第178話 凉糕と蜂蜜

「申し訳ありません、立ち聞きしてしまいました。行儀の悪いことです」


 行儀が悪いついでか、趙才は大きく鼻をすすった。


 先ほどの茶会では風邪を引いている様子がなかったから、恐らく目元と袖口が濡れていることに関係しているのだろう。


 厳寿と文成は趙才を見るなり、さらに肩を落としてうなだれた。それから、やや自虐的な笑みを見せる。


 己の運命に関して諦観を持ったのだ。被害者本人が来たからには、ここの部屋にいる人間の中だけで内々の処分にも出来ないだろう。


 許靖にそれが通じるかどうかはさておき、交渉するなり泣きつくなりで何とか公的な裁きを避けられないものかと、多少の期待があった。


 トリカブトを用いた殺人は重罪だ。未遂であっても流刑以上の刑となる。


 趙才は厳寿と文成に目を向けた。


 自分を殺そうとした人間たちだ。憎しみのこもった視線を浴びせるかと思いきや、その瞳はどこか寂しげだった。


 趙才は二人には何も声をかけず、許靖の方へ向き直って口を開いた。


「ここ最近で……私は二度も殺されそうになりました。私を殺したいと思うほど、憎む人間が多くいるということです」


 それから趙才は、やはり寂しげな瞳で笑った。


 自嘲しているのでもないだろうが、憎まれている自分に関して色々と感じるところがあるようだった。


(趙才殿はその出自や仕事柄、憎まれることが多かったろう。だから先日、店で殺されかけた時も辛そうな様子は見えなかった。しかしこうも立て続けに殺されかけると、さすがに考えるか……)


 許靖は趙才の心情をそう読み取った。


 瞳の奥の「天地」では珍しく騎馬たちが足を止めて腕を組み、考え込んでいる。己について何事かかえりみているようだった。


 趙才は一瞬許靖にすがるような視線を送り、珍しく気弱げに問うた。


「許靖様……私はどうしたらよかったのでしょうか?今まで必死に競争してきたのが間違いなのでしょうか?確かにその過程で多くの人間に勝ってきました。負かしてきました。だからここまで恨まれたのか……しかし、私にはそれでも競争というものが間違いだとは思えないのです……」


 趙才の懊悩は深く、必然的に捻れている。


 競争は趙才の心の本質だ。それを否定することは簡単ではない。


 しかし競争で生じる様々な不都合が多くの人を苦しめている事実もまた、認めなければならない。


 許靖は趙才の瞳を見つめながら答えてやった。


「先日、私が言ったことを覚えていますか?」


「……騎馬の駆け比べで、馬を労ってやれとお話ですか?よく覚えていますし、とても私に響いたお言葉でした」


 趙才はよく覚えていた。その話がきっかけで従業員の待遇を改善しようと決心したのだ。


「でしたら、また騎馬の駆け比べで例えましょう。もし騎馬同士が駆けながら相手を剣で切りつけたり、弓を射ち合ったりしたらどうでしょう?それは趙才殿の望む競争ですか?」


 趙才は大きくかぶりを振った。


「そんなものは私の望む競争ではありません。競争は相手に打ち勝つものであって、相手を傷つけるものではない。私は何かというと暴力に訴えたり、暴力をちらつかせたりする輩が最も嫌いです」


「ですが、あなたに負けた者は大きく傷ついています。それは体の傷ではなく、貧しくなった生活の傷です。また、家族を貧しくしてしまった心の傷でもあります」


「それは……」


 趙才は反論しようとしたが、上手く言葉が出てこなかった。


 商いでそこを否定してしまえば、競争というもの全てが否定されるようにも思える。


 許靖は言葉を続けた。


「もちろん商いというものの性質上、ある程度はそういった結果が生じるのは仕方ありません。皆生きるために働いていて、その手段でもって競うわけですから。ですが、相手の生活がどうなっても良い、相手の家庭など知ったことではない、そういった認識で競争するのは、騎馬同士が互いに傷つけ合いながら駆けているのと大差ないように思います」


