第141話 妻たち

「本当にすごかったですね!人が火を吹くなんて!それに物を浮かせたり、人が消えたり!」


 翠蘭は初めて見る手合の娯楽に、興奮冷めやらぬ様子だった。これまで厳しく育てられてきたので、こういった興行に連れて来られたことがなかったのだ。


「あたしは昨日の芝居の方が好きだったなぁ。あんな素敵な恋をしてみたい……」


 凜風は凜風で、皇女と将軍との悲恋を題材にした演劇にほだされっぱなしだった。頬に手を当ててうっとりしている。


 満足そうな若者二人に、特別券をもらった功労者の小芳も満足だった。


「喜んでもらえたなら良かったわ。ここまで来たかいがあった」


 ここ数日、興行を見たり港町を観光したりで女五人はこれまでにないほど楽しい時間を過ごしていた。


 今も最後の興行である派手な雑技や手品を見終わり、帰路についたところだ。


 すでに陽は落ちていたが、夜も開いている店々の灯火で視界には困らない。むしろ、月明かりとはまた違う夜の美景に女たちの気持ちは盛り上がった。


 芽衣の手には、子供たちの世話を頼んだ胡能夫婦への土産である酒瓶が下げられている。あの夫婦は大の酒好きだ。


 早く届けてやりたい思う一方で、この街灯りを見ているとどこかの店に入って一杯やりたい気分にもなる。


 そんな上機嫌で歩いていると、先頭を行く花琳の足がピタリと止まった。


(お、どこかのお店に目をつけたかな?)


 芽衣は反射的にそう期待したが、真面目な花琳が寄り道して酒を引っ掛けるなどということはありそうもない。


 小芳が足を止めた花琳に尋ねた。


「お嬢様?どうかしました?」


「……あの人の匂いがする」


 小芳には花琳が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。


 しかし、花琳が『あの人』という言い方をするのは一人しかいない。


「許靖さんの、ですか?でも、まさか……」


 許靖はかなり離れた城下町にいるはずだ。しかもこの旅行には仕事で来られていないわけなので、いるはずがない。


 しかし、花琳は自分の鼻に絶対の自信を持っている。なんの迷いもなく歩き出した。


「私があの人の匂いを間違えるはずがないわ。こっちよ」


 早足でずんずん進んでいく花琳の背を、四人は小走りで追いかけた。


 かなりの距離を進み、やや薄暗い路地に入ったところで花琳の足は止まった。


 そこには一軒の飲食店があった。


 それなりに大きな建物ではあったが、入り口が妙に小さく作られている。それがどこか怪しげな雰囲気を醸し出していた。


 花琳は無言で店の看板を見上げた。


 人混みでやや遅れた小芳たちは、少ししてから追いついて来た。そして花琳の視線の先を見て、これはまずいと思った。


「お嬢様……このお店は……」


 小芳も知識でしか知らないが、そこは美しく着飾った女性の店員が男性客へ酌をしてくれる種類の店と思われた。そして小芳の知識が間違いでなければ、男性客は気に入った女性がいれば奥の個室へ一緒に入ったり、連れ出したりすることができるはずだ。


 もちろんこの程度の知識は、お嬢様育ちの花琳でも持ち合わせているだろう。


 店を見上げる花琳の表情は一切の乱れを見せていなかった。


 しかしその横顔を目にした凜風と翠蘭は、身震いしながら芽衣の耳元へと話しかけた。


「め、芽衣さん……花琳先生から、ものすごく怖い何かを感じるんだけど」


「私もそう思いましたわ。なんていうか、首の後ろがチリチリするような……」


 芽衣は妙に感心しながら答えてやった。


「二人ともさすがだねぇ。それが殺気というやつだよ。覚えておいて」


 凜風はその回答に驚いた。


「えっ!……ねぇ翠蘭。殺気って殺す気って書くんだよね?」


「そうですわ、お姉様。花琳先生は誰を殺す気なんでしょうか……」


 芽衣は二人のやり取りに苦笑した。


「まぁ……死人が出なかったらいいね」


 花琳は三人の会話など耳に入っていない様子で、ただ店の看板を見上げている。そして気持ちを固まったのか、やがて入り口に向かって歩き出した。


 小芳はその花琳の腕を必死に掴んで止めた。


「待ってください、お嬢様!ここは女性の入るところではありませんよ!」


 花琳はそれに全く抵抗せず、すぐに足を止めた。


「小芳、ここまで来て気付いたのだけど」


「何ですか」


「陶深さんの匂いもするわ。多分、二人一緒にいるんじゃないかしら」


「なっ……!?」


 小芳は店の入り口をキッと睨んだ。


 どういうことだろう?妻たちの旅行中に、男二人で羽目を外し中ということだろうか?


 小芳は荒い足取りで芽衣の所まで来ると、手に下げた酒瓶を奪って荒々しく封を切った。そして、それを一気にあおる。


「お母さん、それお土産……」


 芽衣は一応そう指摘はしたが、母はまるで無視して中身を腹に流し込んだ。結構な大きさの瓶にかなり強い酒が入っていたはずだが、すぐに半分ほどの量になった。


 小芳は瓶を芽衣に押し付けると、花琳の元へと戻った。


「お嬢様、討ち入りましょう」


 花琳は無言でうなずいて、店の入り口をへと歩を進めた。


 凜風と翠蘭は二人の背中を目で追いながら、どうしたら良いか分からずに芽衣の袖を引っ張った。


「ど、どうしよう芽衣さん」


「多分あれは、淑女は入ってはいけない種類のお店ですよね」


「うーん……」


 問われた芽衣は悩んだが、残された酒を母と同じ姿勢であおってから答えた。


「ま、社会勉強だと思って入ってみますか」

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