怪しかった。


「なんだ、女だけか……お前たち、軍の手伝いか何かか?」


 芽衣はカラカラと笑って答えた。


「それをわざわざ聞いてくるあなたは、きっと益州軍の人じゃないんだろうねぇ」


 その一言で、兵たちは皆剣をすらりと抜いた。


 元々殺すつもりではあったのだ。騒がれないよう、近づいてから素早く仕留めようと考えていた。


 芽衣はそれを見てまた笑った。


「わぁ怖い。あ、忘れてた。これこれ……」


 芽衣は胸元から棒状のものを取り出した。そしてそれを口に咥えてから、思い切り吹く。


 ピーっと、高くて大きな音が響き渡った。


 花琳から言われて持ってきていた笛だ。立て続けに三度吹いた。深夜ということもあり、かなり遠くまで響いただろう。


 その音量に慌てふためく兵たちへ、芽衣は芝居がかった声をかけた。


「花琳将軍いわく、戦いでは相手の一番嫌がることをやるべし、ってね。これで兵隊さんたちが駆けつけて来るよ。一番嫌でしょ?」


「……このっ!」


 兵の一人が剣を振りかぶって駆けて来た。その刃を芽衣へと向かって思い切り振り下ろす。


 瞬間、芽衣の体が柳のようにしなやかに揺れた。


 柔らかく体を反らして剣を避けつつ、その姿勢のまま蹴りを兵の顔面にめり込ませた。駆けた勢いも重なった兵は、その一撃で簡単に気を失った。


 芽衣はふらふらと千鳥足のまま、残りの兵たちの方へと歩いていく。


 そこへ一人の兵が突きかかり、さらにその隣りの兵が斬りかかってきた。


 芽衣は床に滑り込むようにしてそれをかわし、二人の足元に入った。そこで両足を思い切り振り上げる。


「……っ!!!」


 股間を蹴り上げられた二人の兵が、声にならない叫び声を上げた。


 今、自分たちの体に恐ろしいことが起こっている。なぜ股間全体を覆う鎧はないのだろう。


 そう思っている間に顎を掌底で突き上げられ、二人は意識を失うことで苦痛から開放された。


 その様子を見て、隊長らしき一人の兵が声を上げた。


「もうここでいい!油をまいて火をかけろ!」


 その指示に二人の兵が反応した。


 ともに大きな革袋を抱えており、中には大量の油が入っていた。指示通り、それぞれの袋の栓に手をかける。


 が、その栓を抜くよりも早く、目の前に飛び込んで来たものがあった。


 凜風だ。まるで羽根でも生えているかのような速度だった。


 凜風は小刻みに連続で拳を繰り出した。


 兵たちはそれを防ごうと腕を上げたが、あまりの速さに受けきれない。鎧を着ていることもあり一撃で倒れることはなかったが、油の栓を開けてまく余裕などなかった。


 しかも拳の速度、回転はまたたく間に上がっていく。あたかも蜂の大群が二人を襲っているかのようだった。


 顔を守るために上げた腕が弾かれ、拳が鼻面にまっすぐめり込む。それで二人とも油袋から手を離し、後ろ向きに倒れていった。


 とりあえず火をつけられる危険は遠のいたが、まだ危機は去っていない。凜風は兵たちの中に大きく踏み込んだので囲まれていた。


 凜風の左右から二人の兵たちが同時に斬りかかる。さすがにこれはかわせまいと兵たちが思った瞬間、凜風の影から翠蘭が現れた。


 翠蘭はまるで花が風に揺れるかのような流麗な動きで両腕を舞わせた。


 すると斬撃の軌道はたおやかに流れを変え、味方の兵へと向いた。


 一瞬のことで、兵たちには剣を止める余裕などない。死ぬほどではなかったものの、互いの刃が互いの体を撫でた。


 二人は味方を傷つけてしまったこと、味方に傷つけられてしまったことに動揺した。


 そしてその動揺がおさまりきらない内に、凜風の肘打ちと翠蘭の蹴りとが襲いかかる。きれいに急所に決まったその打撃で、二人とも動けなくなった。


 しかし、周囲に敵はまだ多くいる。凜風と翠蘭は背中合わせになって構えた。


 二人は互いを補い合いながら、時に絡み合うようにして戦った。


 凜風は速度において右に出るものがなく、翠蘭は後の先を極めている。そして何よりもこの二人が強いのは、互いの行動が手に取るように分かることだった。


 背中を合わせているだけで、相手の思考が読める。それで自分が向いていない方向の情勢まで分かってしまうのだ。


 敵は当然、こちらを見ていない方は気付いていないと思って攻撃を仕掛けてくる。しかしそれはいとも簡単に防がれ、予想外のところから拳や蹴りが飛んでくるのだった。


 凜風と翠蘭に関しては、囲まれていても二人でいる以上、その不利は極めて小さかった。逆に囲んでいるからと油断した敵兵は次々に意識を失っていく。


