第193話 城門

「思ったよりも敵の対応が早いな……」


 夜襲部隊の隊長は、部下に聞かれない程度のわずかな声量でそうつぶやいた。


 今の発言を部下に聞かれるのは好ましくない。自分たちが不利だと思い、恐慌状態に陥る者が出てくる可能性があるからだ。


 特に城内への潜入は失敗した時に退路がないという恐ろしい任務だ。不用意に恐怖心をあおる必要はない。


 とはいえ、隊長は任務の成功をほぼ確信していた。


 すでに部隊は城門の内側を守る番所を攻めている。敵も必死に抵抗していたが、暗闇の混乱もあってこちらが優勢だ。


 まず篝火かがりびを消すことを優先したのが功を奏していた。視界を失った守備兵は同士討ちも始めている。


 対するこちらはそもそも闇夜で戦う準備と覚悟をしてきているので、何の問題もない。城門が開くのは時間の問題かと思われた。


「敵の応援が来る前に片が付きそうだ」


 今度は部下に聞かれても問題ないので、普通の声量でしゃべった。


 思ったより敵の対応が早いと感じたのは、敵の応援部隊のことだ。


 遠くから兵たちが集まってくる物音が聞こえてくる。諸葛亮とともに予測していたよりも早い反応だった。


(しかし、まだ遠い。勝ったな)


 隊長が少々早過ぎる勝利の喜びに口の端を吊り上げた時、急に視界が明るくなった。


「……何だっ!?」


 隊長は眩しさに目を細めてそう叫んだが、すぐに何が起こったのかは分かった。


 城門の守備兵が詰める番所が燃えていた。しかも、いきなり大きな火を上げている。どうやら油をまいたようだった。


「まずい……火を消せ!早く!」


 そうは命じたものの、火の規模がかなり大きい。簡単に消せそうにはなかった。


 周囲が明るくなり、守備兵たちが急速に冷静さと統率を取り戻していくのが分かった。


 普通なら攻める側が施設に火をつけて混乱を誘うが、暗闇に頼った今回の夜襲では逆効果になる。こうなると攻めるのは厄介だった。


 火のそばには、一人の女が立っていた。花琳だ。


 駆けつけた花琳は状況を見て取り、近くの民家を回って油壺をかき集めた。そしてそれを番所に叩きつけて、火を点けたのだった。


 同士討ちすらしていた守備兵たちは、すぐに周囲と連携を取り始めた。


 夜襲部隊の隊長は大声で部下を励ます。


「落ち着け、まだ我らが優勢だぞ!くさびを打ち込むのだ!」


 『楔を打ち込め』とは敵に連携を取らせないようするため、その間に割って入るような攻め方をしろ、ということだ。


 三人一組で、隙間を攻める。訓練ではそれを何度も繰り返し教えこんである。


 兵たちはすぐに隊長の指示通り動き始めた。


(落ち着いてやれば勝てるはずだ。そもそも敵はこれほどの人数に潜入されることを予想してはいない。数で押し切れる)


 隊長は期待を込めて楔たちの動きを見ていた。


 が、突然その楔の一つが吹き飛んだ。文字通り、兵が三人まとめて吹き飛んだのだ。


 その吹き飛んだ元を視線でたどると、花琳が拳を突き出した姿勢のまま静止していた。


 花琳は目だけを動かして周囲の状況を探った。そして、次の楔に向かって風のように駆ける。


 花琳は駆けた勢いを駆って高く跳び、一人の兵の顔面に蹴りをめり込ませた。そして空中で体を回転させながら、その隣りの兵にも蹴りを食らわせる。


 蹴られた兵たちはそのまま倒れて動かなくなったが、兵たちが倒れるよりも花琳が着地して拳を突き出す方が早い。その一撃はそばにいたもう一人のあごを素早くかすめ、即座に意識を奪った。


 ほとんどの兵はあまりに一瞬のことで、すぐに動けなかった。


 が、気丈な者もいくらかはいるもので、一人の兵が素早く動き、背後から花琳へと剣を振り下ろした。


 誰が見ても、完全に不意を突いた形だった。


 しかし花琳は後ろにも目がついているのか、見もせずに体を捻ってそれをかわした。そしてその動作のついでとでも言わんばかりの裏拳を、正確に相手の鼻面に叩き込む。


 花琳はまたたく間に七人の兵を戦闘不能にした。


(……あれはやばい!)


 少し離れたところからそれを見ていた隊長は、戦慄と共にそう思った。


(あれは早急に止めなければならない。下手をすると、あの女の働き一つで夜襲がだめになる)


 隊長がそう思っている間にも、花琳は兵を薙ぎ倒していく。


 剣で斬りかかってきた兵の腕を一瞬で折り、突きかかってきた兵を投げ飛ばす。飛んだ先には兵が密集しており、ぶつかって体勢を崩したところへ踏み込んで次々に当て身を食らわせた。


(止めなければ……早く止めなければ!!)


 危機感を募らせた隊長は、雄叫びと共に花琳に斬りかかった。


「ぉおおおお!!」


 並の剣速ではない。この男は部隊長を任せられるだけあって、軍内でもかなり腕の立つ方だった。


 花琳は身を引いてそれをかわした。


 が、それは隊長にとって予想していたことだ。わざと少し離れた間合いから剣を振ったので、普通ならば下がってかわす。


 ここからがこの隊長の本領だった。いったん腰を落とし、全身のバネを使って全力で前方へ踏み込む。この踏み込みの速度なら、誰にも負けない自信があった。


 その速度に体重を乗せて、剣を突き出す。


 しかし、ここで隊長の予想だにしなかったことが起こった。花琳が消えたのだ。


 いや、全く消えたわけではない。黒い影だけが残っていた。その影を剣が撫でた時、数本の細い線が空を流れたことで、隊長はそれが髪の毛なのだと理解した。


 花琳は素早く身を伏せて剣をかわした。そしてこれ以上ないほどに速度の乗った隊長の体は、花琳につまずく形で転倒した。


 隊長はその勢いのまま地面を転がったが、転がる力を利用してすぐに立ち上がった。しかし、その立ち上がりざまを花琳は攻める。


(……鎧のあるところへ!)


 隊長は反射的に鎧で覆われていない顔を腕と剣で覆い、負傷を最小限に抑えようと試みた。


 そしてありがたいことに、花琳は鎧でしっかりと覆われた胴の部分へと掌底を食らわせた。


(よし、そこならば……)


 隊長は内心安堵したが、その安堵はほんの一瞬でしかなかった。


 掌底が当たった瞬間、腹から全身へと衝撃が貫いた。振動のようなものが、鎧越しに体の内部へと響いてきたのだ。


 何か、起こってはいけないことが体の中で起こっていると感じた。内臓が損傷したのだろうか、これ以上は体を動かせないと直感的に分かった。


 加えて脳も揺さぶられたようで、すぐに思考がままならなくなっていく。


 隊長は薄れゆく意識の中で、花琳への敗北を認めた。


 ただし、作戦自体の失敗はまだ認めていない。


(まだだ……まだ、食料庫と要人襲撃に向かった兵たちがいる……そちらが無事任務を遂行できれば……)

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