 趙才は口元を苦々しく歪めた。許靖の言葉を、痛いと感じた。


「……私はそこまでひどく考えて商いをしているわけではありません」


「では、商いの交渉時に相手の生活を想像したことがありますか?相手が仕事を終えて、家族の元へ帰るところを思い浮かべたことがありますか?」


 趙才は答えられなかった。


 それを考えてしまえば、交渉でギリギリの圧力をかけることなどできはしない。


「あなたの商いの仕方は『代わりがいる相手は潰れても良い』『潰れて困る相手は生かさず殺さずギリギリの所を攻める』という力の入れ方だと聞いています。それは相手より早く駆けようとしているだけでなく、相手に剣を振り下ろしたり突きつけたりしているのと同じことです」


 趙才は何も答えられずにうつむいた。


 その瞳の奥の「天地」では、騎馬たちが互いの姿を見つめ合っている。今まで競争することに夢中になっており、相手自身のことなど気にもかけてこなかった。


 それが互いに興味を持ち始めているようだ。


 許靖は最後にポツリとつぶやくように言った。


「……まぁ、どこまでやってよいかという線引きが難しくはありますが」


 結局の所、そこが問題だった。


 どこまでが適正な競争・交渉で、どこからが過当な競争・圧力であるか。この問題には答えがない。


 あえて一文で答えを書くなら『個別の事案による』ということになるだろう。


 ただ、趙才のやっていることで苦しんでいる人間が多いのは間違いない。それは分かって欲しかった。


 趙才は拳を強く握りしめていた。うつむいて、考え続けている。


(私はこれまで、商いはただ相手と競うことだと思っていた。それが最終的には様々なものの成長に繋がり、最終的には互いのためにもなることだと思って……しかし、それでも実際に相手は傷ついていたのだ)


 趙才は無意味に、理不尽に他人を傷つける者が嫌いだ。


 幼い頃からその血が原因で、母とともに納得できるような理由もなく責められてきた。だから、自分はそんなくずにはなるまいと心して生きてきたのだ。


 しかし、気づけば自分も誰かを傷つけていた。ただ競争しているだけだと思っていたが、その結果として苦しんだ人たちがいるのだ。


 趙才は厳寿と文成にあらためて目を向けた。


 二人は床に座り込んでうなだれ、肩からは力が失われている。


 その様子を見て、今まで感じたことのないような感情を覚えた。


「……お二人の処分ですが、どうなりましょうか?」


 問われた許靖はすぐに答えられなかった。


 二人の処分をどうするか、事は重大だ。


 恐らく流刑が妥当なところだと思うが、正式な裁きが下るまでは良くも悪くも期待させないほうが良い。


 許靖はどう答えようか悩んだが、悩んでいる間に張裔が口を開いてしまった。事務的な口調で淀みなく答える。


「近いうちに公的な裁判が開かれますが、トリカブトを使った殺人未遂なので恐らくは流刑……」


「公的には罪を与えないようにしていただけませんでしょうか?」


 趙才は張裔が言い終わるのを早口で遮った。明らかに最後まで言わせない意図があった。


 許靖も張裔も、趙才の発言に既視感を覚えた。


 以前に趙才が店で一族の者に襲われた時にも、公的な裁き・罰を与えないで欲しいと頼んできたのだ。


 その時は被害者である趙才が比較的軽微な罰で済ませるというので、その執行を確認させてもらうことを条件に趙才に一任した経緯がある。


 張裔はため息をついた。


「趙才殿、またですか。たしかに先日は処分をお任せしましたが、当然好ましいことではありません。法をそう何度も曲げるわけには……」


「ですが、前回も今回も被害者本人がそれで良いと言っているのです」


 と、趙才はそこまで言ってからふと気がついた。


「……といっても、今回はもう一人被害者がいましたね。陳祗殿、どう思いますか?意見を聞かせて下さい」

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