第176話 凉糕と蜂蜜

「趙才殿、ずいぶんと儲かっておるようですな。我らもあやかりたいものだ」


「左様。商いのコツを教えてもらい、氏族の長など隠居して小さな店でも始めてみたい」


 厳寿と文成は意外にも愛想よく趙才に話しかけていた。遠回しな皮肉に聞こえなくもないが、二人の表情は柔らかい。


 趙才はこの茶会の間中、辛辣な言葉を浴びせられる覚悟をして来ている。


 しかし、二人の態度はあっけにとられるほど和やかだった。


「いえ、私などまだまだです。しかし商いは結局のところ人と人との事ですので、厳寿様も文成様も向いていらっしゃるはずですよ。大族の長をされているのですから、そういった事はお手の物でしょう」


「そうですか。ならば隠居しても店を始めるのはやめておきましょう。隠居してまで今のような気苦労を負うことはない」


 厳寿はそう言って笑った。ともに卓を囲む許靖もそれに釣られて笑う。


 和やかな茶会だった。少なくとも、一見すればそうだろう。


 こうして人と人との和が醸されるなら、太守としてこれ以上に嬉しいことはない。


凉糕りゃんがおをお持ちしました。失礼いたします」


 陳祗が盆を提げて来た。給仕にも随分と慣れており、滑らかな動作で卓へと皿を置いていく。


 まず厳寿、文成にクコの実の乗っていないものを、それから趙才へ、最後にもてなし役の許靖へと凉糕を出した。


 許靖の凉糕が置かれた時、厳寿が声を上げた。


「あっ、許靖様。今、その凉糕に虫がとまっておりましたぞ。お取り替えになられた方がいい」


 許靖は自分の凉糕を見たが、虫はもうどこかへ飛んでいったのかその姿は見られなかった。


「そうですか?まぁ虫ぐらいとまっても、どうということはありませんが……」


 許靖は別にそのような事を気にする男ではなかったし、むしろ食べ物を粗末にするのは嫌いだった。


 しかし厳寿はまくし立てるように許靖の言葉を遮った。


「いやいやいや、太守たる者が虫付きの食べ物など口にするものではありません。陳祗殿、予備はあるのだろう?」


「え?あ、はい。もちろんいくつか予備を用意しております」


 陳祗の言うとおり、予備はいくつも用意されている。参加者が突然増えることもあれば、おかわりを要求されることも多い。


「ならば早く替えて差し上げなさい。ほらほら」


 厳寿に促され、陳祗は急いで許靖の皿を回収した。そして足早に替わりを取りに下がっていく。


 厳寿も文成も、それをどこかホッとした表情で見送った。


 許靖はそんな二人の瞳の奥の「天地」を見た。


(猿たちの落ち着きがないな。何かに怯えているような……それとも期待しているような……)


 許靖はその微妙な感情を読み取ったが、それに関して一切口にはしなかった。


 さじを持ち、出し直された凉糕に手をつける。


「では、いただきます」


 ふるふると震えるその魅惑的な物体を口に流し込むと、爽やかな食感と甘さが広がった。


 許靖はこの料理が好きだった。益州に来てから色々な店で何度も食べている。


 作る人間によって微妙に違った風味・食感になり、またかける物によってまるで違った料理になる。今日は蜂蜜をたっぷりかけた甘い凉糕だ。


 趙才も凉糕をさじですくって口の中に入れた。


 その様子を厳寿と文成がじっと見つめている。二人もさじを持ってはいたが、石像にでもなったかのように動かない。ただただ趙才を凝視していた。


 趙才は一口食べてから感想を述べた。


「変わった香りのする凉糕ですね。何か……生薬でも入っているのでしょうか?」


 それを聞いた許靖は首を傾げた。


「生薬?いえ、そういう話は聞いていませんが……」


 厳寿と文成は急いで自分たちの凉糕を口に放り込みながらしゃべった。


「しょ、生薬ではないかもしれませんが、なにか変わった風味付けをしているのでしょう」


「もしかしたら蜂蜜の香りかもしれませんぞ。蜂蜜はどんな花が近くに咲いているかで味も香りも変わりますからな」


 妙に早口な二人をいぶかしみながら、趙才はもう一口凉糕を口にした。


「ふむ……香りの出所はちょっと分かりませんが、良い香りだと思います。私は好きですね。甘いものはただ甘いだけではあまり売れません。上質な香り付けや風味付けがあれば、値は跳ね上がります」


「なるほど、勉強になりますな」


「趙才殿は物の価値が本当によく分かっておられる」


 厳寿と文成の応答はまるで媚びるようだった。


 その様子に、趙才は形の良い眉根を小さく寄せている。二人が自分と親しくしてくれるのは本来なら喜ばしいことだが、あまりに想定と違いすぎて少し気味が悪い。


 しかし趙才の懸念とは裏腹に、茶会の時間は何事もなく過ぎていった。


 ただ、時間が経てば経つほど厳寿と文成は妙な顔つきになっていく。そしてたまに互いに視線を交わしながら、小さく首を傾げていた。


 許靖はその様子に気づいてはいたが、何も言いはしない。


 そして良い時間になり茶会がお開きになった時、二人は大きく首を傾げていた。

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