 そして芽衣の方はというと、こちらはこちらで多数の敵を相手にしてもまるで苦にした様子がなかった。


 芽衣は兵たちの間をふらふらと進んで行く。


 どう見ても酔っ払いの足取りで、一人の斬撃をかわした。そしてどう見ても酔っ払いの足取りでその兵に寄りかかった時、きつい肘打ちがみぞおちにめり込んでいる。


 芽衣はさらに、その反動で逆側にふらついて別の兵にもたれかかった。


 それは端から見れば、こけないように腕にしがみついたようにしか見えない。が、次の瞬間には兵の腕がありえない方向に曲がっている。


 芽衣が千鳥足で歩いた後ろには、うめき声を上げて倒れる兵たちが連なった。


「な……なんだこの女たちは!?妖怪か!?」


「あっはっは、妖怪の方がまだたちがいいかもねぇ」


 隊長らしき男の叫びに笑い声を返しながら、芽衣はふらふらとその前まで進んで行った。


 そして隊長渾身の袈裟掛けを倒れるようにしてかわしつつ、タンッと床を蹴って体を前転させる。


 回転の勢いを乗せた芽衣の踵は隊長の顔の中心に直撃した。


 可愛そうなほど鼻筋を変形させた隊長は、鼻血の尾を引かせながら仰向けに倒れた。


 指揮者を失った兵たちは、急速に士気を下げていく自分たちを自覚していた。


 そこへ、外の方から守備兵たちが駆けつける物音が聞こえてくる。


「お、兵隊さんが集まってきたよ。もう無理でしょ。出会い頭に斬られないように、武器を捨てておいた方がいいよ」


 妖怪の親玉からそう言われた兵たちは、互いに顔を見合わせてから一人、また一人と武器を捨てていった。それから両手を上げて、投降の意思を示す。


 しばらくすると、守備兵たちが息を切らせて入ってきた。


 芽衣はそちらに向けて声を上げてやった。


「こっちこっち。この人たち降伏するみたいだよ。斬らないであげてー」


 守備兵の先頭にいたのは花琳の道場にも通っている兵だったので、芽衣とも顔見知りだった。


 芽衣たちが食料庫に入ることができていたのも、この兵に事情を話して許可をもらっていたからだ。


「もう敵兵を制圧してるんですか!?……芽衣さん、さすがです。ここは食料庫の中でも最大のものですから、ここに火でもつけられたら軍は大混乱でした」


「がんばったよ~。ここの奥にあったお酒、いいやつだったもん。燃やさせるわけにはいかないからねぇ」


 芽衣はそう言って腕を曲げ、力こぶを作ってみせた。


 敵兵たちは次々に拘束されていく。それがほとんど済みかけた時、薄暗かった庫内の視界が突然明るくなった。


 皆が振り向くと、床に伏せた隊長が油袋の栓を開けて火を点けていた。


「しまった!」


 凜風が素早く袋を蹴り上げ、その足で頭を踏みつける。それで隊長の意識は途切れたが、炎を高さは膝上程度にはなっていた。


 守備兵の長が声を上げた。


「落ち着け!まだ火は大きくない!すぐに消せば広がらないぞ!」


 その兵の言う通り、凜風がすぐに袋を蹴飛ばしたため中身はそれほど出てはいない。消火不可能なほどの火勢ではなかった。


 守備兵たちが口々に叫んだ。


「水だ!水を持って来い!」


「いや、この奥には酒壺が大量にあったはずだ!その方が近い!」


「そうか!よし、半分ついて来い!残りは投降兵を見張れ!」


 守備兵たちがバタバタと食料庫の奥へと走って行った。


 本来なら油による火災は水で消火してはいけない。水の沸点は油より低いから、急激に水蒸気になった水が油を弾き飛ばす危険がある。


 しかし今は油が床に広くまかれている状態であり、加えて周囲を濡らして延焼も抑える必要もある。またこの時代の酒はアルコール度数が低く、燃えるようなものではない。


 守備兵たちは一丸となって行動を開始したが、唯一芽衣だけが異論を口にした。


「……え?ちょっと待って、お酒で消すの?あれいいお酒なんだけど!ねぇ!もったいないって!」


 芽衣の叫びは虚しく丸無視され、次々と運ばれてくる酒壺が炎に向かって投げ込まれた。


 火は飛び散りながらも、徐々に小さくなっていく。


 弱まった火の勢いに兵たちが安堵の声を漏らす中、芽衣だけは絶望の声を上げていた。


「あぁぁぁぁ……私のお酒が……」


「いえ、芽衣さんのではありませんわ」


「まぁ……これで勝手に飲んだのもうやむやになるし、良かったんじゃない?」


 翠蘭の突っ込みも凜風の慰めも、流れゆく酒とは違い一寸の酔いすら与えてはくれないのだった。

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